※団蔵成長|六年設定




 一日の授業が終わったので、加藤が帳簿整理を行っているであろう会計室に向かう。泣き落とし作戦をする為に飼育小屋から愛くるしい動物を連れてきた。肩の上で大人しくしているにゃんこ、右手の帳簿の上でじっとしている狐、左手にしがみ付いている狸。少し重いが、予算をふんだくる為には重要なのだ。
 もうすぐ予算会議の時期である。毎年この時期になると会計委員長は生きる屍となって筆を動かし続ける運命にあり、其れを五年間見てきた加藤が、遂に自分の番が回ってきてしまった! と絶望に打ちひしがれているのを最近見た。頭を使う仕事は任暁がやれば良いのに! と泣き言を吐く加藤の味方は残念ながら会計委員会にはいない。
 そもそもじゃんけんで委員長を決めようと自ら提案した加藤が、あっさり負けたのが悪い。自業自得である。その後食堂でほくそ笑んでいた任暁を見てイカサマの類が無かったとも言い切れないが、まあ怖いので言及はしない。
 すぱん、と軽い音を立ててわたしは会計室の戸を足で開く。室内に篭った墨の匂いが鼻を突く。にゃあ、と肩の上のにゃんこが鳴いた。とても愛くるしい。

「かとーう、予算寄越せー」

 既に死にそうな顔をした加藤が算盤を弾いていた手を止めて、生物委員会の会計帳簿を持って会計室の前に立っているわたしを確認した。動物を侍らすわたしの姿に苦笑を零す。

「いやいやあんたの苦笑を頂いたって生き物達の栄養不足がどうにかなる訳じゃないんだけど」
「キッツイこと言うなあ相変わらず…」
「見ろ、この悲しげな目を! こんなに可哀想なこいつらに向かって『今回も予算を削らさせていただきました』なんて言えるのかね加藤君!」

 泣き落とし作戦、決行である。
 円らな瞳を水分で充分に満たし、じっと加藤を見詰めている動物達を見れば、加藤とて心が痛まない訳では無いだろう。歴代続く地獄の会計委員長がいくら鬼と称されていても(まあ加藤はそれほど鬼じゃないが)、所詮人の子なのだ。例えわたしが勝手に拾ってしまったこの動物達を飼育するのに生物委員会の予算を用いることを叱りたくとも、加藤はわたしに強く出れないのだ。幼少期から刻み付けた(トラウマ)、くのたまとしての誇りはとっても役に立つ。くのたまばんざーい。

「あのなあ、会計委員長として個人の理由で勝手な予算を下ろすことは許されないっていつも言ってるだろ?」

 いつも通り正論を吐く加藤だが、それだけだ。イマイチ説得力には欠ける。潮江先輩のように口を挟む隙を与えず只管「却下!」と切り捨てる訳でも無く、田村先輩のようにユリコやらカノコやらサチコやらをぶっ放す訳でも無く、神崎先輩のように常時迷子で予算会議自体を始めずに予算編成を組ませないという訳でも無い。甘っちょろいのである。

「何言ってんの、この子達は忍犬にも匹敵する能力を身に付けてるんだから、立派に学園に貢献してるでしょ。授業で必要な時だってある」

 加藤はわたしに口で勝てたことなど無い。今回も既に敗北が見えている加藤なんてちっとも怖くない。何度か応酬を繰り返せば、くのたまの奴らは何でこうも口が達者なんだ、と泣きそうになりながら加藤が頭を抱えた。よし、今回も充分に予算を貰えそうだ。ちょろいちょろい。

「……確かに、授業で役に立つかもしれないが、数を考えろよ」
「そんなに多くないよ。犬も猫も狐も狸も一匹ずつ、小さい生き物の数は多くても予算には響かない」
「でも維持費かかるだろ?」
「じゃあ加藤はこれから半年、飯無しで生きていけるんだね?」
「何でそうなる!?」
「いやだから、別に予算を大幅に増やせとは言ってないじゃん、少し増やして欲しいだけ」

