※夢主が平成→室町にトリップ




 は頭が可笑しいとの定評のある人物である。嘘では無い。頭は決して悪くはないが、しかし可笑しいのだ。説明するにはの言葉を持ってすれば簡単である。例えば、だ。

「絵になるような人達って本当に目の保養になるでしょう? 出来れば至近距離で見詰めていたいくらいなんだけどさ、流石にそこまですると気持ち悪いと言われ兼ねんから自重するよ! わたし偉い!」

 このようなことを常日頃から口にしている。加えて自己完結型である。基本的にこちらを話を聞かない。いや、確かに人の話は聞くし内容を理解はしているようだが、だから如何したと言わんまでに受け流してしまうのだ。こいつが真面目にこちらの話を聞くのは授業中、実習中、任務中に限られる。つまり日常でまともな会話が成り立たない。
 は会計委員会の所属の癖に、何故かよく学級委員長委員会の会議に紛れていることが多い。潮江先輩から呼び出しを食らわない限り、何故か私の近くで先程のような意味の分からない御託を並べているのだ。一年の頃はまだもう少しまともな会話をしていた筈だが、何時の間にか頭のネジが殆ど吹っ飛んだらしい。最近は私も面倒になって色々と受け流している。
 一体何時からこんな訳の分からん女になってしまったのか。大変遺憾である。

「不破は寧ろちょっと薄暗い表情してる方が良いよね、思い詰めてる時の顔が一生懸命で、こう、胸が熱くなるね!」

 何が胸が熱くなるね! だ、そんな風に力説してどうする気だ。無駄に目が輝いているのが恐ろしい。ぶっ飛んだ思考回路を今更指摘する気も起きない。こいつ本当にどうなってんだ。そこらのくのたまとは明らかに違う。

「久々知は俯いた時にする笑顔が儚げで良いよねえ、ほら、豆腐噛み締めてる時!」

 興奮のあまり頬を赤くしているだが、発言内容が些か妙である。我々は豆腐を食べてる兵助の顔なんて見慣れているし、それを見たってちっとも嬉しくない。寧ろまた豆腐かよとげんなりするくらいである。うんざりする私の姿など目に入っていないのか、の口は止まることを知らない。淀みなくぺらぺらとその舌はよく回る。引っこ抜いてやろうか。

「竹谷は生物委員会中と任務中の落差が堪らんね! 温度差かっこいい!」

 この女は任務中にちゃらちゃらする輩がこの学園にいるとでも思っているのか? 温度差があるのは当たり前だ。俺は俺は? と同じくきらきらした眼差しで勘がに問い掛ける。もうツッコむの疲れたんだが。げんなりする私の姿はやはりの視界には入っていないらしい、彼女は右手の親指を立てて高らかに笑った。非常に鬱陶しい。

「尾浜はご飯食べてる時が一番可愛いよ!」
「あはっ、そう? 俺可愛い?」
「リスみたいで可愛い!」

 お分かりになったであろうか、彼女は破綻している。そして勘は普通に喜ぶなよ。リスみたいに可愛いとか言われて、男としての威厳は傷付かないのか? 私の疑問を他所に勘はばりばりと煎餅を貪っていて、のまともじゃない御託を適当に聞いている。ああっ食べかすが床に! 後でちゃんと掃除させよう(に)。

「あっ、五年で一番可愛いのは鉢屋だから安心して」

 にっこり笑って釘を刺すだが、訳が分からん。そんなことを言われて誰が喜ぶか。勘はニヤニヤするんじゃない! 「良かったねー鉢屋」じゃねえ! 何も良くねえよ!
 は勘と同じく煎餅を齧り、茶を飲んで一息ついた。おお、そのままずっと黙ってろ、一言も喋るんじゃない。

「そうそう、くのたま教室の三年生のあの子良いよね! 肌がすべっすべで色も白くて睫毛が長くて髪の毛つやっつやでさあ! 超可愛い嫁にしたい」

 茶を飲み終えた(早過ぎる)によって私の願いは呆気無く却下された。思わず床をダンッ! と叩いてやりたくなったが此処は鉢屋三郎、大人の男の対応をするのが正解だろう、唇を噛み締めるだけに留めておいた。いちいち感情的になっていてはこちらが疲弊するばかりなのだ。しかし腹立たしい。
 の話は唐突にあっちこっちに飛躍する。勘は適当に受け流すから気にならないのかもしれないが、私はかなり気になる。こいつの頭の中身の構造が一体どうなっているのか、最早恐怖である。こいつが日頃から口にする“嫁”という言葉も、イマイチ意味が分からない。女なのだから嫁は貰えないだろうに。
 勘が漸く煎餅を噛み砕き終えたらしく、机に肘を付いてを見上げた。

