蝮ちゃんに思い切り片想いをしている柔造をいじるのは楽しかった。これがジャイアンがのび太をいじめる心理であろうと一人納得し、わたしは現在進行形で頭を抱えている。非常に滑稽だと自覚しているのでどうかそっとしておいて欲しい。
 原因は明白である。もう柔造をいじっても何も楽しくないのだ。いじればいじる程、自分で自分の傷口を広げていることが判明してから、柔造の名を口にすることすら憚られる。胸を通り越して胃が痛い。穴が開きそうだ。今度病院に行こうと思うのだが、内科に行けばオールオッケイなのだろうか、それとも痛覚を遮断するために脳外科に行った方が良いのだろうかと考える程度には痛めつけられている。
 京都を襲った不浄王のせいで、支部の人間は満身創痍の状態だった。わたしも勿論その中の一人であり、へろへろになって休んでいたのだが、柔造が話があるとか何とかで志摩と宝生の人を集めているとの知らせがあり、うげーめんどくさーめっちゃ嫌な予感しかせんやんけ、とぶつぶつ言いつつ体を引き摺ってどうにか正座で待機しているところである。もう帰りたい。虎屋の布団に帰りたい。実家の布団とはえらい違いのあるふかふかお布団に顔を埋めて一刻も早く眠りたい。
 わざわざ志摩、宝生を集めているということは、最早言及する必要すらない。まして言いだしっぺは柔造だ。予測など、割り箸を折るより簡単だ。わはははは。ハンカチもティッシュも布団を敷いていた部屋に置いてきてしもたぞ、わはははは。




 ちっとも気を取り直せないが、少し昔の話をしよう。
 同い年のわたしと柔造は、言葉を話すことすら出来ないくらい幼い頃から一緒に育った。家が近所だから登校も下校も一緒だった。ついでに言うと奇跡的にクラスも六年間一緒だった。腐れ縁とは鉄製の鎖なのかもしれないと考えざるを得ない。
 小学五年生、二週間に一度の委員会活動中のことである。わたしは栽培委員で、学校の花壇に生えまくっている雑草を引っこ抜く作業を断行していた。週に一度の水遣りをきちんとして、自分で植えたマリーゴールドを可愛がっているので、先生からはよく褒められる。優等生の振りをするのは簡単だった。
 柔造は飼育委員で、校庭に放した兎を追いかけるのが仕事らしい。小屋の中では餌の時以外動かない白兎は、柔造に追いかけられて必死に走り回っている。ふくふく肥えた身体からは想像出来ないくらいの速さで、白兎はBボタンダッシュを決め込んでいる。柔造の息はまだ切れていないが、体力はじわじわと削られている。
 蝮ちゃんは用具委員で、べこべこに凹んだバケツを大量に抱えて先生の後ろをひょこひょこ歩いている。さらさらした銀髪が風に煽られてとても綺麗だ。先生と一緒に校舎に向かっている蝮ちゃんを見ていたら、再び柔造をいじめたくなった。
 なかなか捕まらない兎に、柔造は半ばキレている。本当に短気である。わたしは花壇のふちに腰を下ろして、スコップでレンガを叩いて付着した土を払い落としてから、少しだけ遠くにいる柔造にスコップを握った手を振った。完全に取れていなかった土が飛んだ。

「じゅーぞー」

 振り返った柔造は汗をかいていて、手の甲でそれを拭いながらわたしを見やる。兎は柔造が追いかけてこないことが分かると校庭でじっとしている。頭良えな。
 スコップを完全に綺麗にしようと思って、レンガを叩き続ける。カンカンと乾いた音が響く。同じ場所ばかり叩いていたからレンガが削れてしまったが、別に目立ちはしないので良いだろう。持ち手の下部に付着した土がなかなか取れない。でも軍手は既に泥まみれで拭えもしないだろう。

「なん」
「あっこに蝮ちゃんおるで」

 無論、蝮ちゃんは既に校舎の中で、わたしが指差した先には誰もいないのだが。
 その一言だけで柔造は一瞬無意識に身体を強張らせる。僅かに跳ねた肩は随分正直だ。恋する少年は純粋で可愛らしいものだ。すっかり土の色と同調した軍手を手から引き剥がし、レンガの上に置く。

「うそに決まってるやーん」

 これでもかと言うくらい憎たらしい満面の笑みを浮かべ、直ぐに柔造の怒鳴り声が耳を貫くのを予想して、わたしは先に両手で自分の両耳を塞いですたこらさっさと逃げる体勢に入る。スコップは花壇の隅っこに刺しておく。振り回せば立派な凶器になるのだ。