 まあ嘘だが。

「それが出来ないっつってんだよ」
「……へえ?」

 溜め息を吐く加藤に対して、わたしはにっこり笑みを貼り付ける。加藤がひっと息を呑んだ。後ろには不動明王がいるとでも?
 数日前の食堂で、どの委員会の予算も今期はかなり厳しく、はっきり言って全く余裕が無い、と任暁が零していたのを聞いた。しかし生き物達の栄養不足は事実だ。ここで加藤がわたしの要求を断れば、無論実力行使である。だが、口に出すのも憚られるほど恐ろしい目にわざわざ遭いたいと思える程度に自虐的では無いであろう加藤に残された選択肢は一つ。つまりは会計委員会に与えられた予算其の物を削ることである。
 恐らく今、加藤の脳内ではわたしと任暁を天秤にかけ、どちらがより恐ろしいかについて作戦会議中であろう。しかしそんな会議は無駄である。この学園で敵に回してはいけない人物は誰か? 当然、女性である。学園長先生ではないのだ。山本先生のがよっぽど恐ろしいし、食堂のおばちゃんを敵に回せば間違いなく餓死である。
 わたしは動物達を扉を閉めた会計室の中で放し、生物委員会の会計帳簿を加藤に差し出した。足元をすりすりしてくるにゃんこにデレそうになるが、しっかり堪える。狸が加藤の忍び装束の中に顔を突っ込んでふんふんしている。ふはははは、可愛いだろう! 加藤が動物好きなことぐらい、一年の頃から知ってるんだよ! と高笑いしたいのも堪える。流石に学園で馬は飼えないから、加藤が一番愛してやまない馬で落とす作戦が出来ないのが非常に残念でならない。
 ずっと苦い顔をして必死に動物の愛らしさから耐えている加藤は、予算請求の欄に記された請求物品用例に目を通し、削れそうなものを探している。削ろうと思えば削れるものはある筈だが、わざわざわたしと口論をして勝てるとは思っていないのだろう、加藤はさっさと諦めて判を押した。無理、くのたまには勝てない、と加藤は仰向けに床に転がった。
 判がしっかり押されたことを確認して、わたしは机の上の帳簿を受け取った。これで生き物達が飢え死にすることはあるまい。満足して、ふと机の上に広がっている会計委員会の帳簿を見て、あまりに衝撃のあり過ぎる光景だったので思わず加藤の頭を叩く。加藤は呻いた。わたしは怒鳴った。

「何故! 潮江先輩、田村先輩、あの神崎先輩ものご指導を賜っておきながら、何故一年の頃から全く進歩していないんだよ!」
「カエスコトバモゴザイマセン」

 既に生きる屍と化した加藤は力無く返事をする。

「そんなんでよく会計委員長になれたな! こんなもん読めるか!」
「モウシワケゴザイマセン」
「謝って済むなら警察はいらねえんだよ!」
、ここ室町!」
「急に正気に戻んな!」
「スミマセン!」

 会計委員会の帳簿に散らかった文字(多分)と加藤を睨み付け、ふんと鼻を鳴らした。加藤がわたしに強く出れない訳は、わたしがくのたまだからという理由だけでは無い。わたしが毎度予算会議で会計委員会の手伝い(帳簿整理)をしているからなのである。わたし生物委員会だけどな。
 六年になっても一向に字の上達しなかった加藤の手から筆を奪う。会計委員会の帳簿にのたくり回っている蚯蚓字からは、普通の人ならば何も読み取れないだろう。わたしは加藤を机の前から蹴り飛ばし、机の横に山積みになっている新たな帳簿に手を伸ばした。
 加藤は顔面に乗っかった狐や、遂に装束の中で落ち着いてしまった狸にデレデレになりながら、申し訳無さそうにわたしを見た。一年の頃から変わらない、困ったような笑顔。

「……ありがとな、
「……別に」

 その顔を拝みたくて帳簿整理をするわたしも、同じような顔をしているのだろう。




先輩どこにいらっしゃいますか!?」
先輩! 任暁先輩がお呼びです! すぐに会計室に来てください!!」
「何で先輩は会計委員じゃなくて生物委員なんですか!? もういっそ会計委員になってください!」

 虫取り網と竹籠を手に、校舎裏でわたしと夢前三治郎が蛇を追いかけているところを、会計委員の下級生達が半泣きで走って通り過ぎていった。涙目になりながらわたしを呼び、ひたすら走り回る下級生達のなんて可哀想なこと。一名何か文句言ってるけど。

「あっ、先輩!!」

 下級生のひとりが、すごい勢いで戻ってきた。その形相があまりにも必死なので、わたしも夢前も思わずぽかんとして、わたしの手を逃がさないようにぎゅうぎゅう握って放そうとしない下級生を見詰める。いたぞ、先輩だ! 声を張り上げる下級生に釣られて残りの数名もぞろぞろと慌てて姿を現した。




 放課後、会計室にて起こった事のあらましはこうだ。

『……おい、呼べ』

 任暁が溜め息を吐いて、何時ぞやの先輩から何故かずっと受け継がれている有り得ん重さの算盤を弾きながら後輩に言ったらしい。たった一言に日頃の疲労と鬱憤がたっぷりと含まれてしまっていた為に、深い事情を知らない、いたいけな下級生達が少々(かなり?)ビビってしまっているのだが、任暁はさっぱり気付く様子が無く、早く呼んでこい、としか言わないので、慌てて下級生達はわたしを探しに学園中を走り回っていたようだ。

「……、早く行っといで。残りの蛇は僕が見つけておくし、毒虫は虎若と孫次郎で何とかするよ。下級生は一平に任せて」

 夢前はやんわり笑って、わたしの手から虫取り網を取った。夢前の背後の遠くで、地面に這い蹲って箸を片手に毒虫を摘む作業を繰り返している佐竹や初島が見える。うろちょろする下級生を纏めている上ノ島には感動して涙が出そうだ。

