簡単な話だ。責任転嫁すればよいのだ。
「あんまふざけたこと抜かしてっと凍らせるぞコラ」
眉間に皺が最早代名詞となりつつある十番隊隊長殿にふかーく頭を下げて、モウシワケゴザイマセンと何度述べたことか。この場合に限ってはわたしに責任が転嫁されているのであって、わたしは本当に悪くない。悪の根源は直属の上司の狐顔の男である。本日も元気に職務を放棄して、そこらの可愛い女の子を引っ掛けて遊んでいる、と見せかけて、割と真剣に現世のペ・何とかという割と前にめちゃくちゃ流行った眼鏡男に似ている輩のあれこれを探っているのだろう。ご苦労なことである。
勿論日番谷隊長はそんなことは知らないし知らなくともよい。藍染隊長の企ては、藍染隊長自身が披露することになっている(とわたしと市丸隊長は予測している)。で、わたしと市丸隊長と東仙隊長はその後を追っ掛ける算段。つまり護廷十三隊に対して全力で喧嘩を売る構図。わたしのこの職務も殆ど無駄となるのだと思うと悲しくて涙も出ない。嘘である。涙なんぞ欠伸をすれば簡単に作れる。
熱湯のような温度の茶を渋い顔で啜って、日番谷隊長は苛立った息を吐いた。よくそんなものを平気で飲めるな。喉ちんこ腫れるぞ。
「……で? 吉良が市丸を追いかけてて? お前が書類を纏めていると」
「ですが三席のわたしではどうしても対応不可な部分がありまして」
的確な表現をすると、隊長の判子が必要なのである。
「……だから? 逃亡してる市丸の代わりに俺の判を?」
「はい、ぽんと押してください」
にっこり笑む。そのまま迫る。日番谷隊長は押しに弱いのである。力技で捻じ伏せるが勝ちなのである。わたしよりも小さな手に書類を押し付ける。殺気と言う名の冷気が隊舎内に充満してきたが、ここで引けばわたしの負けなのだ。非常に困る。嘘だ。別に日番谷隊長じゃなくとも別の隊長に判子を貰えば解決するのだが、そうすると一番隊に提出する際にめんどくさくなるので十番隊に拘っているのである。三番隊の尻拭いは十番隊がしてくれるお約束なのだ。
「よろしくお願いしまぁぁあああああああああああああああす!!!!」
「お前現世で映画見ただろ! 猿真似で許されると思ってんじゃねェぞ!!!」
何ということだ、ネタが通じてしまった。まさか日番谷隊長もサマーウォーズを見ていたなんて驚愕で目玉が飛び出そうだ。きっと何年か前に乱菊さんに現世の映画館に連行されたに違いない。キングカズマ恰好良いですよねえ。
ずるずると熱い茶を喉に流し込んで、わざと大きな音を立てて日番谷隊長は湯呑みを置いた。あれまあ、額に青筋。日番谷隊長が生理中の女子のようにキレやすいのはまあ仕方無いのだが、こんな幼子みたいな人に負担を押し付けている今の図、決して良心が痛まない訳でもない。可哀想なお人であると常々思っている。
まあ、幼子に隊長が務まる訳も無し。日番谷隊長が隊長として十分な実力をお持ちであるのは十も百も承知の話である。言わないけど。
「勝手なことをベラベラと……! こっちも暇じゃねェんだ、諦めろ」
「ええー、そこを何とかしてくださるのが日番谷隊長じゃないですか」
「俺は便利屋じゃねェ」
「まさか、とんでもないですよ。わたしが尊敬してる隊長はあなただけです」
三番隊隊員としてあるまじき発言であるが、これは事実である。市丸隊長のことを尊敬していない訳じゃないが、死神として崇めるべきは日番谷隊長であると思ったまでである。日番谷隊長は豆鉄砲を食らった鳩のような表情で一瞬固まると、誤魔化すように湯呑みに手を伸ばした。
「あ、空ですね、淹れましょうか」
「い、いや、」
おや、動揺しているらしい。細い腕が引っ込んで、やはり誤魔化すように書類に伸びる。うんうん、吃驚しましたよねえ。狙ってましたとも。そりゃ日番谷隊長より長生きしているし、その分姑息な思考も手段も染み付いている。
懐から小袋に入ったお煎餅をちらつかせる。「そうそう、お土産があるんですよ、お煎餅はお好きです?」現世で売ってる、白くて甘い砂糖が掛かったお煎餅だ。雪の宿、という名前からして日番谷隊長にぴったりだ。
「…………貰う」
動揺を隠す手段として、日番谷隊長は頷いた。薄くて小さな手のひらが個別包装されたお煎餅を摘んで、人工的な袋を破る。わたしは隊長の席の近くにある戸棚から勝手に湯呑みを取り出し、乱菊さんの机の上にある急須を拝借する。おお、現世の電気ポットがあるぞ。ということで、茶葉を加えてやっぱり勝手に茶を淹れたのだった。
「いやーお煎餅には緑茶ですねー」
この野郎勝手に、と日番谷隊長の目が語っている。しかしその小さな口の中にはあまじょっぱいお煎餅がいっぱいなのである。文句は言えんだろう。わははは。
何も知らない幼子のままでいてほしいと思う。本当は流魂街で出会っているのだけれど、日番谷隊長は覚えていない。わたしが忘れさせたからだ。日番谷隊長には記憶に欠損部分があるが、それを自覚することはない。そのままで良い。そのままが良い。
もうじき事態は急変する。わたしは日番谷隊長に刀を向けられる存在になるだろう。憎まれるだろう。彼は裏切りが嫌いだ。そして、身近な人をとても大切にするから、余計にわたしを恨むだろう。わたしは、せめて雛森副隊長を殺させないように動くぐらいのことしかできない。
「日番谷隊長、今度現世に行きましょうね。ぶるーれいという円盤と、それを再生する機器を買って、高画質な夏の戦争物語、一緒に見ましょうね」
断る、とすぐに言えない、何とも言えない表情で歯噛みしている日番谷隊長の、小動物感まじすげえ。出来ることならわたしの膝の上に座って執務をしてくれたら良いのに。可愛いなあ。
うん、いっとう可愛くて、とびきり可哀想だ。