「お邪魔しまーす」
僅かの遠慮も躊躇いも無く障子が動いた。こんな夜遅くに訪ねて来る馬鹿は思い当たる節が沢山あるので誰だと確定出来ない。舌打ちを噛まして障子を見やると、枕を片腕に抱えた寝巻姿のが立っていた。もう呆れて声も出ない。
何しに来やがった、と問うことすら億劫で、俺は文机に向き直った。さっさと帰れという空気を醸し出しながら筆を走らせる。が、は全く気にせずに仙蔵に話し掛けている。お前は忍者のたまごとしてもう少し空気が読めるようになれバカタレ。
「ごめんよ、部屋が滅茶苦茶でさあ」
「ほお、滅茶苦茶とは?」
「偶然わたしの部屋の前の廊下で誰かが別れ話をして縺れて乱闘になったらしい」
「らしい?」
「わたしが現場に辿り着いた頃には誰もいなかった畜生!」
畳がクナイでボロボロ、障子に穴、廊下に血痕、なあ泣けるだろ、とがおいおい嘘泣きをしている。仙蔵が楽しげに相槌を打ちながらからから笑って、適当な言葉でを励ました。「励ましになってないよ」と最もな突っ込みをして、が布団を敷き始めた。勝手に。俺のを。
奴に何を言っても無駄なのだ。「潮江の発言を優先する義務なんてわたしは持っていません」等と馬鹿げたことを言い返されて終わるのが目に見えている。六年間も同じ学園で生きているのだから、そんなことは二年の頃に既に分かっていた。あいつに口で勝てるのは、大怪我をしてきた患者に本気で説教する時の伊作ぐらいだ。俺には無理だ。
「じゃ、そーゆー訳なんで此処で寝させてね。どーせ潮江は夜もギンギンな鍛錬で忙しいから布団いらないもんね?」
「勝手に決めるなバカタレ」
「え、何、今日はギンギンしないの」
「明日は実習だからな、流石に少しは眠っておかんと。あとお前ギンギン言うな」
舌打ちを混ぜてそう言い付けてやると、はふうんと適当な相槌を打って俺の布団の上に転がった。全く話を聞いていないぞコイツ。仙蔵が爆笑し始めた。俺は疲れた。
「潮江って池の中でも寝れるんでしょ? さあさあ行ってきなよ」
「喧嘩売ってんだな? 買うぞコラ」
……だからって何でこうなる。
「ちゃんと布団使わせてあげてるじゃん、さんの優しさだよ潮江君」
「これは俺の布団だバカタレ」
俺の隣にが転がっている。布団の三分の二をが使っている。遠慮というものの前に常識という言葉を知らんのか、と聞いてみると「潮江に使う遠慮も常識も無いって」平然と返されて思わず殴りそうになった。俺は悪くない。
これ以上何を言ったって無駄な気がしたので、俺は仕方無く目を閉じて布団を被った。隣にあるぬるい体温を空気として感じながら、必死に目蓋を閉じる。閉じる。何たって閉じる。開ければ最後、今夜は絶対眠れない。
ちなみに仙蔵は既に熟睡しているので起きる気配は無い。がどれだけ騒ごうとも、一度眠りに入った仙蔵は任務中かよっぽどのことでないと起きない。裏切り者だ。
明日の実習のことを考えよう。そうすればきっと気が付けば眠れる筈だ。羊を数えるなどと馬鹿らしいことをするより幾分効率が良い気がする。
実習内容はとある城の密書を奪うことだ。実に簡素だがあっさり終わるなんてのは有り得ないだろう。城に侵入する際の陽動も上手く行くか分からない。何より其の城の辺りには実力派の抜け忍がうようよいるとの噂まである。
「潮江、良いこと教えてあげようか」
「五月蝿い寝るならさっさと寝ろバカタレ」
珍しくが黙りこくった。訪れた沈黙に安心すると同時に、何やら嫌な予感がする。
「……ふうん。わたしとある城の見取り図持ってたりするんだけどなあ」
わざとらしい台詞に勝手に体が反応した。くそ、眠れるか畜生!
結局あまり眠れず、太陽が姿を現し始めてしまった。俺の隣で至極穏やかな寝顔を晒しているを何度殴ろうと思ったか、最早数え切れない。全く忌々しい女だ、とか思いながらそっと布団を抜け出す俺を誰か褒めてくれ。
枕元に畳んでおいた制服を見やると、其の上に粗末な手紙らしきものが置いてあった。潮江へ、と書かれた其れを開く。
『死んだら殺す』
差出人の名前など書かれてはいないが、誰なんてのは聞かなくても分かることだ。無駄に整った字体で、言ってることが無茶苦茶で物騒な内容。わざわざ見取り図まで手に入れて、お節介も甚だしい。俺は心配されるほど弱くは無いし、死ぬつもりも殺されるつもりも無い。
素直じゃない奴なのは百も承知だ。嗚呼畜生、俺によく似てやがる。
「……布団は畳んでおいてあげるよ」
何時の間にか起きていたらしいがふっと微笑んで言った。絆されたつもりなんて無い。だが、
「当たり前だ、バカタレ」