ベッドの上で目を覚まして、隣に男が転がっていてびっくりした、という経験も、繰り返せば日常の一部となる。ひとつ先に述べておくと、わたしは遊び人ではない。表向きは人文地理学の研究者、裏向きは秘密結社ライブラの一員であるというのが妥当である。
 それが何故男と同衾の話に繋がるのか。結論から言うと、同じくライブラのメンバーであるザップ・レンフロの保護である。
 このザップ・レンフロという男は高い戦闘技術を持つ一方で、どうしようもないチンピラである。すぐに給料をスってしまうし、自ら危険な行為にのめり込む。褐色の肌に銀髪、細身の胴体からは長い手足が伸びており、無駄に整った容姿を利用し複数の女性のもとを渡り歩く生活を送っている。できれば仕事以外で関わりたくないタイプの人間である。
 まあ万年発情期の猿と比較しても遜色ない男であるが、毎日下半身の欲望に任せている訳ではないらしい。気分が乗らないこともあるのだろう。わたしは男ではないのでその辺のことは専門外である。
 そして、気分が乗らない時の寝床としてわたしの部屋を選択するという、必要以上に迷惑な男なのである。
 ライブラで出会った当初は、女性関係にだらしない程度の認識しかなかった。会話もしたことがなかったし、任務でバディを組むこともなかったため、これほどまでに救いようのないクズだとは思わなかったのだ。然程興味もなかったので、認識を深める機会を自ら創出することもなかった。
 ある日、研究前の食糧確保のために出かけていたわたしは、外でクスリによって残念なことになっているザップを初めて目撃してしまう。これは同僚として助けてやらねばなるまいなどと思ってしまい、自室に連れてきてしまったのである。
 この男が何かしらのトラブルに巻き込まれたのではないかと考えたのだ。結果、それは間違いであったが、薬物中毒の人間に初めて接したわたしは色々とパニックになっていて、解決の糸口を手放してしまった。
 ずるずると男を引き摺って自宅に向かう途中、ザップはほけ~っとした顔付きでわたしを見上げてこう言った。

「……おま、いいやつ、……らな~」

 そりゃそうだ。わたしはライブラの構成員であることを除けば、善良なる普通の研究者である。よって、ザップがクスリ漬けでお花畑な頭でわたしのことをそう判断するのは妥当である。滑舌が怪しすぎて九割の言葉は聞き取ったというより推測であったが、とりあえず男はわたしを褒め、感謝の言葉を吐き続けた。アルコールと胃液と何か色んなモンも床に吐き続けていたけれど。
 わたしは医者ではないのでクスリに関する正しい対処法は全く頭の中になかった。しかし、この男を失くせばライブラにとっては甚大な損失であることは明確であったため、インターネットの海に乗っている程度の処理法を学び、それなりにザップを介抱した。これがまたいけなかった。研究者として研究に没頭しているだけなら良かったものを。




「お前ひでー寝顔だよな、いっつも」

 ケケケ、と男が嫌な笑い方をする。わたしの枕は唐突にやってくるこの男にいつだってあっさり奪われ、わたしはタオルケット片手にソファーで眠ることになる。安眠できないのに安らかな顔ができるわけなかろう。知能は猿の方が上なんじゃないのか、と言い返さないわたしは、言い返せばキリがなくなって必要以上に疲弊することを知っているのである。
 宿を借りているのに大きな顔をするこの男をどうやったら痛めつけられるだろうかと考えることもあるが、そんなことをしている暇があったら論文のひとつでも書いて原稿料を稼ぐ方が賢い。
 ソファーの横に設置したローテーブルに最新の参考文献の束を重ね、ぺいっとパンプスを脱いでわたしは横になる。瞼を落とす。真っ暗では眠れないと一丁前に文句を垂れる男のためにベッドのヘッドボードに小さなライトを点けてやり、夜中魘される奴のためにグラスに水まで注いでやった。わたしはお前のかーちゃんか。自嘲するも、結局無理矢理追い出すことはできない。わたしは正真正銘の甘ちゃんなのである。
 そうして次に目を覚ますと、わたしは何故かいつもベッドにいる。腹に褐色の重い腕が絡み付いていたり、頭皮に寝息がかかっていたり、長い脚がわたしの短い脚の上に乗っかっていたりする。一番最初に目が覚めた時、ザップがわたしを抱え込むようにして眠っているのを理解した瞬間、わたしはこんなどうしようもない男に足を開いたのだろうかと切腹したい心持ちになったものだが、そういった間違いは今のところ起きていない。



 名前を呼べば、わたしが何でもしてくれるかのように思い込んでいる。残念な男である。そしてどこか狡猾な部分も持ち合わせているらしい。この男がわたしを湯たんぽ代わりにするために綺麗に笑って腕を伸ばしてくるのを、今のところわたしは遮ることができないでいる。
 そりゃそうだ。だってわたしは夜中はきちんと睡眠をとっている。




