※血生臭い
やってもた、と思うた時にはもう遅い。
「こん、の、ドアホがァ!!」
背後から飛んでくる怒号は今にも鼓膜を破らん勢いである。裂けた腹部から色々飛び散りそうで肝を冷やすが、まあ腸は飛び出てても肝までは大丈夫やろと納得し、機関銃を握り締める。触手モノなんてファンタジーだけで充分や、間に合ってますホンマに。
うーん、これ大丈夫なんかなあ、分からんなあ、この種の悪魔とは初めて対戦するし、能力も未知数やし。何より自分のお腹から中身がこんにちはチラリズムというトンデモ展開は初めてや。大人の階段のぼってもた! いや、どっちか言うたら天国への階段か。死ぬわ。
地面をしっかり踏み締めると、とんでもない痛みで意識が飛ぶかと思うた。でも今死んでしまうと悪魔に捕食されて死体も残らんくて葬式も出来ひんね! ちょっと寂しいね! と思うたので、とりあえず触手が集中している根元に弾丸をぶち込んだ。
あまりに痛くて上手く力が入らへん。空気を吸うと(色々と)漏れていきそうや。呼吸が震える。指先から落っこちそうになる機関銃を気合で抱え直す。
気合と空元気なら負けるつもりはあらへんので、振り絞るように指先に力を込める。同時に、二体の悪魔がこちらを振り返った。そのうち一体は顔見知りである。二発目の弾丸は見事に触手の根元に吸い込まれていった。二重に食らえば多少は効くやろ。
「ッアホ、ほんまアホやなお前は!!」
自分の左肩を押さえながら叫ぶ柔造は、負傷してへんかったら先ずわたしを殴っとった。いや、殴られたら間違いなくわたしは昇天するが。天国のじいさんばあさんの仲間入りおめでとう。いやもう地獄とか考えとうないから選択肢から削除や。
やはり触手の根元が急所やったらしい。弾丸の効力が抜群やったんか、わたしの逞しい脹脛に絡み付いてきとった触手は灰となって消えてもうた。
しかしわたしの腹からまるで触手のようなものが出とるのには思わず目を瞑る。触手というか臓器やけど。人間の身体ってほんますげー。こんな長いモンが入ってんねな。
至近距離で自らの臓器を見ることになってもうて痛いやら恥ずかしいやらで感情がうまく整理出来ん。よく即死してへんな、と自らに感心する余裕はあった。
「胃、とか、肝と、か、出てへん、から……セー、フ」
「アウトじゃボケェ!!」
はよ医工騎士呼べ! 怒号を撒き散らし、血も撒き散らしながら大層なことである。と思てたのが顔に出たのか、ものすごい形相で睨まれた。おおこわ。鬼がおるぞ。
あんまり怖い顔をしとるので、冗談で柔造を笑かしたろと思ったのだが、割と動けないことが判明した。一言で表すなら熱い、である。単純明快。いつもやったら吉本新喜劇ごっこでもして場の空気を和やかにするのがわたしの務めやけども、下手に動けば中身が全部こんにちはしてしまう気がするので、わたしは大人しく、柔造の背後に迫っとった悪魔に向かって最後の一撃を機関銃からぶっ放した。
衝撃で地面から足が浮く。踏ん張れへんということは、つまりバランスを崩すということで、受身も取れんと盛大に地面に転がった。中身も地面の上を這っとる。めっちゃグロイ。無様である。
とりあえず悪魔を倒すことには成功したし、結果オーライである。機関銃を抱き締めたまま地面に転がったわたしは、穏やかな空模様を見上げてへへっと笑った。
「何が結果オーライや、ドアホ!!」
いや、まだ悪魔おったんやったわ。最上級の。
柔造の罵声にビビりながら医工騎士の兄ちゃんが慌てて走ってきた。まあ、これで死ぬことはないやろ。丈夫なだけが取り柄やし、医工騎士の兄ちゃんの腕は確かや(と思う)。
いや、本当に正直なところ、腹の中身が世間様に露見した時点でああわたし死ぬな、とは思たが。辺りが真っ赤で鉄臭かろうと、辛うじて意識を保っとるし、まあ、何とかなるんちゃうか。即死してへんし。
なにとぞおねがいしますー、と言おと思て、視線だけを医工騎士の兄ちゃんに向けると見事に目が合った。
「ヒィッ」
ああ、医工騎士の兄ちゃん、悲鳴を殺しきれず。堪忍な、こんなもん見せてしもうて、と言うたりたいのは山々やけど無理っぽい。この状態で生きとることが普通ちゃうやろから、まあ、うん、わたし頑張ったわ。誰か褒めてや。
ただ、この医工騎士の兄ちゃんの隣の悪魔をどないして倒したらええんやろ。今にもこちらに飛び掛ってきそうな空気を纏うとる。こっわ。何言うても神経を逆撫ですることになるんやろな。打つ手無し? 黙るが仏? そんな諺あったか? ないな?
