長期任務を終え、くたくたの身体に鞭を打って報告を済ませた後、打ち上げでもしようかという話になった。どこでする、何を食べる、と任務明け特有のギラギラした眼差しで話し合っていると、ネジ君が「俺の家が一番近いし、食べに行くより安く済むだろう」と言い出した。我々は歓喜した。
 日向一族の家。つまりは屋敷である。
 今回の任務は一般庶民の女ふたりに男ひとり、そしてネジ君のフォーマンセルで当たった。ネジ君以外は二十代である。上忍になったばかりのネジ君は、このチームでは最年少ながら一番大人びていたので、二十代の大人であるわたし達はどこか居た堪れない気持ちを隠せずにいた。恥ずかしいが仕方なかった。

「肉が食べたいねえ」

 上忍の女性同僚がしみじみと言った。任務中の栄養補給と言えば携帯食糧が主で、時たまボロ宿で簡素な食事を摂るには摂ったが、やはり肉が恋しい。しっかりと腹に溜まるものが食べたい。

「すき焼き……」

 もう一人の上忍の男性同僚もしみじみと返した。わたしは返事をするまでもなく腹の虫が元気な産声を上げていた。駄目な大人達である。
 ネジ君はどうしようもないなコイツらは、という顔を隠しもせず、とりあえず汚れた身体をどうにかしてからだ、銭湯に行ってから食材の買い出しをするぞ、とへろへろの三人を引き摺っていく。彼が下忍の頃、ガイ上忍の班に所属していたが故の、面倒見の良さというか手際の良さというか。
 彼の、仕方ないな、という感情を剥き出しにする白い瞳が、想像していたものよりずっと柔らかいことを、この任務で思い知った我々である。

「ネジ君人生何回目?」

 わたしがぼけっと零すと、嫌そうな顔をしてネジ君が振り返った。

「お生憎さま、一回目だ」




 湯上りほかほか、きっちりフルーツ牛乳を揃って飲み終えた我々は銭湯を後にし、八百屋肉屋酒屋に寄って各々胃袋が欲しているものを買い込んだ。せめてもの償いとして駄目な大人三人で食費は折半とした。ネジ君が財布を出そうとするのを必死に押し込めなければならなかったため、三人の体力は即座に黄色ゲージにまで逆戻りしてしまったが仕方あるまい。ネジ君が非常に礼儀正しい子であることは以前より承知の上である。
 またへろへろになりつつあった先輩三人は、八百屋で新鮮な野菜を見た時は大丈夫だったが、肉屋で運良くタイムセールが始まった瞬間には正気ではいられなかった。三日まともに寝ていなかったから不可抗力である。言い訳をするほど脳の疲労が回復していないともいう。ちなみに酒屋で美味しそうな果実酒を見つけた時も同様である。ネジ君は常時他人の振りをしていた。
 銭湯を出てもまだ身体の火照りが治まっていないらしいネジ君は頬が桃色のままで、ああ十代の青少年なんだなあ、と我々は少し悲しい気持ちになったが、その頬を指摘すると蔑み成分キツめの眼差しを向けられることは分かっているので、にやにやするに留まった。ネジ君は「気持ち悪い……」とによによしている我々に対して嫌そうな顔を向けている。今回の任務で随分見慣れてしまった。可愛いものである。
 小さなアパートが密集している住宅街へと我々は誘われた。あれ、日向一族の屋敷ってこんなごちゃごちゃした街並みの中にあったっけ。いやそんなはずは。そもそも屋敷だぞ、土地広いだろ。でもネジ君が案内してくれてるんだから間違いはないでしょ……というのを無言でやり取りしたズッコケ大人三人組は、外装から少し首を傾げてしまうようなアパートの目の前まで辿り着いた。
 いよいよ混乱し始めたダメ上忍トリオは、金属の階段を軽やかに上っていくネジ君の後にとりあえず続く。なんて非現実的な景色だろう。いや、我々には馴染の深すぎる光景なのだが。打ちっ放しのコンクリートの壁、古びた緑色の扉は所々が錆びて土の色に変色している。
 カチャッと軽い音を立てて鍵を回す音がしたので、我々ははっとして目前の現実を認識する。現実?

