社交辞令の「おめでとう」なんかさらさら聞き飽きとるわけやけども、この業界で踏ん張っとったらそんなん当たり前で、若手のスタッフの子らが用意してくれた特大のケーキなんか見たら、嬉しいよりも先に準備大変やったやろなあとか、他の仕事圧迫させてもうたんちゃうか、などと思ってまう。
やーでも、そんな俺の腹の中を露見させてもたらえらいことになるのは火を見るより明らかや。共演のタレントさん俳優さんやら芸人の後輩やらがぱちぱちと拍手してくれる中、望まれているリアクションを一ミリも外すことなく百パーセントの笑顔で乗り切ることだけに集中する。
スタジオのセットが片付けられる様子もなく、収録のカメラは回ったまんまやった。
あー、これエンディングにでも使われるんかもしれん。番組的にもサプライズもんはウケがええから、丁度良かったんやろな。気合い入れて立ち回らな。一秒でも油断できひん。
「え、ほんま、こんなごっつ美味しそなケーキ準備してもろて! おおきに~! めちゃくちゃ嬉して涙ちょちょぎれますわ!」
ぴょんぴょこ跳ねて大袈裟に喜ぶぐらいで丁度ええ。これはちっこい頃から肌に染みた、世の真理っちゅーやつである。
蝋燭の火を吹き飛ばせば、同じ事務所の兄さんに頭をぐしゃぐしゃに掻き回されて、矢継ぎ早に飛んでくる諸々の言葉を元気に打ち返さなあかんかった。脳トレみたいなもんである。
兄さんのせいで髪の毛みょんみょんになってもたから手櫛で直しつつ、切り分けられたケーキを恭しく受け取る。殊勝な態度に周囲から笑い声が上がってほっとした。
どでかいサイズに見合わず上品な味わいの生クリームも、ふんだんに敷き詰められた数々の果物も、結構ええとこのケーキ屋さんのそれやとわかる。確かに美味しい。ぺろっともう一切れいける感じや。
せやのに、俺はいま、自分がうまく笑えてるんかが腹の奥底で気になってもうてしゃーなくて、妙な動機が治まらへん。背中には冷や汗が流れていた。
嬉しくないわけやない。でもなんか、どっか申し訳ない。十月三十一日は、いつもそれの繰り返しやった。
スタジオから脱出してビルの駐車場にすたこらさっさと逃げ込めば、俺専用の送迎車がきっちりと待ち構えてくれとって、無意識のうちに溜め息が零れ出る。後部座席にリュックを置いて助手席にしゅっと乗り込むと、お疲れ、と運転手兼恋人である彼女から労いの声をもらい、ふへ、と勝手に口許が笑ってもた。
「今日も頑張ってきたで~」
視界に入ってきた車内の時計は、二十一時を示していた。晩ご飯、どないしよかなあ。さっき食べたケーキは意外とお腹に溜まっとって、ガッツリ食べる気にはならんかった。家でなんか適当に作って摘まむか、コンビニで何か買うか。
要するに、自分で決断する気力も使い果たしてもて、俺は座席に深く体重を預けてへらへらと笑うしかなかった。
俺が意味のある言葉を発するよりも早く、車体は動き始めていた。運転手である彼女の技能には惚れ惚れするばかりで、今日も無駄な重力の一切かからへん運転である。気を抜いたら一瞬で安眠できてまいそうやった。
「……ぬるちゃん」
「ん?」
落ちかけた目蓋を押し上げて(いつも閉じとるやんけ、とか言われそうやけど表現上の問題である)、運転してる彼女の、外の安っぽいネオンに照らされた横顔を見やる。
珍しく自分から話し掛けてきたんに、俺のことなんかちっとも見やんと真っ直ぐ前に視線を投げてんの、運転手やから当然ではあるねんけど、なんか常に飴と鞭なんよな。
「晩ご飯どないすんの」
「んー……」
わ、まともな質問やった。俺は妙に疲れた脳味噌で返事を考えるわけやけども、ちゃんとした解答が弾き出されへんくて焦る。いっこも正解が分からへん。
今日が俺の誕生日やて彼女も分かっとるし、でもこんな時間やし、明日も仕事あるし、そうなると彼女も俺の勤務スケジュールに合わせて運転してくれるから、ほんまは直帰して適当に何か食べてさっさと寝た方がええに決まっとる。