地面が赤い水で染まり、どす黒い土色になってしもとる。団服の買い替えは懐痛いなあ。物理的にも痛いけど。団服はなかなかに値がはる。さらばお給料。今月のジャンプ買えるやろか。お昼代ケチればええか。
お昼な。昨日ホットドック食べたな。我々は動物にもっと感謝してご飯をいただくべきだなあと思いました、まる。
「こんな時にいらんこと言うな!」
ソーセージ食べられんくなったらどないしてくれんねん! と叫ぶ柔造は、ヤのつく自由業の人みたいな形相である。実際、悪魔と違って殺したらあかん分、ヤの人の方が大変やと思う。ていうかな、柔造、わたしはソーセージとは表現してへんぞ。お前がいらんこと言うてるやないか。わたしの方にダメージくるわ。
砂がじゃりじゃりと頬に当たってめっちゃ不愉快や。医工騎士の兄ちゃんは顔面を真っ青にして、あれやこれやと必死に手を動かしてくれてはる。こんな事態(中身コンニチハ)に巻き込まれるの、この兄ちゃんは初めてやろに、自分の職務をきちんと全うしようとする姿勢が素晴らしい。どうもおおきに。
少し喋りすぎたみたいや。今更になって息も絶え絶え、目前には美しい川。川べりにはそよ風に揺れる柔らかな色合いの花々。向こう側には死んだ婆さんと爺さんがしかめっ面でこちらを見てはる。大丈夫、孫はまだ渡らんよ。ばあさまとじいさまにあの世でどつき回されるんはまだ嫌や。
己とて無事ちゃうくせに、柔造は自分の左肩に指先を食い込ませて痛みを誤魔化しながら(痛み倍増しとるんちゃうか、と指摘したいが出来ひんかった)、わたしを射殺す勢いで鋭い眼差しを浴びせてくる。長い指は真っ赤に染まっとる。
自分のことは後回し、いつだって他人を優先する立派な兄であろうとするこの男は、そろそろ客観的に自分の立ち位置を確認すべきや。男やの女やのに拘って、守る立場を譲ろうとせん頑固者には、この位のお灸が丁度ええ。
「わた、しは、間違う、て、へんで」
柔造の纏う空気が五度ほど下がった。ほんまに、自分が普段どんな戦い方しとるか、なあんも分かってはらへんなこの男。嘲笑ってやろうと息を軽く吸い込んだ瞬間、医工騎士の兄ちゃんが局部麻酔の注射針を腹部にぶっ刺してきたので衝撃にわたしは呻く。いや、治療してもらっとるねんから、文句は言わんけど。
「あ、あの、さん! 後生ですから、治療中は喋らんとってくれはりますか!」
「そ、ら……すんま、へん」
「せやからもう喋らんとってくれはりますか!?」
涙目になりながらわたしの零れた臓器を何とかしてくれてはる兄ちゃんは、肩を震わせながら縫合を始めとった。仮処置だ。ひいひい言いながらも手付きに危なっかしさは感じられへんので、やっぱり“慣れてはる”。
この兄ちゃんは柔造とよく同じ任務に就く。柔造は部下を一等大切にする男や。任務に出たばかりの者を庇うなど朝飯前で、この兄ちゃんはその尻拭い―――つまるところ、容易く傷を負う柔造の手当て全般を担当してきたんやろう。半泣きになりながらも安心して手当てを任せられる不思議さは、それが起因しとる。
