「善法寺ってほんと忍者に向いてないよね。すぐ死にそう」
「行き成り失礼なこと言うね、君」

 苦く口許を引き攣らせた善法寺は、一度は薬を煎じる手を止めたものの、懲りずにまた手を動かし始めた。何でそうなる。
 そもそも自室で真夜中に突然「新しい薬の調合を思い付いた!」とか言って薬を煎じ始めるとか、非常識極まりないということをこの男は分かっているのだろうか。そしてそれが非日常で無いということ自体が明らかに間違いだ。心が広く根が優しいと定評のある食満を怒らせる位なのだから、そりゃあもうよっぽどだろう。流石あほのは。残念なイケメン。
 さて、分かりやすく先程までの状況を説明しよう。
 遂に自室を追い出されたらしい(当たり前だ)善法寺は、薬を煎じる道具を抱えてうろうろしていると、何時もの不運が発動して何故かくのたま長屋の敷地に足を踏み入れてしまったらしく、あちこちに仕掛けられた罠に引っ掛かって死にそうになっていた。お約束の不運発揮である。わたしは偶然外に出ていて、自室に帰るところだったのだが、地面に這い蹲ってさめざめと自分の不運を呪う善法寺を目撃してしまえば、助けない訳にはいかない。わたしだって鬼じゃない。
 とりあえず保健室に送ってやれば良いかと思っていたら、「部屋を追い出された、保健室は今日新野先生が作業をしていらっしゃるから行けない、今晩泊めて」と泣き付いてきたものだから面倒臭い。何でわたしが其処まで優しくしてやらないといけないのだ。恋人でもないのに。
 だがよく考えてみると、断れば新薬(劇薬とも言う)の実験台にされることは明らかである。自分の身は可愛いので仕方無く頷いてやったのだった。だって善法寺の作る薬は一癖も二癖もあってかなりキツイ。わたしはまだ死にたくない。自分の身は大変可愛い。
 しかし調子に乗り出した善法寺がわたしの部屋で薬を煎じ始めたのは計算違いだった。わざわざ泊めてやっているこのわたしの優しさを総無視するその神経の太さ、最早人の手には負えまい。好い加減腹が立ったので、こうしてわたしはぐちぐちと精神攻撃を仕掛けているのである。説明終わり。
 しかし説明を終えたところで善法寺が薬を煎じるのを中断することは無く、寧ろ悪化していた。殴って良いか。良いよな。
 わたしは何も間違ったことを言って踏ん反り返っている訳では無い。少なくとも一般常識に基づいた発言をしているつもりではある。これは正当防衛だ。つまり罪にはならない。

「善法寺って自分が怪我すると特によく笑うよね」

 唐突な言葉に手を止めずに首を傾げるという器用なことをして見せた善法寺は、イマイチわたしの嫌味皮肉を込めた言葉に気付いていない様だ。流石あほのは。そんなんでこれから先大丈夫か。何故作業を止めないのか。本当に殴っても構わないのか?

「そう?」
「苛立ってる時は髪弄ってる」
「…………」

 ごりごりと薬草をすり潰す手が漸く止まった。よし、もう一押しだ。

「落ち着かない時は指で遊んでる」

 善法寺の表情がすっこんと落ちた。

「……さて、わたしは何か間違ったことを言いましたかね?」
「…………仰る通りです……」

 力無く返事をした善法寺は、ようやく動きを止めた。笑顔を消して、時折髪先に触れていた指を膝の上で大人しくさせて。




 善法寺は最近自分の身に起こった不運をこと細かく述べ始めた。
 先日行われた五年・六年合同の演習で、善法寺は何時ものお約束通り見事な不運っぷりを発揮した所為で怪我を負っていた。しかもその原因は、望みもしないのに鉢屋と対峙してしまい、六年生で就職も間近に控えている身でありながらこてんぱんにやられてしまったからだ。いやもうドンマイ。お前は悪くないよ、相手が悪かったんだよ、運が無かっただけだって。
 なんて慰めみたいな言葉を投げたら善法寺は間違いなくどん底まで落ち込んでしまうだろうから、わたしは何も言わないつもりだったのだが、その落ち込みっぷりが半端では無かったので、ついつい口に出してしまうだけだ。悪気は無い。

「最終的に就職先が決まらなかったら、あの曲者さんのとこに行けば良いじゃん」
「ちょっと、不吉なこと言わないでくれるかい? 現実になったら如何するんだよ」
「ドンマイ」

 善法寺は半泣きでまた薬を煎じ始めた。何で? 如何してそっちに持って行っちゃうのかね善法寺君。寝ろよお前。
 余りに腹立たしいので灯りを消してやった。善法寺はあたふたと大袈裟な位慌てて「ちょっと! 今消されるとすごく困るんだってば!」しかし下手に動けば不運が発動しかねないので、じっとしながらわたしに猛抗議してくる。めんどくせーなー。
 その薬煎じ終えて寝なかったら綾部の掘った蛸壺に放り込んでやると脅し、わたしは灯りを付けた。わたしってばちょーやさしー。善法寺はでかい安堵の溜め息を吐いて、暫くゴリゴリやっていたが、満足したのか漸く作業を止め、布団の上でごろごろしていたわたしに向き合った。

「さ、左腕出して」

 出して、という口調の癖に、出せ、という命令形に聞こえる不思議。善法寺は骨は折れても、言葉を折らない男なのである。わたしは無駄と知りながらも疑問符を浮かべてみせた。

