頼りになる先輩であれと、わたしは自らを追い詰めてきた。どんな時でも正しい答えを、優しい答えを、後輩達へ導けるように。しかし優しいだけでは後輩の為にならない。必要な時には叱り、道を正し、褒める。憧れを抱ける先輩像を追い求め、そうして手に入れたのだ。
何の為に? 愚問だ、自分の為に決まっている。生きていく上で恋愛とは違う好意を持っている人間は強い。弱者になりたくなかったのだ。恋は脆い。憧れは強い。
そんなことばかり考えていたからだろうか、わたしは何処かで道を踏み外したようだ。
くのたまの友人達は誰某のことがかっこいいだの、好きだの、付き合いたいだの、其の類の感情を隠すことをしなかった。実際、何人かは忍たまと男女の仲になっていたり、若しくはそうなろうと努力を積み重ねている。対するわたしは常に聞き役に回り、彼女達に的確な助言を与え続けている。
は恋をしない。何故ならは恋愛に全く興味を抱かない、友情やらを大切にするさっぱりした性格で、忍者になる為に日々奮闘中の頼れるくのたま六年生だからだ。其れはこの忍術学園における暗黙の了解で、ただの事実なのだ。
は忍たま達といても安全だ。何故ならはくのたまだけでなく、忍たまからも憧れの視線を受けていて、其れは決して恋愛には発展しない。くのたまは皆そう理解している。だからわたしが忍たま達と親しげに話していても誰も嫉妬しない。
だってだもの。そんなことにはならない。有り得ない。
───自分が作り出した現実が、今更辛いなどと言えるものか。
授業が終わったくのたまの教室で他愛の無いおしゃべりに(友人達が)花を咲かせていると、不意に友人の一人が思い出したように疑問を口にした。
「そう言えばの浮いた話って全然聞かないわよね」
「恋してないの?」
此処でわたしは自らを客観的に見詰めることが必要なのである。
は恋をしない。何故ならは恋愛に全く興味を抱かない、友情やらを大切にするさっぱりした性格で、忍者になる為に日々奮闘中の頼れるくのたま六年生だからだ。
つまりこの質問に対する答えは既に用意されている。
「うん、今は無事に忍者になれることの方が大切だからね」
流石、らしいわ、友人達は納得したように笑う。なあ、わたしらしいって何? 一瞬そんなことを考えて、笑って打ち消す。
こうなるように仕向けたのはわたしなのだ。は恋愛に全く興味を抱かない、友情やらを大切にするさっぱりした性格で、忍者になる為に日々奮闘中の頼れるくのたま六年生、其の像を作り出したのは紛れも無く自分なのだ。だから、この友人の発言は大成功なのだ。胸が痛む筈が無い。自らがこうなるように行動してきたのだから。痛くない痛くない。
友人達が再び恋の話題を膨らまし始めたので、わたしは静かに腰を上げた。
「委員会の当番だから、もう行くわ」
「いってらっしゃーい」
「あ、不破君の当番の日は教えてね!」
図書委員会副委員長、其れがわたしの肩書きである。副委員長など名ばかりのもので、委員会の殆どは中在家が仕切っている。わたしはただ中在家の指示通りに動くだけだ。
不破は中在家の指示通りにしか動かないわたしをとても慕ってくれている。友人は其れを知っていて、且つ不破のことが好きなのだ。故に同じ図書委員であるわたしに、不破の当番の日が何時なのかを尋ねてくる。勿論、断る理由も無い。
「はいはい」
わたしはわざとらしく両肩を上げて苦笑を零し、適当な感じに手を振って教室を後にする。友人達はわたしがいてもいなくても、変わらず楽しそうに話を盛り上げている。悲しい? いやいや、子供じゃないのだから。
わたしは最近悩んでいることがある。しかし友人達に打ち明けることは出来ない。友人以外なぞ論外だ。よって、何だか苦しい。
五年ろ組の学級委員長、鉢屋三郎。奴に恋をしているのである。誰がって? 恋をしないがだよ。
こんなこと言える筈が無い。だっては恋をしない。何故ならは恋愛に全く興味を抱かない、友情やらを大切にするさっぱりした性格で、忍者になる為に日々奮闘中の頼れるくのたま六年生だからだ。周囲の常識を覆す勇気なんて無い。そもそも今まで創り上げて来たを自ら殺すなんて馬鹿みたいだ。
