「君、骨が良いね」

 間違い無く変態だと思った。




 女性限定の出血大サービス絶賛二日目につき、頭痛腰痛腹痛のトリプルコンボで心身共に干乾びる寸前のこの現状を打破出来ない。流石に死にそうな予感がしてならない。立っても座っても寝てもというか何をしてもあちこちが痛いので、仕方無く保健室で痛み止めの薬を貰うことにした。しかし頭痛腰痛腹痛の三種の痛みに全部効く薬があるのだろうか。時代錯誤なことを言うが、此処には半分がアセチルサリチル酸というやさしさで出来ているアレが無いので、とても不安だ。痛え。
 額を押さえ、下っ腹を擦りながら保健室の扉を足で開ける。行儀が悪かろうが、どうせ中には保健委員しかいないから良いのだ。兎に角痛みが暴走中なので早く何とかしたい。

「あ、

 善法寺が薬草を擂り潰す手を止め、女の子をころりと落としてしまう笑顔で迎えてくれた。だがわたしはその笑顔の胡散臭さに気付いている女の子であったのでころりと落ちることは無く、乱暴に扉を後ろ手に閉めるに留まった。
 こういったことに関しては鋭過ぎる善法寺が「二日目かい?」とのたまったので、苛立ち半分に頷く。お前に必要なのはそれ以上の医学知識じゃなくて人を慮る精神ではなかろうか。不運過ぎるあまり鋼のような心臓を手に入れた善法寺はわたしの般若寸前の顔面を見たにも関わらず、ただにこにこ笑っている。きっと今の六年生の中では一番長生きするだろう。

「ええと、痛み止め痛み止め……」

 善法寺はごそごそ薬箪笥の中に腕を突っ込んでいる。一番右側、と指定して薬包紙にくるまれた黒い丸薬が取り出されるのを待つ。幾つ? と尋ねられて二日分、と答える。善法寺は新しい薬包紙を違う棚から一枚取って丁寧に慎重にゆっくりと丸薬を二重に包んでいる。慌てれば慌てる程善法寺の不運は発揮され易くなるからである。
 丸薬の癖に鼻の奥を刺すような強烈な臭いを醸し出しているのが憎い。善法寺の笑顔の薄っぺらさと真逆に、この男が作る薬の効能は滅法良いのだが、如何せん臭いが酷い。腹下しの薬なんかはドブの臭いがしたものだ。恐ろしい。
 まあこの薬は善法寺が作ったものではない。善法寺が作ると最早毒に等しいものになるのでわたしが作るのを禁止した。にも関わらず臭いは強烈である。薬と毒は同じというのは本当だなと実感する瞬間である。

「はい、どうぞ」

 善法寺の指先は薬草の緑に染まっている。あとは細かな傷が多い。意外と骨張って大きな手から薬包紙を受け取る。女顔の割に、他の身体的特徴は意外にも男らしい。

「ありがと」

 一つは懐にしまい、一つは流れるように出てきた湯飲みの白湯で飲み込む。咥内を刺激臭が襲うがこれは薬だ。薬なのだ。
 とりあえずお茶でも飲んでく? と胡散臭い笑顔で善法寺が言うので、わたしは腹を擦りながら首を縦に振った。部屋に戻るのも億劫だ。ぶり返す痛みに眉間に皺が寄る。善法寺が三枚重ねてくれた座布団に腹を手で押さえながら座る。湯飲みはいつの間にか回収されて、代わりに緑茶のいい香りが漂い始めた。新鮮な空気を吸いたくて長い溜息が出てしまった。
 じわじわと大合唱を続ける夏の風物詩は、脳をがんがん揺らしてくる天敵である。だが扉を閉めれば暑い。土壁にもたれて思わず息を吐くと、弱ってるは愛らしくていいね、と善法寺が微笑む。本当にこの男は。

