お前の価値観を理解できない死ね、と罵り合う。しかし、理解できないとは本当は嘘である。考え方が似通っているために、逆に癪に障るのである。恐らくこれは互いに理解していることであり、その事実が尚更腹立たしい。
分かっているのと納得するのは全く別だ。双方が理性と感情を分離して物事を考えられる誠実な人間であったならば、何の問題も無かっただろう。しかし、この男は未熟である。忍術学園という温室にも似た箱庭で飼育されている限り、まだ忍びと呼ぶには青すぎる。かく言うわたしもプロとして仕事をしているものの、分野に極端な偏りがあるため、偉そうな口ばかりを叩くことはできない。
と、堅苦しい言葉を並べれば苛立ちが治まるかと思ったのだが、全然甘くなかった。現実しょっぺえ。嘆こうと呻こうと、潮江と二人組みで課題任務を遂行しなければならない事実は引っ繰り返らないし、合格点に達するためには己の都合など棚に上げて、目の前の敵に集中する以外に方法が無い。
背中を預けられるほど信頼していない。お互いに。そのことが逆に信頼できた。早く死ね、とお互いに言い合う味方が果たして何処にいるだろう。目前の賊は割と混乱しているらしかった。そうです、仲間割れです。正々堂々と。
「フン、お前本当にプロやってたのか?」
「諜報と戦闘どっちもこなせるなら、わざわざ学園に勉強しに来るもんか」
潮江が再度鼻で笑う。とても腹が立ったので、お前の諜報の下手糞さを見てたら腹が捩れて千切れるレベルだわ、と返す。わたしの真横に迫った賊は随分奇妙な顔をしていたが、反射で刃物でぶん殴ってしまったために最早その表情は読み取れない。
情報でご飯を食べていたくのいちのわたしは、戦場でもぼちぼちの活躍ぶりを見せてはいた。しかし、所属していた軍の組頭に「くのいちの技量以上に忍者としてもっと知識や技術を身に付ける必要がある」と少し遠回しに貶され、現在忍たまに混じり、五年ろ組の一員として勉学に励んでいる次第である。組頭の言うことは絶対であり、逆らえばさくっと地獄行きである。最近地獄のあれやこれについて様々な言及がなされているのを耳にし、割と地獄って魅力的かもしれないとか思ったのは横に置いておく。とりあえずまだ死ぬつもりは無い。
“五年・六年の合同演習”と言う名の、“学園から少し離れた雑木林の治安の悪さを何とかしよう作戦”は、無論、学園長の思い付きによって始まったものだ。五年と六年が二人組みになり、一般人を掻っ攫う悪党を死なない程度に痛め付け、賊が近寄らないようにすることを目的とする。演習の合否の決め手となるのは、賊から奪った凶器の数、得た情報の重要性。その決め手の視点から見れば、わたしと潮江(先輩)というのは、割と相性が良いはずであった。
底無しの体力お化けの七松先輩ほどでは無いが、それなりに持久力のある潮江と、諜報に特化したわたしの組は、ばっさばっさ賊を薙ぎ倒していくことに成功している。現在、転がる男の数は三体。賊の所持品はちゃちな金品からガラクタまで様々であったが、量から言えば我々がどの組よりも多いだろう。
『行ったぞ!』
潮江の矢羽音が飛んでくる。何だかんだ、ちゃんと任務を遂行するあたりは最上級生らしい。迫ってきた賊の鎧の隙間にクナイを突き立てて、わたしはその隙間からぺらぺらの紙切れを引っ張り出した。賊のまとめ役からの指令が書き記されているのを確認し、未だ交戦中の潮江を見やる。
『先に乗り込む』
『敬語を使え、バカタレ』
『プロとしてならわたしが先輩でしょ』
『諜報は認める、だが他はぺーぺーだろうが』
『ハイハイ分かりましたよ、方角は寅です』
『抜かるなよ』
最後はもう無視だ。どんだけ下に見られているんだろう、むかつく。思わず歯軋りをしそうになって止める。力む必要は無いのだ。さっさと敵の根城に乗り込むに限る。