だが胸の内でもう一人の自分が囁く。好きな人がいることは悪いことでは無いじゃないかと。
違う違う、全然違う、わたしは皆に平等でなければいけない、だってわたしは恋をしないなのだ。
わたしは思わず顔を顰めたくなる程の不細工では無いと信じたいが、十人中十人が振り向くような美人ではない。外見で人より秀でているとは思えない。だから恋愛の土俵に上ることを即座に諦めたのだ。代わりに色んな人から慕われる、友情において裏切られない人間を目指したのだ。は恋愛においては安全だと、そう思って貰えるように。
そんなわたしが鉢屋に告白すれば如何なるだろう? くのたま達はわたしを嫌うかもしれない。「今まで恋愛に興味無いって言っていたのに、嘘だったの」と嫌悪されるのは嫌だ。優しい友人達は口には出さないかもしれない。でも胸の内ではわたしを詰るだろう。
わたしは恋愛より友情の人間なのだ、そうなるように努力してきたのだから。
今更言える筈が無い。だって言えばわたしは卑怯者だ。害の無い人物像を演じてきたのがこの為だと誤解されたくない。以前のわたしは本当に恋愛の類にちっとも興味が無かったのだから。本気で恋愛に全く興味を抱かない、友情やらを大切にするさっぱりした性格で、忍者になる為に日々奮闘中の頼れるくのたま六年生を目指してきたのだから。
何故鉢屋を好きになってしまったのか、自分でもよく分からない。分からないので隠す。とりあえず、学園を卒業するまでは隠し通さなければならないに決まっている。
図書室には既に中在家がいて、本の貸し借りの受付と同時に、古くなった本の修繕作業を行っていた。中在家はわたしに気付くと月決めの図書委員の当番表を見せた。今月は第一週が中在家、第二週は能勢、第三週は不破、第四週はきり丸と当番をするようだ。
中在家がぼそりと声を零した。山田先生に呼ばれているから暫く空ける、とのことだった。へい、と返事をして中在家と作業を交代した。ありゃ、虫食いの修繕かよ。面倒だなあ。とか思いつつ、殆どは中在家が丁寧に直してあるので、わたしの仕事は楽なものだ。
少し埃っぽい図書室の空気が好きだ。墨の匂いと僅かな黴の匂いとが混ざって、嫌いな人はとことん嫌いだと断言するのだが、わたしは好きだ。薄暗い匂いが自分に似ているからかもしれなかった。
……何か、嫌な方向に思考が飛んだ。やめよう。とりあえず山積みになった修繕しなければならない本達を如何にかしよう。中在家が帰ってくるまでに三分の一は終わらせてしまいたい。作業に没頭すれば馬鹿なことを考えずに済むし、うんうん。
一人きりの図書室は、やっぱり孤独だ。
「先輩」
中在家が帰ってくる前に、不破が顔を出した。と、思ったのだが、鉢屋だった。と、思う。確信した訳では無いので、挨拶だけした。相手は小さく頭を下げただけだったので、九割がた鉢屋であるとは思う。不破は挨拶する時、必ずにこっとするから。
わたしは鉢屋と不破を見分けられない。残念だが、鉢屋から自ら名乗ってもらわないことには判断出来ないのだ。よってこの男が極端に機嫌の悪い不破である可能性もある訳で、しかしそんなことを考えていると頭が沸騰しそうなので適当にする。
わたしは本当に鉢屋が好きなんだろうか、こんなにもいい加減なのに、と思い、いや本当に好きなんだよと反芻するしかない。馬鹿だ。
「中在家先輩から伝言です、『今日は任せた』」
「わざわざありがとう」
鉢屋です、と不破の顔が言った。そっか、鉢屋か。確定。
「図書委員じゃないのにすまないね」
「偶然私も山田先生に用がありましたので」
鉢屋はわたしの隣に座り込み、壁に背を預けて修繕済みの本を一冊手に取った。
「……借りても?」
「じゃ、これ記入してくれる?」
小筆と貸出票を手渡すと、鉢屋は流れるように滑らかに名前を書いた。何時も思うのだが、鉢屋はすごく字が上手い。