「今日は患者が運ばれてこないし暇だなあ」

 ぽろっと本音の零れた善法寺は慌てて「患者が来ないのは良いことなんだけどね!」と付け加えた。わたしを冗談も通じない輩であるかのように思っているのだろうか。失礼な奴である。まあ立花あたりに情報提供するけど。
 なお、わたしが患者として数えられていないのは保健委員だからである。加えて今思い出したが、今日はわたしが当番の日だった。

「今度の私の当番の日と代わってくれたらそれでいいよ。それから」

 人でなしではあるものの、気は利く方である善法寺が懐紙で額に浮き出た汗を拭ってくれる。丸薬の効能が出るにはもう暫く時間が掛かる。己が調合した薬なのでその辺はよく分かる。途中で途切れた台詞に嫌な予感がするが、逃げ出す体力などとうになかった。

「ねえ、血の匂いで誤魔化すのはやめた方がいいって、何度も言ってるよね?」

 この強かさがあるから、この男は保健委員長なのだ。下腹部とは別の熱を訴える右足を差し出すわたしはまるで処刑される罪人のようだった。




 善法寺伊作との出会いは、保健委員会に初めて属した三年生の時に遡る。如何にもくのたまに(二重の意味で)人気がありそうな奴だな、というのが第一印象。人畜無害そうな、穏やかな雰囲気の男であったので、将来忍者としてやっていけるのかなあと思わず心配してしまった。この頃のわたしは実際の善法寺が予想を遥かに超えて丈夫な奴だとは知らないので、ただ可も無く不可も無く、はっきり言ってしまえばどうでも良いの位置付けに成功した。
 わたしの心配は杞憂に終わる。三年生でありながら、善法寺は既に上級生と変わらぬ医学知識を身に付けていた。一体何処でそこまで学んでいるのか疑問だったが、三年生の間はそれを解くことができなかった。わたしが善法寺と関わるのは委員会活動の、全学年が集まる時のみであった。大抵の仕事はくのたまの先輩と一緒に行っていたので、委員会活動中の忍たまとの接点は限りなく少なかったのだ。
 四年生になり、くのたまは色の実習なんかが増え始めた。月のものが始まる子も大半であり、善法寺の本性を知ったのもこの頃である。だって、服を脱いで何を言われるかと思ったら、「骨が良いね」? 訳が分からない。言葉の上では褒められているのだろうが、そんなものを褒められた経験はない。どう反応して良いか困惑するしかあるまい。
 困り果てたわたしは、それでも忍たまに対して劣勢の素振りを見せる訳にはいかないと分かっていたので、何か言葉を紡ぐ必要があった。どうしよう、こんな人畜無害そうな顔をしているくせに、発想と発言が気持ち悪いなんて予想外だ。まあ、予想外の出来事に当然に対応をしてこそ立派なくのいちであるというものだが。

「そう」

 無闇に迂闊な発言をして失態を犯すことを恐れたわたしは、素っ気無い態度で誤魔化す手法を取った。布団の上で言葉を重ねると、こちらが不利になりそうな予感がした。足でも絡めておこう。ちゃっちゃとこんな実習終わらせて、睡眠時間を確保せねば。
 そんなわたしの固い決意とは裏腹に、善法寺は我が道を行く男であることを、ようやく知った。

「ああ、いいなあ」

 うっとりと蕩けた声は、声変わりが終わったばかりでまだ掠れている。まあ、声だけならその場を盛り上げるのに一役買っただろう。問題はその薬草の匂いに染まった指先だった。
 薬草の匂い自体には慣れたものであるので特に問題はない。保健委員の運命である。ただ、善法寺の指先はしつこくわたしの全身の骨をなぞった。何が楽しいのか全く分からないが、鎖骨から肩、肘、手首、指先まで、死体を検分する時よりも丁寧に撫で回された。肉の感触を楽しんでいるのではない。
 実習であるのだから一般的なあれそれをこうしてくれれば良いものを、善法寺の変な拘りは止まらない。とりあえず胸でも揉んでおくか、と申し訳ない程度に触られた程度で、男は骨にご執心である。異常だ。実習の監視に来た先生がドン引きしているんじゃないだろうか。先生の気配は四年生ではさっぱり分からないが。