己の弱点は既に把握している。男に比べればどうしても非力なのだ。不意打ちや変装の技術に関しては負ける予定が無いが、純粋な力比べになってしまうと分が悪すぎる。身体の構造上、どう足掻いても一定のところで実力が止まってしまう。そしてそんなことは誰でも分かることであり、わたしは今、先程の賊のように薄汚い床に転がされてしまっているのであった。完。
いや、完とか言っちゃうとわたしは死以外の選択肢が排除される訳である。嫌である。まだ学園でそこまで勉強できていないし、授業料に見合うだけの技術を得たいと考えるのは当然のことだ。自慢じゃないがわたしの財布は軽い。授業料が痛手にならないだろうか、否。
潮江(先輩)はまだ梃子摺っているのだろうか。後ろ手に縛られた麻縄の結び目に、こっそりと刃物を滑らせながら考える。横たわった状態で賊の上層部を見上げていると、忍術学園の演習はプロの仕事とそこまで差異が無いように感じられた。寧ろ助かる方が不思議な話ではある。
「今ある情報を全て吐くか、爪を剥がされるか、どちらが良い」
爪か。拷問の訓練は故郷の隠れ里で経験済みだが、誰だって痛いのは嫌である。適当に怯えた振りでもしておいて、弱っちいくのいちを演じ切る方が早い気がしてきた。金目の物は潮江のところへ全部置いてきたので、わたしが持っているものは全て頭の中にしかない。
何も答えようとしないわたしに早くも痺れを切らしたのか、賊の偉いさんはわたしの顎をがっと掴んでくる。
「……くのいちの割に、お前は随分目立つ容姿をしているな」
当たり前だ、プロとして仕事をしている時と同じ姿をしていたら特定されるじゃないか。忍術学園の生徒は敢えて地味な格好をしない傾向に従ったまでだ。まあ、故郷は異人の血が入り乱れているから、わたしの色素は元々薄い。茶色の瞳を覗き込まれても、残念ながらわたしの口はそう軽くない。
頭巾の結び目を解かれた。荒縄の結び目にはまだ刃物を滑らせたままだが、わざと嫌がるように姿勢を崩した。背面を殆ど見せないように仰向けになれたので、これは幸運である。知らん男に髪を触られるのはなかなかに気持ちが悪い。
天井を見上げる。見取り図は頭の中にお互い叩き込んでおいたはずなので、片付け終えたら潮江がやってくるだろう。それまで口を割らなければ良いのだ。
最善の選択は何だ。この男を大人しくさせることである。不意打ちを狙うには、もう少し時間がかかる。縄はまだ切れない。片腕の部分だけでも縄が切れれば問題無いのだから、感覚的にあと少しなのだが、指先しか動かせないだけにじれったい。しかも下手に目線を動かせば呆気なくバレる。
男の手がわたしの肩を掴む。引っ繰り返されれば反撃の手段が断ち切られるも同然だ。そう思うと、頭の中には走馬灯のように映像が勝手に流れてくる。もう、逃げられない。
算盤を弾く、筆先が紙を擦る、欠伸、団蔵の寝言、帳簿を捲る、佐吉が目蓋を擦る、筆に墨を含ませる、左門の寝言、衣擦れ、三木ヱ門の妄言、茶を啜る、算盤を弾く。徹夜二日目の、最も心身に悪影響を及ぼす会計委員会活動は、宵闇が深まったところで終わる目途が立っていない。既に体力が底スレスレな一年生は屍になって数刻であるし、三年生、四年生も半分死んで半分はまともな状態ではない。
地獄絵図である。目の前に座っている潮江(委員長)は目の下の隈を色濃くし、帳簿と算盤に視線を往復させるばかりである。座布団に座って机に身を任せ、ぐったりと眠る団蔵と割と快適そうにいびきをかいている左門を見て、わたしはずずっと茶を啜った。カワイソウに。成長期の子供にとって大問題ではないのだろうか。
十キロもある算盤を叩き折りたくなるが、自分の腕が折れる方が早いに決まっているのでわたしは大人しくしている。湯呑みを机の上にそっと置いて、ぐっと背筋を伸ばす。
『、手を止めるな』
この委員会で唯一桃色の制服を着たわたしは、潮江の野次には返答せず、重苦しい吐息を零して再び茶を口に含んだ。帳簿の残り冊数から計算して、あと三刻といったところだろうか。