「ただいま」

 ネジ君はきちんと帰宅の挨拶をして、山盛りの食材が入った袋を玄関の戸棚の上に置いてから靴を脱いだ。我々は茫然とその背中を見やる。

「ん? どうした、上がってくれ」

 カシャカシャとビニール袋が持ち上げられて鳴く。人ひとりが靴を脱ぐので精一杯の広さの玄関。塵ひとつ落ちていない。促されるまま、同僚の男がぼんやりとした顔のまま、とりあえず続いて靴を脱いだ。

「……えっ、一人暮らし?」
「言ってなかったか?」

 ネジ君がきょとんと愛らしい表情を浮かべた。混乱の渦はどんどん加速していく。
 玄関を入ってすぐにある台所に食材が並べられる。アンタ達は洗面所で手を洗ってきてくれ、とまるでお母さんのような指導を欠かさないネジ君に、我々は大人という免罪符を忍具ポーチに押し込んで子どもに戻ることにした。ネジ君は溜息を吐いていたが、今度は嫌そうではなかったので、子ども(二十代)三人は石鹸で手首まできちんと洗ってうがいまで済ませてから部屋の奥へと足を踏み入れた。
 狭いアパートの一室は、必要最低限の家具が置かれているだけで非常に簡素な造りであった。部分的に日に焼けた畳がこの建物がそう新しくないことを如実に示している。壁も天井もお世辞にも美しいとは言えず、ところどころに謎のシミがついている。窓は綺麗に磨かれており、部屋の隅には埃ひとつ落ちていない。つまり、壁や天井のシミは掃除しても落ちないほど昔の汚れであることが分かる。
 あの名門・日向一族の実力者でありながら、こんな手狭な部屋で生活しているとは、一体誰が想像できただろうか。思わずくぅっと唸ってしまいそうだ。まさか我々も同じようなものだとは言えないが。日向一族って名家なんだから、お金あるんじゃないのか。我々みたいな貧乏忍者と同じような生活水準で良いのか。

「倹約して損はない」

 紙袋から果実酒の瓶を取り出したネジ君は、単身者用サイズの冷蔵庫にそれをするりと収め、扉を閉じた。ぱたん、という軽い音。

「いやいやネジ君、身分相応という言葉を知っているかね」

 思わずわたしが尋ねると、ネジ君はきょとんとした顔で紙袋から白菜を取り出す。

「他人のことを言えた口か? アンタ達だって同じだろう」
「信じられない!」
「冗談でしょ!?」
「名門一族と一般庶民を一緒くたにしないの!」

 思わずギャーギャー騒ぐトリオにネジ君は頭が痛いという顔で耳を押さえている。ここの壁は薄いからあまり騒ぐな、と言われて我々は更に悲鳴を上げる他はなかった。ネジ君からゲンコツを頂いたことで、我々はようやく正気に一歩戻った。
 例え同じ上忍であったとしても、出自の違いが大きすぎる。我々は努力と汗と鼻水の賜物で上忍になった訳で、ごく普通の、一般家庭の出である。慎ましい生活を送ることが当然である。
 対して、名門の日向一族のエースが倹約に励む姿は健気ではあるが、身分相応という言葉があってだな。ああいや、ネジ君が努力せずして上忍になったと言うつもりは全くないので、その辺は誤解なきよう。
 家賃いくらだろ、わたし達より安い可能性あるよ。何てこった、こんな事態が許されるのか。不動産屋も止めろよ、日向一族の子がこんなセキュリティ(笑)なアパートで大丈夫な訳ないだろ。

「さて、すき焼きだが……肉を焼いてから味付けをする作り方で大丈夫か?」

 最早、大人組が煩いことはデフォルトだと認識してしまったネジ君は、サクサクと晩餐の準備を進めてしまう。このままでは我々の出番がなくなってしまう。というか、ネジ君は大人しくそこの座椅子で待っていてくれれば良いものを。

「ネジ君すき焼き作ったことあるの?」
「自炊はしている」

 ここで女二人が白目を剥いた。大きな一族にはお手伝いさんとかいるんじゃね? 料理も自分ではしないんじゃね?とか思ってて申し訳ございませんでした。

「リーやテンテンが任務明けによく押しかけてくるから、鍋は慣れてる」

 あと一人暮らしに鍋は欠かせないからな、とネジ君がふっと笑みを零した。まじで。日向一族でも分家だとこれが普通なのか?
 ツッコミに疲れてしまったチームのメンバーのもう一人の女がざくざくと野菜を切り始めた。この子はとても料理が上手なので全てを任せておいて問題はない。わたしも遅れながら米を炊こうと腰を上げた。




 我々は戦場に立つ時と寸分の差もない真剣な表情で鍋を囲み、黄金の溶き卵を絡ませたすき焼きは瞬く間に胃袋の中へと消えた。米もどんどん消えていく。幻のようだった。締めの雑炊用にと先に分けておいて本当に良かった。
 果実酒数杯でぺろんぺろんになってしまった同僚(♀)は、ネジ君はねー、と覚束ない口調で説教を始めた。

