一人切りの出張にも慣れた。搭乗ロビーでスマートフォンをいじりながら、小さく欠伸を噛み殺す。格安航空券が手に入ったのは良いが、朝イチの便の眠いこと。耳抜きの下手糞なわたしは常に飴を舐めていなければならない。口の中で甘ったるい飴玉を転がし、何度か瞬きをしてみる。眠気は駐在中だ。
 朝早いので周囲の人々もぼけっとした顔付きである。勿論わたしもその仲間だ。間違っても知り合いと出会ってしまうのは避けたいところである。
 飛行機に乗り込み、自分の割り当てられた座席を目指す。B二〇、ああそっか、窓際じゃない。仕方無い。席を指定すればチケット代が高くなるんだもの。鞄を座席の下に滑らせて、わたしは腰を落ち着けた。窓から機体の外を見れば朝焼けが眩しい。朝から嫌になるほど攻撃的だ、目がしょぼしょぼする。目薬でも点そうか。
 わたしと同様に出張らしき様子の会社員が多い機内は、ぎゃいぎゃい騒ぐ家族連れもおらず、至って静かだった。修学旅行で飛行機を利用した時は、それでも静かにはしていた方だったけれど、ざわざわとした空気の僅かな揺れはなかなか収まるものではなかった。なんだか老けた気持ちだ。実際老けている訳だが。
 スマートフォンの電源を落とそうと、鞄の中に手を突っ込んだ時だった。

「相変わらず呆けた顔だな」

 は? と声が出てしまったのも仕方があるまい。やたらと良い声が隣から聞こえた。無駄に研ぎ澄まされた低音が、驚くほど素直に背骨を駆け抜けた。とりあえず、訳も分からず暴言を吐かれたことだけは理解できる。初対面の人にそこまで言われなきゃならんのか。随分酷い話である。
 鞄に手を突っ込んだまま、わたしは視線だけを横に向けた。まず視界に入ってきたのは、きちんと磨かれ、汚れ一つない黒の革靴、次いで細身の仕立ての良い黒のスーツだった。そして視線を上にずらしていけば、くるんと毛先のカールしたもみ上げと、長い睫毛と、黒のハット。口の端は吊り上がって、スーツに負けぬ黒のまなこがわたしを見下ろしていた。
 喉の奥の方で答えが出掛かっているような気がする。だが明確な答えには辿り着かない。わたしは人の顔と名前を一致させる能力が著しく欠如しているようなものだから、毎度のことではあるのだが。いや、威張れる能力ではない。
 とりあえず、誰だ。

「たった数年会わなかっただけでもう忘れやがったか」

 馬鹿にしたように(実際しているだろう)男は鼻で笑うと、音も立てずに席に細い腰を下ろし、これ見よがしに長い足を組んだ。取引先にこんな社員さんはいなかったはずだ。ていうか、一度見たら忘れないだろう。かなり整った容姿である。言動は置いとくとして、モデルも裸足で逃げ出す可能性があるレベルだ。

「仕方ない、答え合わせをしてやろうか」

 ハットを指先でくいっと上げて、男はにやにやとこちらを威圧する。怖いわ。わたしが一体何をした。いや、正体を知っているはずなのに答えを出せていないという失態は犯しているけれども。
 にゅっと、ハットの後ろから黄緑色の何かが現れた。それはどう見てもカメレオンだった。

「は?」

 思わず口の中の飴玉を粉砕するくらいには驚いた。
 いつも帽子の上に形状記憶カメレオンを乗せていた、スーツと拳銃の似合う、奇妙な赤子の姿を思い出す。そういや本来の姿は赤子じゃないって言っていた気がする。懐かしい面々も次々と勝手に脳裏に浮かんでくる。沢田に山本、獄寺。すっかり会わなくなった旧友たちだ。

