「ねえねえちょっと蛇骨さん」
「うるせーな、ちょっと黙れよ」
「……犬の糞踏みましたけど」
「なあお前ぶっ殺してもいいか?」

 踏んだ蛇骨さんが悪いのでしょう、とは馬鹿にしたように鼻で笑って指をさす。

「ほら、井戸がありますよ」

 蛇骨はが何を言いたいのかをすぐに理解した。踏んでしまった犬の糞を其処で洗い流せば良いと言っているのだ。成る程確かに草履に付着した其れを洗い流すのには充分な量の水が其の井戸にはあった。
 水を汲むと蛇骨は嫌そうな顔をして草履を洗う。は其れをぼんやりと眺めながら三色団子を食べていた。

「……おい、俺の分は?」
「無いですよ。これわたしの金で買ったものですから」
「セコイぞお前! 俺にもくれよ」
「何で蛇骨さんにあげないといけないんですか」
「そりゃあ、俺だって腹減ってんだよ」

 洗い終わった草履を軽く振り、水気を飛ばすと蛇骨は不満そうに自分の腹を撫でた。はもごもご言いながら団子を食べていて、先程の戦で浴びた返り血が自分のそれなりに気に入っていた着物にべったりとシミを残してしまったのも気に入らない。蛇骨は新しい着物が欲しいと口に零した。は食べ終えた団子の串をぷらぷらと咥えながら「諦めたらどうです? どうせ人間なんて此処には居ませんよ」……確かにそうだ。だって自分達が殺してしまったのだから。
 水分を払ったつもりでもまだぐちょぐちょとする草履が気持ち悪いと蛇骨は思った。
 蛇骨はちぇ、と軽く舌打ちをしてから崩れてしまった髪を直そうと簪を抜いた。ばさりと音を立てて漆黒の髪が肩に散らばる。其れをまた手でまとめると器用に高い位置で結い上げて簪を挿した。何でもない一連の動作なのには食い入るように見つめていた。

「良いなあ」
「は? 何がだよ」

 ぼそりと呟いた一言はばっちり蛇骨の耳に入ってしまい、は口をつぐんだ。

「いえ」

 ……何でもありませんよ。はからからと笑って返しただけだった。
 此処のところは様子がおかしい。蛇骨が着物を調達するたびに羨ましそうに其れを眺めて「わたしも着物欲しいなあ」とだけ言ってす直ぐに「いえ何でもないです」と否定する。
 は自分の髪がこの前妖怪に切られてしまったとき、地面に塊のようにしてばさりと落ちた黒髪を悲しそうに見ていた。腰まであったの髪は今は肩にもつかないくらいの短さで、曝け出されたうなじが寒い。まあ、春の陽気ではあるので肌寒いといった程度ではあるが。
 蛇骨はのそんなぼんやりとした呟きやら行動やらを一つも零さず覚えていた。やはり様子がおかしいと思い、蛇骨は不思議そうな声を隠さずに尋ねた。

「なあ、お前なんか最近変だぞ」
「男が好きな蛇骨さんには言われたくないですよ」
「男が好きで悪いか!? 悪いのか!?」
「……いや、気持ち悪いなあ、と」

 蛇骨は引き攣った笑いを浮かべた。危うくに手を出してしまうところだった。蛇骨の右手は愛刀の蛇骨刀に伸びていた。気持ち悪いとはひどい言いようだ、と蛇骨は思った。は何時も言葉を選ぶのが下手糞だ。
 団子の串をぷらぷらと加えるの口の隙間から覗く白い八重歯を蛇骨は横目で見ながら、ぐちょぐちょと草履を鳴らして前を向いて歩いた。太陽が眩しい。こんな日は昼寝をするのが良い。

「蛇骨さんは、美人ですよね」
「は?」
「だって、紅も似合うし、簪だって……」
「お前だって紅くらいつければ良いじゃねーか」

 はふるふると首を横に振った。

「わたしなんかに似合いませんよ」

 寂しそうに笑うと蛇骨の髪に手を伸ばした。

「良いなあ」

 ほらまただ。何が良いと言うのだろう。羨ましそうな視線が蛇骨の髪に注がれている。

「お前だって女なんだからもっと洒落た格好しろよ」
「だから何時も蛇骨さんと一緒に着物調達しに行くじゃないですか」
「でもは何時も地味な奴ばっかり選ぶじゃねーか」
「わたしに派手な着物が似合うと思うのですか?」
「似合うだろ、女なんだしよ」

 あっさりと言い捨てるとは首をかしげた。

「蛇骨さんって、女はお好きじゃありませんでしたよね」

 其れは事実だった。実際と初めて会ったときは着物を剥ぎ取る為に殺してしまうつもりでいたのに、もう二年も過ぎている。七人隊の中でもは救護や食事、家事をこなしてきた女中のような役割を果たしていて、其の上、刀さばきは其処らに居る女などとは比べ物にならないほどに鮮やかなものだった。
 早い話、は七人隊に必要とされていた存在だった。だからと言って女嫌いの蛇骨と一緒に行動する理由にはならない。蛇骨は首を傾げた。最初は会話さえしなかったのに、今は口喧嘩をするのが当然となっている。時の流れの所為だろうか?

「わたし蛇骨さんみたいになりたかったです」
「……のままでいいだろ」
「そんなよくある慰めいりませんよ」

 は涙目になりながら、蛇骨を睨みつけた。僅かに込められた殺気は弱弱しく、どうせ直ぐに自ら打ち消してしまうのだろう。

「贅沢な奴」

 蛇骨はからからと笑ってみせた。

あの道のはるじおん

110508