「根回しは結構だけどもー、気を遣い過ぎというかあねえ、もっと他人に押し付けちゃって良いんだぞお若者めえ~」

 立派で面倒な酔っ払いが完成してしまったことに、ネジ君は苦虫を噛んだ顔で座ったまま僅かに後ずさる。残念だ、ネジ君の味方になってやりたいところだが同僚女子の発言は全くの正論であり、酔っ払っていなければとても真面目に耳の穴をかっぽじって聞くべき事項なのであった。そのため、わたしも同僚の男もふんふん頷き、締めの卵雑炊に舌鼓を打つ。
 ネジ君は気遣いの天才でもあるので、卵雑炊のためだけに冷凍の刻み青ネギをさっと出してくれる神対応である。

「あたし達はそりゃ大したことない一般庶民だけどもねえ、君よりちょっと長く忍者してるんだからあ……」

 時々むふふと笑い声を零す同僚は、薄らとその瞳に水の膜を貼り付けて、コップに注がれていた水を自発的に飲み干した。この酔っ払い、己の面倒は己で始末するタイプなのである。ネジ君はこの種の酔っ払いを目にするのは初めてらしく、どう対応するのが正解なのかとこちらに視線を投げてくるが、なまあたたかい眼差しを返すに留める。
 これも先輩の役割なのだ。

「今回の任務でネジの課題はよく見えたろう。無意識に頑張りすぎるきらいがあるから、もっと肩の力抜いて良いんだぞ」

 目の据わった男性同僚も、梅酒のお湯割りをちびちび飲む合間に水もきちんと摂取してお説教をスタートさせた。わたしは彼の言葉に首がちぎれる勢いで心から頷いた。そうだ、彼は今まで周囲を引っ張る役割を多く担ってきたから、身体が勝手にその振る舞いを実行してしまうのだろう。
 甘えるのが病的にヘタクソなのである。
 ぽかんと薄い唇を半開きにネジ君は時を止めている。その白くて大きな瞳からどれだけの鱗を落とすことができるだろうか。ここは先輩の腕の見せ所である。

「冷静な状況判断は問題ないのに、チームの先輩達を信用してくれないようじゃあ皆まとめてお陀仏だからな!」

 ハッハッハ、と豪快に笑う男の声に、ネジ君の顔は青ざめていく。そんなつもりじゃ。焦燥を纏った声は喉を引っ掻くようにして零れていく。

「あーあー、悲しいナー、あたし達そんなに頼りないのかなあ~」

 わざとらしくそれっぽい声音で嘘泣き手前の演技を見せる女に、ネジ君は本格的に慌て始めた。そんな、俺は。

「君が日向一族の中の立ち位置を気にしなきゃいけないというのも、“こうあらねばならない”という意識から逃れられないのも分かるけど、それはこのチームの中で絶対に必要な前提条件かな?」

 わたしがへらへらと落とした言葉に、はっとネジ君が息をのむ。豆鉄砲を食らった表情で、ネジ君は卵雑炊が焦げないようにとお玉でかき混ぜていた手を止めて、わたし達を見た。大人びているとばかり周囲に思い込ませるのが得意なはずの彼は、道に迷った子どもの顔をしていた。
 この子の自尊心を、どうにか戻してあげたい。ズッコケ大人三人組の共通認識は、直接の打ち合わせがなくともぴったりの足並みで、にんまりと笑う。

「あんまり抱え込んでも良いことないぞ。ぶん投げてしまうのは逃げじゃない」

 梅酒のお湯割りを飲み干した男は、静かにそう告げて目元を緩めた。

「少なくとも、あたし達はネジ君が隠れて頑張ってることなんて言われなくても分かってるんだからねえ」

 お冷やのコップを両手で包んでむふふと笑う女は、肩をすくめて悪戯っ子のような顔でネジ君を見上げている。

「だいじょーぶ、まだまだ間に合うよ。ネジ君はそろそろ自分を褒めてあげて良いんだよ」

 丸っこいネジ君の頭を撫でることに成功したわたしは、彼がくしゃりと口元をひん曲げて、勢い良くそっぽを向いてしまう瞬間をきちんと網膜に写し取ることもできた。僥倖僥倖。決して我々に顔を向けないネジ君の肩は、まだ発展途上の薄さを保っている。
 かんぱーい、何度目かの同僚(♀)の号令と共に、我々はグラスを掲げ、逃げようとするネジ君を引っ捕まえてまた乾杯。頑張ってる。君は十分頑張ってるよ。大丈夫。わたし達は仲間だよ。あんまり無理すると戻ってこれなくなっちゃうよ。適当でも良いんだよ。
 安っぽい言葉しか投げられない我々だったが、肩を震わせて一向に顔を上げてくれないネジ君がかわいくて、互いに目尻の塩分を見ない振りをしながら、冷凍庫に隠しておいたデザートの季節限定販売のアイスでネジ君を笑わせるのだ。

背伸びをするなら明日から

170423