今にも舌打ちを噛ましそうな、眉間に深い谷を刻んだ柔造は、苛立たしさを隠そうともせんかった。地面を等間隔で叩く足先が、厚手の団服が皺くちゃになるほど力を込められた指先が、ぎりぎりと鳴りそうなほどに噛み締められた歯の奥が。
「……何で俺を庇った」
喋らんでええ、お前の目ェみたら分かるわボケェ。柔造はそう吐き捨てると膝を折り、わたしのすぐ傍にしゃがみ込んだ。ほな聞くなよと言いたいが、聞かずにおれんといった顔をしとった。
泥と傷に濡れた手が、同じく泥と血だらけのわたしの髪を無理矢理梳いた。頭皮が引っ張られて思わず声を零しそうになったけど我慢した。
医工騎士の兄ちゃんは緊張からか恐怖からか、汗だくになりながらわたしの肌を縫うてくれてはる。麻酔がきちんと効いとるので痛みはなく、皮膚と皮膚が引っ張られる妙な感覚にくすぐったさを覚える。まあ、笑う元気はあらへんけど。
わたしより、柔造の方がずっと痛そうな顔をしとる。
「そないに、俺は頼りないんか。お前、俺に背ェ預けて戦うとったくせに、何やねんホンマ」
場面が場面なら、わたしは髪を引っ掴まれて持ち上げられとったかもしれん。薄い水の膜を張った瞳が揺れとる。裏切られたような心地なんやろか。
負傷してへんはずの胸が少し軋んだような気がする。何やねん、信じられへんわ。そう言うて柔造の口は、瞳は、雄弁にわたしを詰る。
「わ、たし、間違うて、へん」
「ッ、まだ言うか!」
「さんホンマ黙ってくれはりますか!?」
柔造にも医工騎士の兄ちゃんにも怒鳴られてもうたので、わたしは閉口する。この偏屈、頑固者め。いや、医工騎士の兄ちゃんはちゃうけど。
縫合されてきちんと中身が収納されてくのを実感しながら、指先で地面を掻く。わたしがもっと強ければ、機関銃以外にも沢山の武器を扱えれば、もっと頭の回転が速ければ。ないもの強請りを繰り返したところで、口の中には苦味しか残らへん。
柔造は何でも抱え込む。信用しとると見せかけて、その荷をこちらに預けてはくれへん。そのくせ、己を信用しろと注文をつけてくる。隊長やからと、志摩家の跡取りやからと、あらゆる重荷をどんだけその背に乗せる気なんやろか。傲慢な男や。
本当に他人を信用してへんのは柔造の方や。わたしと柔造の階級は一緒である。わたしのことを見縊っているからこそ、そんな口が叩けるんや。女やから? しょーもない理由である。
きっとこの男は蝮ちゃんにも同じことを言うんやろなあ、と思う。容易く想像出来る。分かりやすい男。何でもかんでも一人で出来るんなら、他人と一緒に任務する必要なんか一切あらへんのやぞ。ええ歳になって高校生くらいで分かることを知らん振りしよって。
「人こそ、人の鏡や、ボケェ」
正しいことを言うたのに、わたしはまた柔造と医工騎士の兄ちゃんの視線で殺された。
わたしは間違うてへん。好いた男の盾になることの、何が悪いて?