はお嫁に行かないの?」
「相手がいなきゃ行けないよね」

 は満面の笑みで返した。そうなのだ。こいつは嫁嫁と口にする割に色恋沙汰の噂を一つも聞かない。男の影も無いから本当に女が好きなのかと思ったら、別にそうでもないらしい(本人に聞いた)(女の子は可愛いから正義なのであって、それ以上でもそれ以下でも無い、と言われた)(意味が分からない)。
 私は色々とが心配になって、妥当な質問を浴びせることにした。いや、一応これでも級友なのだ、いくら毎日腹立たしい思いをしていたとしてもそれくらいの心遣いはしてやるさ。と、自分を奮い立たせでもしなければやってられない。

「……お前は将来どうするんだ」
「あ? わたし? ……学園を卒業出来たら……うーん、あちこち旅して綺麗なお姉さんを拝見したいかな。あと美味しいもの食べたい」

 やっぱり破綻している! そして質問に全く答えていない! とことんずれた回答ばっかりしやがって! まともな返答は出来ないのかこいつ! 胃の辺りがむかむかしてきた。忍者としてどうしたいんだ、と聞いたつもりだったのに、その将来像には忍者のにの字も出てこないじゃないか。ふざけてるのか。五年生にもなって行儀見習いで学園に在籍しているとは考えにくい。まさか忍者にならないとでも言うのか、本当にふざけているのか?

は、恋してないの?」

 勘が新しい煎餅を歯で砕きながら訪ねる。お前何枚食う気なんだ、その煎餅まだ雷蔵は食べてないんだぞ。放っておくと全部平らげられてしまうに決まっているから、懐紙を取り出して雷蔵の分の煎餅を包んでおく。後で自室に持って帰ろう。雷蔵は今図書委員会の仕事中だから、部屋に戻ってくる頃には小腹が空いているに違いない。
 勘もどちらかと言えば話題があっちこっちへ飛ぶ性質だから、最早特別驚いたりはしない。ああもう、煎餅の欠片が! 床にぼろぼろと!

「こい? 食べれないものに興味無いなあ」

 明らかに池で泳いでるものと勘違いしている。お前それでも本当に五年生か?

「そんなんより綺麗なお姉さんと格好良いお兄さんが並んでるところを見るのが一等しあわせかな! それだけでご飯三杯いけるね」
「お前いつからそんなに大食いになったんだ」
「わたし的には利吉さんと照代さんの二人がもう…あの人達結婚すれば良いよ本当」

 やはり人の話を聞いていない。加えて、一般的なくのたまは利吉さんに憧れる傾向にあるのだが、こいつは何か違う。徹底して自分を次元の違う場所に置いている。当事者になることを拒んでいるようにも見える。だが、そのことを指摘してもは首を傾げるばかりだ。寧ろ「そうなの?」などと言うのだ。お前の! ことだろうが!
 とりあえず一通り悩んでいる振りでもしてくれるらしい。は顎に手を添えて唸ってみせた。

「うーん、えっとね、世間一般から見て見苦しくない感じだったら良いよわたしは。特に拘りは無し!」
「拘れよ!」

 思わず怒鳴ってしまった私は悪くない! 何なんだその答えは、仮にもお前は十四の女だろうが! 私が思わず吼えてしまってもはへらへら苦笑いするだけで反論すらしない。おかしい。こいつはおかしい。今まで一度たりともこいつの恋の噂を聞いてこなかったという事実を今まで敢えて指摘せずにいたが、もうこれは、異常だ。年頃の女と思えない。

「ええ? じゃあ鉢屋、今直ぐ綺麗なお姉さんのところに遊びに行ってきてよ」
「は? 何する気だ」
「やわらかおっぱいに顔面やらアレやら挟まれてしあわせそうな鉢屋を見ながらご飯食べる」
「こっ、この変態!」

 反射的に思わず殴ってしまった。でも私はやっぱり悪くない! 一体どんな趣味だ! もうこいつの思考を読み取ろうと努力することすら嫌だ!涙出るかと思った。

「そうかもしれない。でも気にしない!」
「気にしろ馬鹿!」
「それはくのたま主席のわたしに喧嘩を売ってるって解釈で良いのかね」
「違うわ阿呆! ああくそ、お前の相手をするのは疲れる! 私はもう知らん!」

 へらへら笑うはひらひら手を振って勝手に座布団を取り出して寝転がってしまった。間違いなく寝る気である。勘は最後の一枚になった煎餅を食べ終えると、い組で出された課題を終わらせなきゃ、とか何とか言って、砕けた食べかすもそのままに部屋を出て行った。
 もう何もかもが腹立たしい。私はギリギリ歯を食い縛って、まず煎餅のかすの掃除を始めた。くそっ、怒鳴りすぎて喉が痛い。