「レオン!? うわー久々だー懐かしい」
「オレのことは無視か」
「ごめん、冗談だよリボーン」

 頼むから、銃口をこちらに向けるのは止めていただきたい。銃刀法違反。ここは日本の航空機内だぞ。ちょっと調子に乗るとすぐこうだ。恐ろしい。リボーンの肩で大人しくしているレオンは、リボーンと違って数年前と変わった様子はない。その点は酷く安心できる。
「相変わらずお前の冗談はジャッポーネ特有で分かりにくい」
 文句を垂れるリボーンは、これ見よがしに長い足を組み直す。骨盤歪むぞ、とは言わないでおいた。無駄口を叩いて寿命を縮めることもあるまい。
 しかしまあ、すっかり過去の人となっていたリボーンと、こうして飛行機で隣の座席になって、数年前と寸分違わず軽口を叩いているのだから、縁とは不思議なものである。
 そう言えば、先程衝撃のあまり飴玉を噛み砕いてしまったので、新しいのを舐めておかなければ。そろそろ機内で人々が席に落ち着き始めているし、時計を見やれば離陸まで後十分といったところだった。席にきちんと座り直し、鞄の中から取り出しておいたがま口のポーチに指を突っ込む。
 あまり音を立てないようにセロファンを破り、アセロラ味の飴を口内に放り込む。

「リボーンも食べる?」

 一応聞いておこうと思った。可愛らしく口を開けた気に入りのがま口ポーチの中では、様々なセロファンに包まれた飴玉がセールに飛び込む女子のような状態になっている。流石に詰め込みすぎたか。いや、飴は非常食にもなり得るのだからまあ良いだろう。

「あの頃と何も変わってねぇな」

 リボーンが再度鼻で笑った。しかし、嫌味な雰囲気はそこになく、眉尻をほんの僅かに下げて、呆れたような、言葉に表しにくい感情を口許に残していた。
 日常的に引き金を操っているであろう骨張った長い指先が、わたしの手元に伸びてくる。さて、王道のビタミンC配合ののど飴か、フルーツ系か、ミルク系か、あえて混ざっているキャラメルにいくか、それとも和テイストの梅や抹茶か。十年前を思い出せば、ミント系を選んでいたことが多かったような気がする。
 そう、十年前だ。わたしはもうプリーツスカートに紺色のハイソックスという組み合わせは、夢の国にでも遊びに行く機会がなければしないだろうし、赤ん坊の姿をしていたリボーンも、本来の姿でここにいる。不変なものなどない。物質は常に変化を重ねていくものだと、学んできた。

「変わらねぇものを探す癖もな」

 いつまでガキのつもりだ、とリボーンが笑う。がま口ポーチから離れたリボーンの指先には、飴玉など握られていなかった。おや、お気に召すものはなかっただろうか、とリボーンの表情を確認しようと、視線を上げた時だった。
 うっかりぽかんと口が開いていたらしい。リボーンは手際良くわたしの口内に指を突っ込んだ。ように感じた。不確かなのはよく見えないくらいにその動きが早かったからだ。驚きのあまり声も出せずに硬直していると、アセロラ味の固体が消えたことに気付く。いや。いやいやいや。何ぞ。
 呆然とリボーンを見やるわたしのことなどどうでも良いのか、リボーンは再び長い足をスマートに組んで、ふんと鼻で笑った。飴玉が歯に当たってコロコロと鳴る音が、わたしの口からではなく、隣から鳴っている。と、思う。多分。だって見えやしなかったのだ、想像するしかあるまい。

「自分で考えろ」

 ガキじゃあるまいし、とリボーンは歯切れの良い低音で呟いた。くそっ、無駄に良い声しやがって。最早降参するしか道の残されていないわたしは、唸りながら新しい飴玉を取り出し、がま口を閉じた。リボーンは耳抜きが上手なのだろうか。
 添乗員さんの、綺麗な声音のアナウンス。わたしは腰を落ち着けて、再度セロファンを破る。とうに吹っ飛んでいってしまった眠気を恋しく思いながら、割と機嫌の良さそうなリボーンを隣に確認する。これから始まる空の旅がまともなものでありますように。

「そりゃ無理な注文だな」

 意地の悪さは十年で更に悪化しているように感じたが、気のせいじゃないのかもしれない。

眩まされたら春の下

150104|haruさん、リクエストありがとうございました