「何で?」
「隠したって無駄だよ、切ったんでしょう」
「……自分で切ったみたいな言い方やめてよ」

 強く断定した善法寺が手を差し伸べてくる。まさかこの為にわたしの部屋に乗り込んできた訳では無いだろうな、と疑って、それは無いか、と思い直した。現にわたしの左腕に塗りたくられている薬草を擂り潰したものは、今し方善法寺が作成していたものでは無い。善法寺が懐から取り出した大きな貝殻の中に収まっていたものだ。そして如何でも良いが、この薬、すっごいくさい。
 傷口は既に洗ってあったので、善法寺は特別怖い顔を作ることは無かった。過去に泥に濡れたまま傷口を放置していたら、治療時とその後に渡って延々と耳にタコが出来る程度にお説教をされたことがある為、傷口を清潔にすることぐらいは心掛けている。まあ当たり前のことではあるけど。

「全く、文次郎も手加減しないんだから……」

 確かにこの傷は潮江との戦闘で出来たものだった。何故それを善法寺が知っているのかは分からんが、そんなことを気にしていたら朝が来るので考えを放棄する。
 しかし善法寺、本当はわたしより潮江の方が重症なんだ、とは言わないでおく。どうせ知っているだろうし。寧ろ此方が全く手加減をしなかったから、向こうも手加減しなかっただけの話で、とも言わないでおく。話が長くなりそうだし。

「クナイで?」
「ちょっと掠っただけだよ」

 ただの組み手にすればこんな傷を負うことも無いのに、と善法寺は包帯を巻きながら不満げに言った。ただの組み手だけじゃ訓練にならんのに、やっぱアホのは組だ。

「はい、もう良いよ。また明日薬を塗るから、風呂上りに保健室に寄ってくれる?」
「へーい」

 すんごい臭い左腕を出来るだけ鼻から遠ざけてわたしは布団に潜り込んだ。善法寺もさっさと寝なよ、と声を掛けようとして思わず固まった。

「……何してんの……」

 きょとんとした顔で善法寺がわたしの布団の中から顔を出した。一瞬の出来事であった。

「だって布団に入らないと風邪引いちゃうだろ?」

 何故わたしがおかしいみたいな視線を寄越すんだ、ふざけてんのか。

「いや、なんでわたしの布団に入ってくんの? 押入れに予備があるんだけど」
「仙蔵みたいなこと言うね」
「何なの、自分に都合が悪いことは聞こえないのアンタ」
「だってめんどくさいじゃないか」

 眠たいから早く寝させてくれないか、とさっきまでの自分の行動をすっかり棚に上げて言うものだから、遂に思わず殴ってしまったのは不可抗力というか、仕方無いだろう。怒鳴り散らさなかっただけまだ理性的だったと言える。頭を押さえて涙目になっている善法寺は折角の整った顔立ちを情けない面構えに一転させ、ひどい、とだけ言った。

「酷いのはどっちだ馬鹿野郎、さっさと寝ろ永遠に」
「ちょ、永眠は駄目でしょう! 本当に酷い!」
「文句言うなら布団から出てけ」
「お休みなさい!」

 元気良く会話を終了させて本当に善法寺はわたしの布団に潜り込んでしまった。え、ええー…仕方が無いので押入れから予備を取り出し(若干湿っぽい、今度日干ししよう)、布団を思い切り被った。

「えっちょっと、何で予備出すの!?」
「五月蝿い黙れくたばれ寝ろ」

 それだけ言うと、やっと善法寺が静かになった。




「…僕、女の人と添い寝ってしたこと無いんだよね」

 おい寝ろ、五月蝿い。そう返すと善法寺はくすくす笑った。静かになったと思ったらこれかよ。わたしは寝返りを打って善法寺に背中を向けた。しかし善法寺の口はよく回る。誰がお前の初恋なんぞに興味があるというのか。少なくともわたしは無いわ。
 ぺらぺらべらべら喋り続ける善法寺が鬱陶しいことこの上ないので、わたしは布団から片足を出して善法寺に振り下ろした。蛙の潰れたような声をあげたので、鳩尾にきっちり決まったのかもしれない。しかし泣く子も(不運のあまりに)黙る保健委員会の長を務めるこいつはしぶとい。また喋り始めた。わたしは溜め息を吐き捨てる。眠い。

「女なら誰でも良いのか」
「まあぶっちゃけ?」
「よし分かった死んでこい、若しくは買ってこい、そして帰ってくるな」
「酷い!」

 こいつさっきから自分の身の上話と酷い! の発言しかしてないぞ。眠いなら寝ろよ、太陽が昇ったらどうしてくれる。
 わたしは再び寝返りを打って、善法寺に顔を向けた。暗闇に随分慣れた目は、はっきりと姿を捉えている。

「……善法寺は嘘を吐くと左上に視線が泳ぐんだよね」

 知ってた? わたしはくすくすと善法寺っぽく笑ってみせて、反応を窺う。しっかり固まって瞬きを繰り返すだけの善法寺に、もう一度足を振り下ろす。
 善法寺はモテるのだ。学園でも街でも、それは変わらない。女の人と添い寝したことが無い、なんて嘘をよくもまあ簡単に吐くものだ。別に良いけど。善法寺と付き合うであろうお嬢さんが、巻き込まれて不運にならないことを祈る。ついでにわたしがそのお嬢さんにならないことも祈っておく。神様どこだ。

「てめえの長所はそのツラと声と人当たりの良さと医学知識だけだよ」

 鳩尾を押さえて引き攣った笑みを浮かべつつ泣きそうな顔をした善法寺が、小さな声で「それだけ……?」と言った。それだけです。

約束の菫と憧れの野ばら

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