 忍術学園五年生の変装術の天才・鉢屋三郎が如何に優しい人物であるか、皆様はお分かりになったであろうか? 感動のあまりわたしは日々涙が出そうである。
 掃除をするから部屋を出て行けと言って追い出されたので、校庭の木の根元で昼寝を試みるわたしである。木陰に吹く風が心地良い。目蓋を降ろして薄く息を吐く。
 だってこうするしかなかった。溜まる鬱憤を如何にかしようと思ったら、自然とこの形に落ち着いてしまうのだ。現代っ子に漫画も小説もアニメもパソコンも無い世界で普通に暮らせ、など不可能なのだ。無理。結果、やっぱりどーしてもこうなってしまうのだ。こうするしかないの前提に、こうなってしまうからというのがあるので、要するに不可抗力なのだ。
 何故この室町時代に平成から飛んできてしまったのかは分からない。帰れるとも思わない。考えれば考えるほど気分が塞ぐ。しかし考えずにもいられない。こちらに来て早五年、肉体が若返って現在十四歳。五年もヲタク文化から離れているのである、禁断症状もいいとこだ。
 あああああ漫画読みたい、アニメの続きが気になる、有名作家の新作の発売日にこちらに飛ばされたもんだから気になりすぎて腹が立つ、パソコン触りたい、ニコ動行きたい、2ちゃんねるにも行きたい、ああああああもおおおおおヲタク的堕落生活をエンジョイしたい、今直ぐ帰りたいいいいい「」突然名を呼ばれたのでわたしは木の根元でローリングするのを止めた。周囲を舞う砂埃が目に入らないように目蓋を落とし、くのたまの制服に付いた汚れを軽く手で払う。どうしようもなく現実だった。転がった所為で皮膚に張り付いた砂粒が痛い。
 逆光で鉢屋の顔は見えなかったが、鉢屋だと思う。不破は立ったまま会話しない。相手の目線に合わせてしゃがんでくれるのだ。なので、仁王立ちして話しかけてくれるこの男は鉢屋なのだ。多分。掃除終わったのかな。
 橙色が目に痛い。

「今度の休みは街に行くぞ、市が立つから」
「……はーい」

 それだけ言って鉢屋は背を向けて何処かに行ってしまった。
 ほら、やっぱり鉢屋三郎は死にたくなるくらい優しいのだ。鉢屋は何時だって、怒った後はやさしくなる。些かわたしを誤解しているのではないかと思うのだが、こんなにも優しくしてくれるなら甘えなければならんだろうというのがわたしのセオリーなのである。ん? 意味違うか。カタカナに最近弱くなってきたんだよなあ……帰りたいなあ……。




 は遠い目をして何処かを見詰めていることが多かった。何を視界に入れているのかまでは分からない。視線の先には大抵何も無いか、鬱蒼と茂る木々の葉や、血の滲んだような色合いの太陽や、零れ落ちそうな丸い月だったりするが、それらを見ているという訳でも無さそうなのだ。まるでその先にある何かを透視しているかのように見える。そんなこと、に言っても如何しようもないのだが。

?」

 ほら、今日もまたそうだ。市の帰り道、私よりも数歩先で、眩しそうに手で影を作りながら見事な夕焼けを見詰めている。半分落とされた目蓋に隠れた瞳は少し濁って、口から吐かれた溜め息は憂い一色に染まっている。こんな姿を見せる癖に、日頃は馬鹿なことしかしない。
 もし、あの意味の分からない行動が、この辛そうなの姿を隠そうとしてのものだったとしたら。もし、今のこのの姿が本来の彼女のそれだったとしたら。私はそう考えてぞっとした。はもしかすると何か大変なものを背負って生きているのかもしれないと憶測を立て、背筋が寒くなった。
 五年間も一緒にいて、私はのことをまるで知らない。こいつは自分のことをあまり話さないのだ。いや、忍を志す者として自分のことをべらべらしゃべり倒すのは問題なのだが。……この忍術学園で他人の事情を根掘り葉掘り聞くのは馬鹿のやることだが、仮に此処がそんな場所じゃなくてもきっとは自分のことを喋ったりしないのだろう。



 漸く我に帰ったが私を仰ぎ見る。さっきまでの沈み切った表情は何処へ行ったのか、何時もの馬鹿面をぶら下げて「ん? なに、わたしの顔に何かついてる?」はぴらぴら小さく手を振って首を僅かに傾げた。陽の光で真っ赤に染まったの顔には、先程とは打って変わって負の感情は一切見当たらない。
 私は何も言わずにの横に並んで歩く。が不思議そうに私を見る。