「ありがと夢前、じゃあ飼育小屋の鍵渡しとく。あと小屋の下の穴は用具倉庫からベニヤ板貰ってきてあるから、とりあえずそれで塞いで」
「りょーかい、行ってらっしゃい」

 下級生達の信じられないほど強い力でわたしは腕を引っ張られ(千切れそうだ)、会計室に強制連行されたのであった。




 下級生に引っ張られ、手拭いを首に掛け、額に浮かんだ汗をそれで拭いながら登場したわたしを見て、鍛錬中だったと勘違いしたらしい任暁が申し訳無さそうに視線を逸らした。少し乱れた髪を撫で付けながら、わたしは任暁の隣に腰を下ろす。

「鍛錬中だったか、すまん」
「脱走した蛇捕まえてただけだよ」
「……そうか」

 生物委員会が相変わらず脱走を繰り返す生物を捕まえるのを委員会活動としていることに、任暁が些か呆れているのが手に取るように分かる。仕方無いんだ、予算ギリギリな所為で飼育小屋がぼろっちいから。
 任暁は机の上に重ねられた帳簿から、一番上のものを取ってわたしに手渡した。ぺらぺらと頁を捲り、ああ、とわたしは納得する。加藤の文字解読。最早茶飯事なのである。しかしわたしはくのたま、ただで働く程安くはない。

「……大松屋の水饅頭がこの季節美味しいよね」

 にこりと笑って爆弾を投下すると、更に任暁は呆れ果てた(疲れ果てた)顔付きで息を吐き、暫く目蓋を落として眉間に皺を寄せた。唸り声が漏れる。水饅頭は餡団子や羊羹に比べると若干値が張ることを分かっての発言である。あと個人的にすごく好きなのだ、水饅頭。脳内で財布と相談を済ませた任暁は苦虫を噛んだような顔で妥協した。

「……二個までな」
「うし、乗った!」

 疲労の全てが乗ったような息を吐いた任暁は、下級生達がまとめた帳簿に目を落とし始めた。
 加藤の字を解読出来るのは土井先生とわたしだけなのだ。そして土井先生は只今職員会議中、任暁が頼れるのは生き物と下級生にしか優しくない、生物委員長のわたしのみ。水饅頭楽しみだなあ。
 そう言えば、先程のわたしを捜索するのに体力を使い切ったらしい下級生が周囲に転がって泥のように眠るばかりで、会計室に加藤の姿が見当たらない。事件の張本人がいないとはどういうことだ。

「加藤は?」
「村に用事があるんだと」
「へー」

 まあ良い。水饅頭がわたしを待っている。鼻歌なんかを歌いながら、乱雑というかここまでくると最早犯罪的な加藤の字(と言わなければならないのが納得出来ない、と任暁は何時も言っている)で纏められた(実際には散らかっている)会計委員会の帳簿(二冊目)の整理を始めた。

 自分がわたしの贅沢なおやつのダシにされていることなど露知らず、加藤がやっと村から帰ってきた。もう宵闇の中、毎度の如く返事の無いただの屍に成り果てかけている会計委員に混じってわたしが帳簿を纏め直している現場に遭遇した加藤は、やはり申し訳無さそうに笑った。
 加藤の字は、恐らく一生このままだろう。村では清八さんが解読しているそうな。

「……だーんーぞーおー……」

 断末魔の様な響きでもって(強ち間違いでは無いかもしれない)本物の屍になりかけている任暁が、加藤の足首を掴んでいた。目の下の隈が恐ろしい。何時ぞやの会計委員長にそっくりな眼差しである。加藤が心臓を吐き出すかのような声を上げた。吃驚した。

「わっ! もうやめろよ左吉! 心臓に悪い!」
「誰の所為だ馬鹿野郎……」

 まるで怨念の篭った声音で任暁は其れだけ言うと、ばたりと倒れて動かなくなってしまった。下手に説教されるより怖いのは何故だろう。ちなみに他の会計委員は既に夢の中である。殺人現場のようだ。
 わたしは筆を片してうんと伸びをした。丁度作業は終了した。あとは任暁が計算の間違いが無いかどうかを確認するだけだ。腰をぼきぼき鳴らしながらわたしは立ち上がった。

「じゃ、容疑者が帰ってきたんだし、帰りますわ」
「送ろうか?」

 いつもはそんなこと言わないのに、どういった風の吹き回しだろうか。わたしは周囲に転がる後輩達を見やって、近付いてきた加藤の頭を叩いた。あんまり叩くとあほのは組が悪化するかもしれないな、ちょっとは控えてやった方が良いかな。わたしは心優しい六年生くのたま、取るべき行動は分かっている。

「アホ、下級生送ってやんなって」

 お礼は饂飩一杯で良いよ、と釘を刺すことも忘れない。くのたま長屋への足取りが軽いことを自覚しながら、わたしの方があほだなと思う。いつになったらわたしは素直になれるのか。二人きりで、という条件を付けておけば良かったかも知れない、と思いながら、わたしは一度自室に戻り、風呂場へと向かった。




 わたしが去った後の会計室では、惚けたように加藤がわたしの後姿を見ていたらしい。

「……やっぱって格好良いなあ……」
「お前もう死ね」

 殺気の漲る眼差しで、任暁はそう吐き捨てたそうな。

楽園パレット

120321|アキさん、リクエストありがとうございました