『効率悪い。日中に集中して終わらせられないのがおかしい』
『効率も何も、各委員会が予算請求したモノ以外の物品を購入するのが悪いんだろうが』
『予算申請の通りに全てコトが運ぶと思っていると? 寝言は今直ぐ寝て言え』
実際のところ、この二人の言い分はどちらも正論なのであった。わたしはうがーと呻きながら頭を掻き毟り、ばたんと机の上に顔を伏せた。無論、帳簿は綺麗に横に避けられている。潮江は隠そうともせずに舌打ちをし、元々冷えていた空気は更に極寒へ近付いた。
『あと、団蔵は字を書かせるより計算に回ってもらった方が遥かに時間短縮できるでしょう』
『バカタレ、一年の頃から適性を決め付けてどうする、今後どう伸びるか分からんだろう』
ふん、とわたしは鼻で笑い、言ってろおっさん、と胸の内だけで呟いた。
『新参者が』
『はいはいソウデスネ聞こえてますよー』
『…………』
潮江(先輩)と食満先輩の犬猿の仲は有名であるが、わたしもそこに肩を並べてしまえるだろう。と、編入した組にいた鉢屋が言った。不破も苦笑いしながら頷いたのを思い出す。
同族嫌悪だ。多分、これもお互いに分かっている。合理主義で、しかし客観性をそこまで持ち合わせておらず、肝心なところで甘っちょろい。鏡越しに自分を見ているような気持ちにさせられて楽しい訳が無い。最善の選択をすることが忍びにとっては最重要で、そのくせ最後に葛藤する。あれは、自分の弱い部分を映し出すばかりで、不愉快でしかない。
委員会後にも口論は絶えず、クナイを用いた組み手にまで発展した。わたしが潮江の手の甲に深い傷を作ると同時に、潮江はわたしの髪を切り落としていた。髪紐も切れて肩のあたりで毛先が揺れているのを見た時は、忍びも出家できるんだろうかと思った。
潮江は驚いた顔をしていた。恐らくわたしもそうだろう。潮江の右の手の甲の血は止まる気配がしないし、地面に散ったわたしの髪は随分目立った。忍術学園に来るにあたって、変装の一環としてわざと派手な色に染めた髪だから尚更だ。
言いようのない気まずさを抱え、わたしはとりあえず潮江の手の甲に懐紙を当てて、保健室まで引っ張っていった。善法寺先輩に何を聞かれようとも、わたし達は何も喋らなかった。
潮江の手の甲の傷痕は消えなかった。
身を翻して男から距離を取る動きの準備をしようとしたその時、天井が派手な音を立てて突き破られた。男の手が緩んだと同時に、わたしは床を蹴って転がった。視界を遮る量の埃が舞っていて咳き込んだ。さっき口布を取られたのが辛い。
目を凝らすと、賊が潮江に押さえ付けられているのが見えた。はっきりと刀傷の線の残る手が、男の関節を外していく。わたしは漸く荒縄を断ち切り、げほげほ咳き込みながら立ち上がった。他に誰も学園生徒の姿が見えないので、我々は誰よりも早くこの合同演習の最終課題を終えたということになる。寧ろ他の奴らが遅すぎるのだろう。
男が痛みに小さく呻いているのを尻目に、潮江が決まりの悪そうな顔でわたしを見た。頭巾が無いと短くなった髪がよく分かるだろう。静かにわたしの傍まで歩み寄ってくる。意図が読めない。
咳をした所為でいがいがする喉を撫でるわたしの目前で立ち止まると、潮江は視線を落とした。空気が重い。
「……すまなかったな」
潮江はそれだけ言うと、わたしの手を掴んだ。たった一言だ。しかし、その手の熱さはすっかりこちらに移ってしまった。プロのくのいちが呆れてしまう。一言で全部済まそうとしている、何て奴だ。
「……馬鹿言わないで」
それだけしか言えないわたしもわたしだ。こんなことで落とされた自分が信じられない。手を掴む力を互いに弱められないのも正直信じたくないが、肝心なところで甘っちょろい性質は変えられないらしい。わたしも潮江も、空いた手で自分の顔を覆って羞恥に耐えるしかなく、早く他の誰かがやって来ないことには満足に動けそうも無い。