恋をしている人間は何時だって美しい。大抵の場合は。昼ドラ的展開に縺れ込む様などろどろの恋愛劇を繰り広げていない限りは。あ、ちなみにこの大抵の場合に当てはまらず、どろどろの恋愛劇を繰り広げているのはわたしじゃない。わたしの友人の食満である。
 食満は所謂熱しやすく冷めやすい性質の男であるが、今回は少しばかり様子が違うようだ。何時まで経っても冷める気配が無い。寧ろ熱が上がっている印象すらある。切れ長の眦が一定の女を見詰めているのを見詰めるのは、なかなか楽しい。憂いを帯びた表情を惜しげも無く晒しているのだから、見ないと損だと思うわたしは多分変だ。
 黙ってそーやってたら某イケメン事務所も放ってはおかないような容姿を持ってるくせに、後輩の面倒見が良過ぎてモテまくってるくせに、潮江と出会って過激な喧嘩を繰り広げるからその全てが無に帰すのだと、果たしてこいつは本当に分かっているのだろうか。ちなみにこれは反語表現である。つまり強調構文なのだ。分かりやすく言えば「お前黙って座ってたら良いのに」なのである。悪いことは言わないから本当に。
 後ろの席から身を乗り出して食満の少し長い前髪をくちばしピンで留めてやり、わたしは地方大会を控えた野球部の練習風景でも眺めておくことにする。あんまり食満を見詰めていると周囲に誤解されかねない。男女間の友情が成り立つか否かについては各個人で意見が分かれるところであるだろうし、わたしには噂の種になる願望も無い。食満はよくモテるから。なかなか成就しないが。成就しても長続きしないが。
 恋煩い特有の熱っぽい溜め息を吐き続けている食満は、くちばしピンの存在には気付いていない。無造作に留めた所為で若干跳ねている前髪が笑いを誘うのだが、まあ教えてやるつもりはさらさら無いので放置である。前髪に変なクセついてしまえ。
 薄汚れた教室の窓越しにグラウンドを見下ろす。トンボを持ってグラウンドを均しているのは一つ下の竹谷だ。気付くかなあ、と思いながら小さくひらひら手を振ってみると、偶然にも竹谷がこっちを視界に入れ、加えて大きく手を振ってくれた。元気良いなあ。若いって素晴らしいよね。一つしか違わないのにこの差は一体何だろうか。自分の老いをしみじみと感じる。
 がっと手首が強い力で急に固定され、目を見開いた。何事かと思うと手の主は食満だった。先程までの憂いたっぷりの恋情を含んだ顔付きは旅行中なのか、不機嫌そうな面でこちらを睨み付けてくる。おーこわい。子供だったら泣いてたぞ。

