急に生半可ではない破壊衝動に襲われる。目の前のものを形振り構わずぶっ壊してしまいたくなる。常識であるとか体裁であるとか、そんなものは頭の隅から消え、何もかもを原型を留めない位にぐちゃぐちゃにしてしまいたい。今日はそういう日らしかった。
暴れる感情を隠し切れない私の頭を女の手が撫でる。目の奥が熱い。
爪を噛もうとすると私の手は女のそれに覆われた。ぬるい体温が思いのほか心地よく、しかし従ってなるものかと振り解いて私は女を睨んだ。女は突き刺さる私の視線に痛みなど感じないのか、へらへら頼りなく笑って私の額に指を滑らせる。
「良いよ鉢屋、無理するな」
馬鹿なことを言うものだ。私が腹の底に押さえ込んでいる諸々を隠すなと言う。そんなことをすれば如何なるかなんて火を見るより明らかなのに、何故戯言を吐き続けるのだろう。
問い掛けても女は柔く笑んで「そんな気分なんだよ」しか言わない。
お前を殴り付けたり蹴り付けたりするかもしれないと私が言うと、別に殴り付けても蹴り付けても構わないと女は言う。殺すかもしれない、と言えば、痛いのは好きじゃないけどなあ、と言いつつ女は何故か私を肯定する。
「ああほら、唇噛むな。血が出てる」
五月蝿いと言ってやろうと口を開くと指を突っ込まれた。女の細い指先が私の舌を押さえ、手拭いが唇の上を掠めていく。ぴりぴりとする小さな痛みのせいで眉間に皺が寄った。女の手首を掴んで口許から引き離す。白い手拭いには汚れた赤が一本の線を描いている。
女の白い指先に自分の唾液が糸を引いたのが見えた。女は特に嫌がる素振りも見せず、指先を拭うこともせずに大人しい。今度こそ私は五月蝿い、不愉快だと文句を並べた。しかし女は頷くばかりで傷付いた素振りも見せない。
「はは、ごめんごめん、こーでもしないと抵抗するじゃん」
強く睨み付けても女は笑うだけだ。腹の奥が酷く熱い。吐き出してしまいたいと思ってから、一体何を吐き出せば良いのかと考えた。明確な答えは頭のなかに存在しない。
女の手首をぎりぎり握り締めて、そうしてこのまま折ってやろうかとも思う。女は眉間に皺を寄せて耐えている。痛いはずだ、なのに何故抵抗しないのか。文句も言わず、私にされるがままになっている理由は何だ。
死にたいのだろうか。だがいまから死にたいと思っている人間が、こんなにも穏やかな顔をするものだろうか。
「風呂でも入ってさっさと寝なよ」
背中を軽く撫でられて気付いた。女の瞳には水の膜が薄く張っていて、手首には私の残した爪痕から僅かに血が零れている。
「だいじょーぶ、そう簡単にくたばってやらないからさー」
馬鹿なのか。女の手首には爪痕だけで無く私の指のあとがくっきりと残っていて、見ていて痛々しい。それでもへらへら笑って私を抱き締める。馬鹿だ、こんなことをして何になるというのだ。お前も私も救われやしないのに。
「心外だな、救われたくてこんなことしてる訳じゃないよ。だから鉢屋はもっと自分に正直に生きて、仲間を頼って良いと思うんだけどもね、でも他人にとやかく言われるのは嫌いだろうから今まで黙ってたんだけども、いやーわたしもそろそろ言いたいこと言ってスッキリしたかったんだよねー、すまんすまん」
女は柔らかく目蓋を伏せ、私の眉間に指先を当ててぐりぐりと押した。
女の言葉には奇妙な逆接が多い。そうして責任を全て自分の上に乗っけて、全然重くないのだと分かりきった嘘を丁寧に吐く。一瞬それは本物に見える。
だが、一枚剥がせば、弱弱しい顔をした女がいる筈なのだ。
「わたしはわたしのしたいようにしてるだけだし、鉢屋もそーすりゃ良いんだよ、多分ね」
眉間から離れた指先が私の前髪を撫で付ける。いや、これは私の本当の髪ではなく、……イチイチそんなことを考えると頭が痛い。ただでさえ私は今苛立っているのだから。
ひとつ息を吐いて、女は滑らかな動きで立ち上がった。この場を去ろうと動き始める女の足首を思わず引っ掴み、私は目の奥に滲む水分を認めたくないがために女の足首を引く。女は簡単によろけて見せた。
自室の床の上へ仰向けに転がった女は、ただただ私を見上げている。その目に同情の色はなく、かと言って熱が篭っている訳でもない。女は静かに呼吸を繰り返し、床に黒髪を散らばらせたままじっとしている。
薄暗い灯りの中、艶めく黒髪が手伝ってか、女の顔はいつもよりも随分綺麗に見えた。
手に入らないのだ。へらへら笑って私を息をするように絡め取ってしまうのに、私は女を捉え切れない。腸が煮えくり返りそうだ。骨の感触がする手首に爪を立て、その顔に肌を近付ける。女は困惑した眦を隠そうともしない。
その目尻に口付けて、やっと私は満足した振りをして自分を騙す。
白い首に指先を這わして、私は漸くわらった。