「てめえ!! いっつもいっつもええかげんにせえよ!!」
「はいはいすんませーん」




 が、わたしと柔造の関係性を表すのに的確なエピソードなのである。問題は、月日が過ぎて、周囲が恋愛ごとに興味を持ち始めて、柔造が小学生の時より告白される回数が増えて、何だか柔造がかっこよく見えてきたことにある。
 はっきり言ってしまえば、わたしは柔造が好きなのだった。幼馴染として以上に。

 由々しき事態である。

 な、なんで蝮ちゃんやなくてわたしが落ちとんねん! あほか!
 思わず四つん這いになって項垂れてしまった。あほすぎる。お前蝮ちゃん好きなんやろ~やいやい、なんて言っていた小学生の自分をぶん殴りたくて堪らない。そうだ、柔造は蝮ちゃんが好きなのだ。勿論、幼馴染として以上に、である。
 結論。わたしは柔造と恋愛が出来ない。自分で蒔いた種だからである。もうあほを通り越して馬鹿である。正十字学園への進学は決まったものの、自分の仕出かしたことに後悔するばかりで悪魔の名前なんざ一つも頭に入らない。項垂れる。取り返しがつかない。
 散々今まで吐いてきた自分の言葉を自ら撤回することの、悔しさやら羞恥やらは言及すら出来ない。

「あほやねん、すきやねん……」
「それアウトや姉」

 にっぽんほーそーきょーかいの人に怒られるえ、とわたしの家に遊びに来ていたまだ五歳の廉造が笑った。中学三年生の出来事だった。この頃はまだエロ魔人の名を潜めていた廉造はそれはそれは可愛らしく、一生そのままでいろと思った。願いは儚く散った。
 中学生の柔造は、祓魔の実力もガンガンと伸ばし始めた時期で、かっこよさも五割り増しだった。死にたくなった。




 高校の三年間は、宝塚の人も驚くほどの演技力で乗り切った。誰が何と言おうと乗り切った。別に学祭やら体育祭やら修学旅行やら、色々なかった訳ではないが割愛する。語る価値が無い。とりあえずわたしが死にそうだったとだけ言及しておく。祓魔師もやりながら大学にも行きたいと駄々をこねたので、受験勉強で死にそうだったこともあるが。うちは貧乏だから、こうして祓魔師として働くようになっても奨学金という名の借金がこの両肩に圧し掛かっているのだ。あああ。
 ついでに言うと大学生活の四年間はめちゃくちゃ忙しく、殆ど柔造のことを考えずに済んだのが幸いであったが、その四年のブランクを埋めるように京都では毎日柔造の顔を見なければならないので死にそうである。勘弁してくれ。何で任務も一緒やねん。何でわたしが柔造の任務の報告書を整理せなあかんねん。うおああああ。
 京都支部の人間がわざとやってるとしか思えなかった。最近のわたしはそういうわけで、過酷な任務で余裕をなくすように仕向け、できるだけ何も考えないようにして生きていた。あ、ご飯とアニメと音楽は除く。しかし、忙しすぎて気晴らしであるはずの今期のアニメも殆ど見れていない。気が付いたらナルトはオビトの過去編に入っていたし、銀魂は終わっていたし、ハンターハンターはキメラアント編だった。めっちゃ怖い。時間経つの早すぎて怖い。

「アンタもそろそろ落ち着かなあかんえ」

 この世で最も恐ろしい母上という存在に脅しをかけられるも、「今二次元にしか興味無いねん」と言って誤魔化してきたわたしである。母親の真意は、柔造に向いていることも分かっていた。志摩家の跡取りとして、柔造には見合いの話も多いと聞く。それが母の耳に入っていない訳がない。

「柔造は蝮ちゃんやろ」

 わたしは鼻で笑ってみせる。予定調和だ。母親も頷いて「ほんまアンタは、いつまでもヲタクしてたら孤独死するえ」と世にも恐ろしいことを言った。わざわざ言わなくてもええやん母上……慈悲の心とか無いんか……




 ああだこうだ言うてる内に坊が正十字学園に入学し、いつもより少し静かな夏がやってきた。わたしも柔造も、支部の人間の意図と関係なく忙しなく任務に出なければならなかった。蝮ちゃんに会うことも減った。柔造のことは抜きにしても、蝮ちゃんとはお茶を飲む良き友人だったのだ。おかげでわたしのストレスは任務中の悪魔に向けられ、仲間からは「残虐すぎて俺最近付いてけへんねんけど……」「お前も? 俺もやわ、あいつストレス溜まりすぎていつか人殺すんちゃうか思うわ」などと言われる始末であり、だからといって対処法がある訳でもなく、日々生理中のように苛立ちながら悪魔に銃火器を向け続け、最終的に不浄王が復活して体力が底をついたのだった。

