「ああ寒い寒い死にそうだちょっと体温分けろ」

 息継ぎ無しに飛んできたのは言葉だけでは無かった。冷水にでも浸したのかと疑いたくなる手のひらがわたしの顔の輪郭を包み、これまた死んでいるんじゃないかと思わざるを得ない指が首筋にぺったり貼り付いた。わたしが死にそうだった。
 息を呑んで一瞬硬直し、わたしはその薄っぺらで骨と皮だけで出来ているようなそれを渾身の力で引き剥がしにかかった。死にたくない。うおおとかうわああとか、とても女子が上げるような声では無いものを喉からぼろぼろ零しながら、精一杯の拒絶を繰り返す。無意味だった。鉢屋の足は痛くない程度にわたしの足を踏ん付けて床に縫い止めているし、何よりこの死人のような手が、宣言通りに体温を奪っていく。背筋がぞくぞくした。風邪ひいたらどうしてくれる。
 息を吐けば真っ白で、わたしは顰め面で鉢屋の手を享受せざるを得なかった。実習明けだったのだろう、鉢屋の腕にはところどころ引っ掻き傷のようなものが出来ている。傷はまだ乾き切っていないようだった。無理矢理獣道を突っ切って帰ってきたのかもしれない。鉢屋は神経質であるが、最近不破の大雑把さが移ってきたように思う。随分めんどくさがりになった。

「寒い」

 息を吸えば身体の中まで冷え切る気がした。鉢屋の薄い唇から零れた白い煙は湿っぽく、それだけがなまぬるい。寒いことなど言われなくとも知っている。わざわざ主張しなくても、死人のような手が何よりの証拠だ。一体何の実習だったんだか。このクソ寒い中、とあるお城の姫様の護衛で、川で船を漕いでいたら敵襲に遭い、川べりで水を浴びながら人を殺したのかもしれない。知らない。憶測を並べても鉢屋が真実をぽろっと言うことなどあり得ないし、わたしも尋ねるつもりがない。

「寒い言うな、余計寒くなる」
「少しは同情くらいしてみせろ」
「何でわたしが同情してあげないといけないんだ」
「甘えたいお年頃なんだよ」
「他所でやれ」
「怯えさせるのは本意じゃないのさ」

 息が、近い。そう思った時には随分不破の顔が近付いていて、いやでも、不破はこんな顔しないだろうなと咄嗟に思う。現状把握には失敗している。一つ瞬きすれば、もう終わりだ。震える睫毛、わたしの首の後ろを這う指はまだ温もる気配がない。

「カワイソウニ」
「素人かよ、減点十」
「勝手に口を吸うんじゃない。減点百」

 息の根を止めてやろうか、と片眉を吊り上げた鉢屋が笑う。全く冗談に聞こえない。

呼吸困難

190528