全身の気だるさのあまりに今直ぐ倒れこんでしまいたい衝動に駆られる。しかし自室の布団は押入れの中、引っ張り出すことすら面倒だ。一刻も早く目蓋を落として意識を暗転させてしまいたい。実習の報告をした記憶すらおぼろげで、自分が何を言ったのかもあやふやだが、懐に入れた実習完了の証である文書は確かであるので、ああもう考えるのも面倒だ寝よう今すぐ。
 無意識に足の動く方へ身を任せる。自分は何処に向かっているのだろうか。今日は特別疲れた。頭の奥から早く寝ろとの警告音が聞こえる。耳鳴りが煩い。頭ががんがんと揺れている。地面すら揺れているような気もする。重症だ。
 戸の開かれたままである部屋へ足を踏み入れると、濃い墨の匂いが鼻腔をくすぐった。

「お、、お疲れ」

 何かの設計図を描いていたらしい食満が、視線を卓上からわたしへ移動させた。硯に筆を立てかけて「伊作なら保健室だが、」わたしを上から下まで見て、「なんだ、無傷か」下級生みたいに顔を綻ばせる。能天気だなと罵ることも考えたが、もう口を開くのも億劫である。文机の上の設計図は細かすぎて、視界に入るだけで眩暈がした。

「けま」
「おう」

 わたしは部屋の入り口の柱に凭れ掛かって、指先で目許を押さえた。肩が重い。怪我をした後輩を負ぶって帰ってくるだけでここまで体力を消耗するとは思わなかった。わたしより背丈のある子だったので、なかなかに辛かったと言えばその通りなのだが、何だか情けなくてわたしは黙り込む。食満は胡坐をかいてわたしを見上げている。吊り上がった眦から覗く黒い目には、今にも死にそうなわたしの顔が映っている。
 食満の黒い目は一等綺麗であるなあとぼんやり思いながら、わたしは口を開いた。

「ちょっと、うつぶせにねころんで」
「は? 何で?」
「はやく」

 舌が上手く回っていないのは、そういった薬品を後輩を庇って嗅いでしまったからだ。ドジッ娘が萌えるのは日常生活と二次元だけの話だ。少なくとも実習では一緒になりたくない。傍目で見てる分には可愛くて癒されるだけの後輩だが、その命を預かるとなると肩の重荷が一気に二乗だ。つらい。涙目で「ごめんなさい先輩、あたしの所為で……」とか言われると更につらい。可愛い女の子に罪は無いのだ。悪意があるかは確認しなければ分からないが。
 まあ、あの子のおっぱい大きくて柔らかかったから罪など無いし悪意も無いだろう。背中しあわせだった。
 疑問符を浮かべたまんま、しかしこの瞬間にも倒れそうなわたしを可哀想に思ったのか、食満は素直に従った。自分の座っていた座布団に頬を押し付けるような形でうつ伏せに転がった食満の近辺に膝を着く。そしてその細い腰に重たい頭を乗っけて、わたしも床に転がった。

「はあ!?」

 食満から上がった奇声を五月蝿いと切り捨てる気力も無い。手で目許を覆ってわたしは深く息を吐く。身体はずぶずぶと沈むように重く、暗闇はすぐ目の前だった。
 奴の甘さに依存するのは良くないと承知していながら、もう手足が言うことを聞かないのだと自分に言い訳を吐く。事実、もう少しだって動きたくなどない。
 意識など、その気になれば一瞬で飛ばせる。目の奥がずきずきと痛む。後頭部から布越しに感じる食満の体温が随分心地良く、更に息を吐く。
 食満は、何も言わなかった。何か言いたいのだろうとは分かっていたが、あえて言葉にせずにわたしの指示にただ従ってくれている。甘い奴だ。これが潮江なら蹴飛ばされて委員会の仕事を手伝わされていただろう。食満につけ込んで正解だった。つくづく。
 礼を言おうか。言わずとも通じるか。そうだろう。わたしは吐いた息を吸う。

「……けま」
「おう」

 顔を横に向けて、恐らく部屋の外でも眺めているであろう食満は、返答はしたが、身じろぎすらしない。その配慮たるや、わたしがまるで下級生にでもなったかのような錯覚をせざるを得ない。

「ゆうげには、おこして」
「無茶を言うな」

 苦く笑った食満のせいで、頭が揺れる。致命傷になるかもしれん。夕餉に間に合わなかったら間違いなく死ぬ。飢え死にだ。一体どうしてくれる、とわたしは反論する。食満の背中がまた揺れた。

「仕方ない奴だよな、お前は」

 わたしは目蓋をこじ上げて、鉛のように重い頭を動かして食満の顔に視線をやった。

「…………、……」

 そんな満足気な顔をされたら、ありがとうなんて最早言えるものか。

滴るプラズマ

140324