 ザップは、知らないことが多かった。有り触れた週刊マンガも、大ブームになったゲームも、人気のあったおもちゃも。幼少期を過酷な修行で塗りたくってきた人生で、とりあえず色んなものをすっ飛ばして一般的でないクズが通る道だけを辿ったザップは、戦うことのみに特化してきたらしかった。相手を打ち負かすものばかり。
 戦場とベッドでは負け知らず。そんな男は、小学生でも知っている人生ゲームを知らなかったし、駄菓子にはしゃぐ幼稚園児と変わらなかった。
 わたしの手元を覗き込んで、「ンなの知ってるっつーの」と軽口を叩くくせに、その目はきらきらと輝いている。本当に知っているなら即座に興味を失ってしまうであろうと予測される代物にも、純粋に視線を注いでいる。
 図体だけでかくなって、子ども時代がぽっかりと空いてしまっているのだ。大人の遊びはいくらでも知っているのとは裏腹に、些細な子どもの遊びには無知だ。その点だけは評価できた。
 こんなに純粋な奴だったのか、と最初は驚いた。喧嘩、後輩いびり、煙草、酒、賭け、女、クスリ。度し難いクズとスターフェイズさんに笑顔で言わしめた男が、こんなにも。
 わたしは大人の遊びを提供しない。できない。しようとも思わない。煙草は吸わないし、賭けもしない。お酒はほろ酔い程度に嗜むだけで、風俗には行かない。クスリは論外。勿論、レオ君を顎で使ったりもしないし、ツェッド君に喧嘩も売らない。
 せいぜい人の殺し方と、地図の読み方ぐらいしか教えてやれそうにない。そう思っていたのは、どうやら間違っていたらしいと最近分かった。
 他人のベッドに勝手に転がった男は、本棚から勝手にマンガを取り出してきて満足気だ。一般的な子どもが味わってきたであろう娯楽を、初めて口にしたかのようなはしゃぎっぷり。

「まるで母親にでもなったみたいだ」

 ぼそっと零すと、真ん丸になった目玉がこちらを向いた。

「はァ!?」

 唐突に声を荒げた男は、さっきまであんなに夢中だったマンガを放り投げ(無論、わたしの大事な漫画を汚すことなど許すつもりもなかったので、不本意だがわたしが空中で捕まえた)、何やら相当に驚いたらしい、わたしを凝視するその間抜けな顔面よ。黙っていればイケメンなのになあ。

「ンだよ、ハハオヤって!?」
「いや、子育てしてるみたいだなって」
「誰が!?」
「育ち盛りの子どもだよね」
「はァ!? ンだとテメエ!!!」

 でかい小学生だと思えば微笑ましいモンだよ、とまで言うと手がつけられない程度に暴れだすかもしれないので言葉にはしなかった。顔には出たかもしれない。
 ゲームは、レオ君とツェッド君に釣られて覚えたらしい。長い指がコントローラーを握ってその実繊細な操作をこなすようになった。器用なんだか、不器用なんだか。器用貧乏というのが一番当てはまっているのもかもしれない。
 マンガは、わたしが教えた。ボロアパートの一室の壁面の二つは、天井まで届く本棚で埋められている。マンガも研究に使う資料となる文献も、経済誌も、一応整理して収納しているものの、増えるペースに追いつかない。
 字が壊滅的に汚かったザップの手を取って、読める字が書けるように矯正したのもわたしだ。パソコンの使い方はまだダメだ。スマホは大丈夫だから、機械モノが完全に駄目という訳ではなさそうな点が救いである。報告書はわたしかレオ君が代わりに書いてやっているから良いものの、そろそろきちんと覚えさせなければ。
 子が自立するように育てていくのも、親の役目である。

「ほら、わたしが育ててるじゃん、半分ほど」
「ンな訳ねぇだろ!」

 しかし、それ以上弁解することもなく、あ゛ーと呻きながらザップは再びベッドに沈んだ。寝転がったまま読むと頭が痛くなるよ、と言ったら、知ってる、と返ってきた。そうだ、このやり取りだって、何度繰り返したことか。
 褐色の足が白いシーツの上でよく映える。形の良い足の指が伸びたり曲がったりを繰り返してシーツに皺を作っている。無駄な動きだ。このシーツを洗濯して干すのは誰だと思っているんだろう。何も考えていないんだろうなと思うと溜息が隠せない。
 子どもと一緒と言ったものの、シーツの上に子どもの要素はない。黙ってじっとしていれば、視界はずっと美しくあるのに。勿体ないことである。
 横向きになってマンガを読む目には、勧善懲悪無敵のヒーローが映っているのだろう。そのマンガ、クラウスさんみたいだよね、なんて、言った暁には。
 ああそうか、わたしがこの男を路地裏に捨てようとしない理由が、ようやく分かった。つっかえていた問題の解答を示す糸口は、まだ指先から完全に離れた訳ではなかったようだ。
 ザップがマンガから目を離して不思議そうにわたしを見上げた。そう、どうしようもない部分を丁寧に除けば、この男の無垢に簡単に触れられる。

「教えてあげるよ」

 人を優越感に浸らせる天才のザップ・レンフロ君。君のおかげで毎日が楽しい。

半円は宇宙のふちどり

160215