「どしたよ」

 あくまで惚けてみせるわたしに食満は苛立ちを隠そうともしない。

「やめろっつってんだろ、毎回毎回!」

 おや、珍しく気付いたらしい。乱雑にくちばしピンを自分の頭からもぎ取り、ちゃちな抵抗をするわたしの前髪に無理矢理装着させてふん、と一息鼻で笑い、満足したのか食満はさっさと体勢を元に戻し、恋に悩む青少年に早変わり。しかし前髪の一部が依然はねたままであるので何処か笑いを誘う。やっぱり面白いので指摘しない。
 一部始終を目撃していたらしい竹谷がトンボ片手に腹を抱えて蹲っている。竹谷の横に歩み寄ってきた久々知が首を傾げて、竹谷が指さした方向へ視線をずらした。窓越しに目が合う。久々知は「またですか」とでも言いたげな眼差しでわたしと、恋する少年食満を見て、未だに笑い続けている竹谷をグラブで叩いて去ってしまった。
 明日は化学の小テストだっけ。スケジュール帳に書き込んだ時間割を見て確認する。化学は一限だ。机の中に入れっぱなしの分厚い化学図録を取り出し、学生鞄の中から授業プリントを探し出す。無機化学って何であんなに覚えること多いんだろう、やっぱり生物選択にしておけば良かったかな。
 もう受験生かと思うと背筋が寒い。今から頑張っておこう。私立に行くお金が無いから国公立を目指さなきゃいけないし。食満はどこの大学に行くんだろう。やっぱ建築学科があるとこか。理工学部かな。理系の学部はよく分からない。
 はあ、と食満がまた溜め息を吐く。好い加減鬱陶しい。
 食満の視線の延長線上には、穏やかに笑う園芸部の部長の女の子がいる。そしてその隣にいるのは、無表情にざっくざっくと土をスコップで掘り返している綾部だ。そして結論から言えばこの二人は付き合っている。食満は見事失恋中、加えてこの恋を諦めきれずにしつこくねちねちと彼女を見詰め続けているのである。正しくどろどろの恋愛劇なのだ。
 別に食満が中学二年生から一向に精神年齢が上がっていないとか、悲劇の主人公カッコイイと思ってるとか、わたしにとっては関係無いしどーでも良いことなのだ。それなのにうだうだと食満を観察しているわたしは大層馬鹿だ。自覚済みだ。
 化学のプリントに視線を滑らせるのにも早速飽きたので、わたしも食満に見習って綾部と園芸部部長を見詰めてみる。わたしは花にあまり興味が無いので、花壇に植え付けられている花の種類はさっぱり判別出来ない。マリーゴールドぐらいなら分かるが。
 園芸部部長は赤くて小さくて可愛らしい花を綾部がやわらかくした土に鎮座させ、根元をやさしく押さえている。指先から慈愛が溢れているようだ。将来マリア像にでもなったら良い。食満が毎日三回は拝みに来るだろうよ。
 食満は本当に女の子が好きだ。女の目から見ても可愛いと判断されるような女の子が好きだ。別に批難はしていない。ただ、食満は女の子をまず見た目で判断するから上手くいかないのだ。最低だ。
 一体何人の女の子に惚れて、破れたのか。食満はそろそろ反省して心身共に成長しなければならないのではないか。何度繰り返せば気が済むのか、まさか一生続けるつもりなのか。と、問うてやれば良いのかもしれないが、めんどくさいのでしない。だってわたしに利益など無い。見返りを求めて何が悪い。

「あ」

 うっかり食満が小さな声を漏らした。綾部の口が園芸部部長の口を塞いでいる光景は、さぞかし深い傷を食満に与えたに違いない。絶望に満ちた表情で、しかし食満は視線を外さない。何でこんなにドMなのか。見れば傷付くだけだと食満は分かっていた筈だ。馬鹿なのか。馬鹿なんだろう。
 見た目が可愛い女の子の性格が可愛いとは限らない。そもそも外見と中身が一致する事例はそう多くないだろう、お前何年人間やってんだ、それくらい気付け。と、言わないわたしも充分性格が歪んでいる。
 綾部の眦が少しだけ緩む。園芸部部長は植えた花の色と同調して、今にも湯気が出そうだ。幸せそうなリア充じゃないか。見ているこっちも癒されるから爆発しろとまでは言わない。
 綾部が再びスコップで土を耕している。食満の傷も耕していることには気付いていないだろう。食満が泣き出しそうな目で二人を睨み付けている。三白眼なんだから止めておけば良いのに、今此処で園芸部部長が頭上を見上げたらおしまいだぞ。
 グラウンドに視線を戻すと、竹谷と久々知が戻っていて、ノック練習をしているらしかった。久々知の投げたスクリューが竹谷によって打たれた、と見せかけて、竹谷の打球はフライとして久々知に華麗に処理されていた。どんまい竹谷。声こそ聞こえないものの、うわああああああああと悲しい雄叫びを上げている竹谷を、やはり久々知がグラブで叩いて黙らせている。
 久々知が顔を上げた。わたしの存在を窓越しに確認すると肩を竦めて、それに気付いた竹谷もわたしを見上げた。そしてすぐに食満へ目線を流し、食満の延長線上の綾部と園芸部部長を目撃し、竹谷は再びうわあああああああと雄叫びを上げかけた。久々知のグラブが竹谷をぶん殴る方が早かった。
 目を逸らせば良い。食満もわたしも。なのにこうして視線を延ばし続けているのは、と理由を考え始めたが放棄した。シャーペンを指先で回しながら、何度馬鹿なことを繰り返せば飽きるのだろう、と思った。とてもじゃないが数えたくない。
 見返りを求めて何が悪い。わたしはマリア像にはなれないし、かといって食満とリア充になりたい訳では無いし、でも彼氏とやらを作ってみたいとは思っている。上手く行くと最初から分かっているのなら、試す価値など無い。
 平行線を屈折させる方法でも考えようか。わたしは退屈な授業プリントで食満の視界を塞いだ。

遮断のユートピア

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