とりあえず修繕しなきゃいけない本は半分にまで減らすことが出来ていた。思ったより難しい修繕は無く、中在家が率先して面倒なのを片付けてくれていたお陰だ。ありがたや。今度街に出たらお礼に饅頭でも買ってこよう。
鉢屋は黙々と借りた本に視線を落としている。わたしは出来るだけ姿勢を正して作業する。緊張していた。鉢屋は静かに本を読み続けているだけで、こちらを気にする素振りは無いのが唯一の救いだった。数歩もすれば触れることの出来る近さは、心臓に悪いだけだ。
それでもわたしは六年生なので、そんなことは億尾にも出さずに修繕を続ける。うわ、これ墨ぶっかかってるじゃん、駄目だ、本文分からん。
「先輩」
「んー?」
筆を動かしながら鉢屋の声を聞く。光に透かせば本文見えるだろうか。いやでも被った墨と同化しちゃってるから無理か。
「……先輩は、皆から慕われてますよね」
「……努力はしてるよ。でも皆なんて無理だよ、有り得ない」
全ての人から慕われる人なんていない。神様や仏様じゃないのだから。変なことを言うのだなあと鉢屋に返せば、彼は重い溜め息を吐いてわたしを睨み付けた。思いの外目付きがよろしくない。僅かに混じった殺気に、少し息を呑む。
じり、と鉢屋がわたしに近付く。
「では、私があなたに憧れていると思いますか」
「そんなまさか」
わたしは鉢屋のようになりたかった。常に飄々とした態度で、忍を目指す者として恥ずかしくない実力を兼ね備えて、影で努力を怠らない、わたしの目指す理想像、其れが鉢屋なのだ。其の鉢屋がわたしに憧れる筈が無い。当たり前だ。彼はわたしより遥か上にいるのだから。
「……知らない癖に勝手に決め付けないでください」
「え、あ、? えと、……ごめ」
質問したのはそちらだろう、とは言わなかったが、わたしはもの言いたげな顔でもしていたのだろうか、鉢屋の掌がわたしの口を押さえ付けた。ぎろりと音が出そうなくらいに睨み付けられて、思わず縮こまりたくなるのを如何にか押し留める。わたしは仮にも六年生だ、五年生の鉢屋が如何に天才かつ秀才であったとしても、簡単に倒されるようでは駄目だ。
「ああもう! 馬鹿な人ですね!」
図書室で大声を出すのはいけないんだぞと思ったが、生憎わたしと鉢屋しかいないのでそんなことを言う必要も無かった。視線は鋭くわたしの目玉を貫かんばかりで、妙に口の中が乾いた。
そりゃ鉢屋に比べれば低い頭脳しか持ち合わせていないけれど。でも幾ら考えても、鉢屋がわたしに対して怒っているということは分かるのに、原因を突き止めることが出来ない。何だ、わたしはこんなに睨まれなきゃならん程鉢屋に迷惑を掛けたんだろうか。もしやわたしが鉢屋を好きなことが露見したとかそんなえげつなくとんでもないことが起きてしまったとか? 駄目だ無理だ嫌だ!
どうしよう、今すぐ逃げ出したい。就職したい。学園からさっさと出て行けるならそうするから、どうかわたしを罵るのは仕方無いんだけどちょっと控えめにしてほしいというか、……。
鉢屋の手が口から離れた。え? 何で? まさか其の手で平手打ち? いや殴り付ける? なら歯を食いしばっておかないとな、大丈夫、鉢屋はきっと殴るのも上手にやってくれるだろうよ、頑張れわたし。
───鉢屋は目を伏せると睫毛が長いんだなあと思った。次に頬から耳を覆うように頭巾越しに手が添えられていたことに気付いた。指長い。そしてこうして間近で見ても鉢屋の変装は完璧で、こんな風に大人しい表情をしていると本当に不破と見分けがつかなかった。……ん? なんか顔が近いような。近過ぎるような気がする。
「……何で歯を食いしばるんですか?」
不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、鉢屋は呟いた。何でってそりゃ、殴られて口の中切ったら処置がめんどくさいじゃないか。舌でも切ったら更に面倒だし、わたしは特に間違ったことはしていないぞ。
「本っ当に鈍感ですね、其れでも六年生ですか?」
ゆっくりと離れた鉢屋は舌打ち交じりに最後にそう呟いて、鉢屋は立ち上がった。
…………え?