竹谷は生傷が絶えない。常に何処かしらに一本線や三本線、歯型、抉り取られたような痕まである。それらは乾いて硬くなる前の赤色をしていて、見ているこっちが想像して痛くなる程だ。竹谷本人は他人にそれを指摘されて初めて「おわ、怪我してたっけか」なんて目を丸くする始末で、思わず馬鹿じゃないの、と呆れるほかはないのである。
 七松先輩のように痛みに鈍感なのではない。寧ろあの人は自ら傷を負うような真似すらする傾向があるように思われる。先輩は傷を負いたい訳ではなく、ただ危険なことにのみ惹かれる性分なのであろう。
 反して竹谷は傷の痛みを意識しない。目の前の生き物しか見ていないのだ。動物の手当てをし終えた頃に自分も同等の怪我をしていることにようやく気付き、申し訳なさそうに保健室に来るのが常である。
 折角瘡蓋が出来ても、中に膿が溜まっていることもある。怪我をしたらすぐに保健室に来いとわたし(だけじゃなく保健委員全員)が口を酸っぱくして言うのは、傷口が化膿すると余計な痛みを味わうことになるので、早めの手当てが肝心であるということだ。もう五年生にもなるのだから、そろそろ下級生紛いのことは止めてさっさと保健室に来れば良いものを。
「いっ、」
 誰が好き好んで瘡蓋と皮膚の境目に刃を差し込むというのか。包帯で傷口周辺を圧迫して中身を出す作業は正直やりたくないが、処置しなければ化膿は酷くなる悪循環である。
 竹谷が眉間に皺を寄せた。かたく目を閉じている。この作業を見ていられないらしい。わたしだって見たくなどないが、負傷部位を見ずに手当てが出来る神技を取得してはいないので、必要以上に傷口を広げていないか確認しながら作業を進めるしかない。
「一体何時になったら懲りるの」
 彼と同様の顰めっ面を携えて、わたしは努めて静かに尋ねた。保健委員なんてものを五年もやっていれば、直視したくない手当て中に無駄話を叩く余裕すら出てきてしまうものなのである。
 本当に無駄だ。竹谷の答えは何時だって決まっていて、その決まりきった言葉を何度聞いたか知れないのに。
 その眼が純粋すぎるのがいけない。
「だって、なあ、生き物と向き合うのに怪我を気にしてられるか?」
 そうだ正論だ、獣を飼い馴らすのは竹谷の仕事で、下級生の多い生物委員会では竹谷以上にその扱いに長けた者はいない。年長者が危険な仕事を請け負うのはある種当然のことであって、生物委員会に属さないわたしが何やかんやと文句を並べたところで後任が急成長するわけでもない。言う権利はあっても、聞き届けてもらう義務はないのだ。
 瘡蓋と柔らかい皮膚の間から出てきた膿を布で拭って、小さな苦痛を堪える竹谷の、日に焼けた横顔を眺める。
 肉を切らせて骨を断つ、身を捨ててこそ浮かぶ背もあれ、を否定するつもりは無い。わたしだって忍のたまごをしている訳であるし、そのような状況に身を置くことも少なくはない。だからと言って傷を放置するのはまた別の問題である。ていうかそれは馬鹿のすることだ。
 加えて、竹谷の怪我は刃物ではなく動物の牙や爪によって生成されたものが多い。一直線の傷などはほぼなく、歪で大きな怪我がその殆どを占めている。
 先日保健室を訪れた、姿形がころころ変わる同輩を思い出して、つい口からどうでも良い一言が出た。
「……鉢屋だったらもっと上手く怪我するのに」
「は? 三郎?」
 思わず零れたわたしの悪態に対し、ぽかんと間抜けに口を開けた彼がこちらを見やる。捻った包帯できつく膿を絞り出してやると、竹谷は薄っすら目尻に水分を浮かせ、許しを請うように項垂れた。斉藤が毎度悲鳴を上げる程度に荒れ狂った髪の毛が床を擦る。あーあ。そんなんだから雑巾とか言いえて妙なあだ名が付くのだ。
「おっま、ほんっと容赦ねえ……!」
「膿に容赦してる場合じゃないでしょうが」
「も、っく、せめて不意打ちは!」
「力む方が悪い」
 一体あといくつあると思ってんの、と呟かずにはいられなかった。彼は自分の腕にある瘡蓋の数を確認してしまったらしく、頼むから優しくしてください、なんて言った。何処の処女だと笑うと「俺はいま本気で処女の気持ちが分かる」などと涙目に訴えてくるので、とりあえず無視して仕事に専念する。
 痛いのが嫌なら手当てが厄介な怪我をしない努力をすべきであるのに、何でもかんでもわたしが悪いみたいな口振りなのが腹立たしい。
 誰が好き好んで好いた男の身体に傷をつけるというのか。
「それより、三郎のが良いってさ、どういうことだよ」
 無駄口を叩く余裕が出てきたようなので、わたしは化膿止めの軟膏を瓶から掬ってぐりぐりと傷口に塗り付けた。男の喉からひいひいと痛ましい声が上がるが、その様子を見ているこちらも同じく痛いのだと何故この馬鹿は気付かないのか。馬鹿だからか。畜生。い組の奴の爪の垢でも煎じてもらえ。
 なあなあと五月蝿い竹谷を一瞬で黙らせる方法を考えたのだが、思いの外物騒だったので胸にしまっておく。痛みで気絶させる、単純明快な解決策ではあったが、くのたまの悪戯で済ましてもらえるほど優しいものではないかもしれない。一応可哀想と思う心はある。
「鉢屋の手当ては楽だってこと」
「はあ?」
 優秀な同級生は竹谷と違って割と直ぐに保健室に立ち寄るし、そうでなくともある程度の手当ては自分で出来るのだ。加えて手当てが容易な傷を作ってくる。被害を最小限に留めるように上手く立ち回る技術を持っているのだ。竹谷と真逆で。
 竹谷が黙り込んでそのまま動かなくなったので、まさか気絶しているのかと冷や汗を流しながら顔を覗き込むと、そんなことはなかった。
「……お前、俺より三郎のが良いのか」
「手当てが簡単な患者の方が嬉しいに決まってるでしょ」
 竹谷は下級生のように頬を膨らませてそっぽを向いた。もうじき最上級生になるとは思えない振る舞いである。指摘したとてなあと思いながら包帯をぼろぼろの腕に巻き付けていると、蚊の鳴くような声が鼓膜に触れた。
「俺はお前にしか、手当て頼まねえのにさー……」
「はいはい、じゃあ今度から善法寺先輩に頼むし今は我慢して」
「そーゆー意味じゃねえよ馬鹿!」
 じゃあどーゆー意味だよと問うてやるのが親切だろうが、生憎と気を遣ってやるほど今のわたしに余裕はない。
 山ほどこさえた傷の処置が待ち構えている。苦行に近しい。よく分からないが結構不機嫌になってしまった竹谷は、むすっと分かりやすい仏頂面をしてわたしの指先を見ている。包帯を巻く段階にならないと見れないとは、本当にこの男は。
「俺だって好きで怪我してる訳じゃないし、やっぱりがいいし、」
 呼吸を止めざるを得なかった。
「いっ……!」
 ほら見ろ、竹谷が変なこと言うから手元が狂ったじゃないか。少し瘡蓋を剥がして膿を出すはずが、思いっ切り捲ってしまって流血沙汰だよバカタレ。ごめんよ。

彩る荊

130603