「骨の髄まで、という言葉があるだろう。肉は腐って朽ちるけど、骨はある程度もつからね」

 何の理論が展開されているのかを考察することは止めよう。きらきらとあどけない子どものような眼差しは、皮膚の下の、筋肉の向こうの骨にだけ向けられている。
 実習はなかなか終わらなかった。善法寺は肉より骨が好き、ということを知ったが、それが一体何の益になるのかは終ぞ分からなかった。




 そんな地獄のような実習から二年近くが過ぎ、善法寺の性癖は歪んだまま成長を遂げた。誰も矯正してくれなかったらしい。

「矯正だなんて、も冗談が酷いな」
「冗談と捉えたお前の頭が酷いわ」
「ええー?」

 またまたあ、と善法寺は笑ってわたしの足に包帯を巻き付ける。適度な力加減で一切の緩みが出ない包帯の巻き方は、そりゃあ見習わないといけない訳だが、その後が余計なのである。

「やっぱりなあ」

 目を眇めてわたしの足首の骨をぐりぐりしている。怪我人なのでわたしは無駄な抵抗はしない。万全の状態であれば善法寺の顎を蹴り飛ばしてさっさと自室に帰るのだが、保健室は奴の城である。怪我人は等しく玩具なのである。身を捩ると刃物で抉れた脛が痛むので、精々罵る程度のことしかやることがない。
 だから善法寺に怪我の治療をしてもらうのは嫌だったのだ。腹痛等が治まれば、自分で手当てするつもりだった。何を言っても不運うんこ委員長は頑固者なので、無駄だとは分かっていたが。

『君、骨を折ったら承知しないからね』

 いつぞや言われた善法寺の小言を健気に守るわたしは、骨の代わりに肉と血を犠牲にした。善法寺の手は淀みなく動く。足の甲、指の隅々までなぞっていたかと思うと、また足首に戻ってきた。もうお前は自分の骨でも触っていろ。
 じわりと滲み出た汗が顎を伝って気持ちが悪い。じわじわと蝉の鳴き声が校庭から響いてきて、頭の中を揺らしていた。息を吐いて瞼を落とすと、善法寺の手が顔に伸びてくる気配があった。かさりとした感触で、懐紙が当てられたのだと知る。
 脱がされた足袋が遠くで死んでいる。わたしの足首を守ってはくれず、ぬるい体温が行き来している。やはり治らないだろう。傷ではない、善法寺の頭が、である。

も私の骨触ってみるかい?」
「結構よ」

 お前が自分で自分のを触ってろよ、と何度言っただろう。この男は紅潮した頬で嫌だと繰り返す。恐ろしいまでの執心具合である。きっとわたしが先に死んだら骨までしゃぶられるに違いない。そのまんまの意味で。ぞっとする光景なので想像したくもない。
 薬が効いてきて下腹部の痛みは穏やかなものになったが、頭痛は酷くなるばかりである。

「肩甲骨とかどう?」
「お前が触るのかよ」

 害のなさそうな顔で勝手に人の背中をまさぐるのだから性質が悪い。抱き締められるような体制で、目的は背中の骨である。一度立花の焙烙火矢でも頭に浴びてくる必要があるのではないか。おかしい。わたしは解放されるべきだ。

「どうして? 君の骨は本当に素晴らしいんだよ」

 知らんがな。己の良いと思うものを他人に押し付けるのは感心しない。久々知だって豆腐を死ぬほど愛しているからと言って嫌がる他人に無理矢理食べさせたりしないだろうに(嫌がる素振りがなければ食べさせると後から知った)。節度という言葉を知っているかい。善法寺は元気良く頷く。今は足袋しか脱がしてないから、服越しでしょう。だから大丈夫だよ。

「もういい、勝手にして」
「本当かい? じゃあずっと気になってた肋骨触るね」

 わたしは対話を諦めた。

じょうずに綴じてあげられる

160726|ユメバさん、リクエストありがとうございました