「あ、はい、分かっとります、わたしあれですよね、え、ちゃんと任務こなせてました? そら良かったです、はい、言われんでも休ませてもらいますんで。はあ、柔造がですか。いや、めんどくさいんで寝てたって言うてもらえm」

 最後まで発言することすら叶わず、強制的に八百造さまに引き摺られた結果、冒頭に戻る。いつも厳しくもお優しい八百造さまであるが、今は兎に角憎さしか感じられん。話聞いてくれよ頼むから。わたし志摩でも宝生でもないんですけど、などと言ったところで何の意味もないことも理解していることが余計悲しい。
 一人虚しく畳の目などを数えながら待機すること早五分。蝮ちゃんの手を引っ張って主役のお出ましである。帰れ。無理ならわたしを布団に帰してくれ。さっきから悪魔の攻撃があった訳でもないのに腹が真剣に痛い。
 蝮ちゃんがわたしを見て、自分も大怪我なのに大丈夫かと聞いてくれることが嬉しくて鼻水が出そうだった。我慢した。例え精神年齢が中学生から変化していなくとも、わたしの体裁は大人に分類されてしまうのだ。情けない姿ばかり見せていると蝮ちゃんに追い越されてしまう。ご勘弁。わたしは守られる対象じゃなく、蝮ちゃんを守ってあげる方でいたいのだ。
 そして柔造が何やら喋り始めたかと思うと、話題は結婚に関するものだった。うん、跡取り大事やね。志摩を支えなあかんね。うんうん。

「せやから俺、蝮もらいますわ!」

 酸素と二酸化炭素ってどないして交換したらええんやっけと思うしかなかった。
 ついに、この時が来た。ずっと思い描いてきた未来予想図は見事に再現された。寸分の狂いも無い。柔造は今まで見た中で最高の笑顔で、蝮ちゃんは声も出ないようだ。
 ああ、蝮ちゃんの顔真っ赤。頬っぺたが林檎のようだ。何この可愛いツンデレ羨ましい。柔造氏ね。うらやまけしからん。と、言葉を発することすら億劫だ。わたしはキリキリ痛む腹を押さえつけながら現実に順応する準備を始める。

「おめでとう蝮ちゃん、幸せになってや」

 お祝いの言葉は見事に引き攣った。宝塚の人には可哀想なものを見る目で評価されるであろう演技である。蝮ちゃんの、こちらを心配そうに見やる眼差しから目を逸らす。蝮ちゃんは遠慮してはいけない。これで良い。これが正しい。世界は上手く回るだろう。
 わたしは逸らした視線を戻し、綺麗な銀髪に指先を滑らせる。わたし男だったら蝮ちゃんと結婚してたな。何故こうも上手くいかんのか。

「……姉さま」

 目をきゅっと細めて、はにかむ蝮ちゃんの可愛らしいこと。真っ赤な目尻を指先で撫でて、わたしはどす黒い気持ちも拭いきれないだろうかと一人思う。血も繋がってない、ただの幼馴染を姉と呼んでくれる蝮ちゃんが、幸せにならないなどという選択肢はあり得ない。
 不意に、小学生の時に植えたマリーゴールドの中で、一株だけ花弁の色合いが悪く、葉もしなしなで今にも枯れそうなものがあったのを思い出す。わたしはそれを一度きちんと花壇に納めて、花弁や葉っぱを避けて根元に水をやったが、結局生き返りはしなかった。
 目を閉じる。枯れてしまったマリーゴールドを踏み潰して、周囲に這っていたミミズをスコップでぶつ切りにして、わたしは何事も無かったかのように水遣りを終え、教室に戻ってランドセルを背負い、普通に帰宅した。それで正しいと、それが正しいと思い込むことが重要だった。手遅れなのだ。もう何にも縋れないと分かってしまったのだから。
 柔造の後頭部に視線をやる。わたしの精一杯は随分規模が小さくなった。蝮ちゃんの右目を覆う眼帯を優しくなぞって、わたしは余所行きの笑顔を丁寧に浮かべる。
 今のわたし、スコップで細切れにしたミミズくらいの価値しかない。

まだ生まれちゃいけない

140106