「どーした?」
「…………」

 上手いことばが見つからない。と沈黙を共有するのは別段苦にはならないが、今回はまた話が別だ。

「……お前は、学園を出たらどうするんだ」

 再び同じ質問を繰り返す。はやはり不思議そうに私を見上げた。

「どうって、そりゃもちろん戦忍ですよお兄さん」

 何を当たり前のことを、とでも言いたげな顔ではそう言い切った。話が通じた喜びを味わっている場合では無いので、城付きか、フリーになるのか、と即座に尋ねると、別にどちらでも良いと答えた。投げ槍だな、と言うと、上手く想像出来ないから、と返ってきた。あと一年で卒業なのだから、将来像は明確にしておくべきだ。正論を言うとはまた苦笑するばかりだった。

「あ、でも城付きだったらご飯とか支給されるのかな」
「裕福な城ならあるかもな」
「じゃあ城付きにした方が良いね。フリーって自給自足じゃん、絶対途中で挫けて学園に出戻りして事務員か教員になるよわたし」

 からから笑うの視線は遠くに定められている。その視界の中に私はいないだろう。は、あまり人の目を見て話さない。

「鉢屋は不破と一緒に仕事してそうだよね」
「まだ分からないがな」

 唐突に自分のことを指摘されて僅かに驚く。有名な双忍になってそうだなあ、と言われて、何だか気恥ずかしい。忍者が有名になってどうする、と吐き捨てれば、そりゃ違いない、とは楽しげに肩を揺らした。

「うん、未来予想図なんて描けないよね」

 そう言って、何故かははっとしたように息を呑んだ。今の台詞の何処にそんな要素があったのか、私にはさっぱり分からない。は少し焦った表情で額に浮かんだ汗を手の甲で拭って、何事も無かったように歩を進める。

「……そう言えばお前、実家は?」

 今までずっと聞きにくいことだった。機会が無かったし、行儀見習いでは無いくのたまはあまり裕福では無い家の奴が多いので、無闇に質問するのは本当は憚られるのだが、今此処で聞いておかないと一生聞けないような気がしたのだ。言ってしまった、と手のひらの汗をこっそり手甲に擦り付けて、あくまでも平常を装う。

「え、あ、じ、実家ねえ……」

 ええと、とかうーん、とかは想像通り唸り声を上げた。やはり聞くのは拙かったのだろうか。別段困惑させたい意図があった訳では無いのだ。だが、口から出たものはもう二度と戻せない。

「……わたしね、学園長に拾ってもらったんだ」

 ひゅっと喉が鳴った。今の質問はやはり飲み込んでおくべきだったのだ。背筋に嫌な汗が伝う。拾ってもらった、ということは、親は死別している確率が高い。集落の焼き討ちも珍しくない。強盗だって多い。は眉尻を少し下げるだけだったが、想像する限り悲惨な過去を背負っているに違いなかった。私は酷く後悔した。わざわざ古傷を抉るような真似を利己的な考えで行ってしまったことが苦い。

「折角拾ってもらったから恩返しがしたい、って言ったら学園長が」
「すまない」

 話を遮る。自分から持ち出しておいて勝手だが、これ以上は駄目だとしか思えない。はやはり不思議そうな表情を浮かべて、また能天気に笑ってみせる。

「えー? いーよいーよ、“よくあること”でしょ?」

 確かによくあることだ。孤児である生徒は学園にザラにいる。だからと言って、そのことを当然だと受け止められる奴なんて限られている。最初から納得出来るようなことでは無いのだ。長い時間をかけて自分の内側に押さえ込む努力をしてきたからこそ出来る芸当なのだ。もう一度詫びの言葉を、と思ったのだが、が手で私の口を覆った。眼差しは真っ直ぐで、私は息を呑む。




 よくあることだと言ったは良いものの、鉢屋が何やら深刻な表情を浮かべるものだから、わたしは胃が痛い。何で鉢屋はこんなに優しいんだろう? 未だに答えが見つからない。鉢屋の、今にも泣き出しそうな目を見詰めながら、やっぱり鉢屋は優し過ぎるなあ、と感心した。
 彼の口許を押さえたわたしの手は、鉢屋の冷たい手にゆっくりと剥がされた。何でこんなに手冷たいんだろ、鉢屋って冷え性なのかな。眉間にはっきりと皺が寄っているので、わたしはまた鉢屋を怒らせたのかなあと思ったが、剥がされた手が骨張ったそれに包まれて心臓が跳ねる。おお、少女漫画みたいだ! 鉢屋はイケメンだからこういうことしてもすごく絵になるなあ。平成にいたらこんな体験滅多と無かっただろう、感謝しとこう。
 鉢屋の綺麗な目から、水が一粒零れた。

「ばか」

 鉢屋の喉から振り絞るようにして出された声が、鼓膜にずっと居座っている。

ライオンバンビーナ

120917