でもなあ、と子どもの俺が駄々を捏ねとるのがわかってしもて、返答は濁ったまま口の中を泳いどるから始末に負えん。
やって、まだ彼女におめでとう言うてもろてないねんもん。
朝のお迎えの時、彼女は涼しい顔で「ほれ、飴ちゃんあげるから悪戯なしやで」と先に釘刺してきよって、俺はしゅわしゅわ弾けるサイダーの飴玉を転がしながら事務所のドアを潜る羽目になった。世間的にはハロウィンやから、別に間違った対応やないねんけど。
いやでも、あの、一応恋人なんですけど、と普段の俺やったらぎゃいぎゃい言うて自分の思い通りにできるんに、この日だけは未だ上手く振る舞えたことがない。
この後も引き留めやんかったら彼女は普通に帰ってまうのが明白で、恋人と一緒に誕生日も過ごしてもらえへん俺って何? と薄暗い気分に包まれる。口八丁で丸め込むのは得意やのに、今日だけはどない頑張っても上手くできひん。歴代の恋人の前でも、ずっとそうやった。
あー、はよ返事せな。このままやと彼女も困ってまう。
「ふ、」
「え?」
隣で思わずといった調子で零された笑い声に、疑問符が頭の中を埋め尽くす。俺、いま別におもろいこと何もしてへんけど?
赤信号に引っ掛かって、車は緩やかに停止した。白手袋に包まれた彼女の指がハンドルの上で踊っとる。なんか、いつもより機嫌ええんかな。
僅か首を傾げて、流し目でこちらを見やる彼女の口の端っこは吊り上がっている。
「傍若無人、今日は休業中なん?」
「えっ暴言?」
「事実やろ。毎日あんだけ喧しいくせに、自分の誕生日やと途端に大人しいねんもん」
「や、はは、」
全然上手く言葉を返されへん。思わず彼女から視線を逸らして、座席で縮こまった。図星にも程がある。
でも、俺な、誕生日の自然な振る舞いてようわからへんねん。素直にそう言えたら、それで解決するんはちゃんとわかってんねんけどな、理屈だけで動かれへんこともあるやんか。
葛藤する俺を他所に、彼女は青信号に従ってアクセルを踏み始めていた。
「今日収録やったんやろ? スタッフさん達とケーキ食べるやろと思て、とりあえず家で適当につまめるもん買うといたで」
彼女の指先は運転席の後ろのフックを示しとった。デパ地下の割とええ値段するお総菜屋さんのやつ。さっきリュックを車の後ろに置いた時からぶら下がっとったはずやのに、全然気ぃ付かへんかった。
「……も~!」
何でそれ最初に言うてくれへんねん! 俺の遠吠えに彼女が意地の悪い笑みを浮かべた。
「もじもじしとるぬるちゃん、かわええんやもん」
「な、」
「ちゃんとケーキも準備しとるから感謝しいや」
「ま、待って、ちょお」
次々と投下される爆弾に、己の眉毛は八の字を描いているに違いない。ほっぺためちゃくちゃ熱いねんけど。かわええよりかっこええて言うてほしいけど、今日の俺、いっこもかっこよおないからしゃーない。
安全運転に努める彼女と視線は絡まへんけど、その横顔が、あれや、慈愛に満ちたそれで、更に体温が上昇したのがわかって恥ずかしい。
「誕生日おめでとう、ぬるちゃん」
やわらかくほどけそうな彼女の声音に、鼻の奥がつんとした。思わず横の窓ガラスに頭頂部を押し当てて、そっぽ向いて耐える。サイドミラーで俺の表情なんか丸わかりなんやけど、この時の俺には一ミクロンも余裕なんかあらへんくて、そんな簡単なことにも気付かんのであった。
何とか声を振り絞ってありがとおと言うと、彼女は可笑しそうに肩を揺らしている。人が誠心誠意込めて言うてるんに、もお!
あれや、勢いで何とかするしかないねん。次の瞬間には、一緒にご飯とケーキ食べたい、と喉から勝手に願望が漏れ出とった。彼女は左折のために滑らかにハンドルを捌いて、横目で俺を見る。
「そんだけでええん?」
試すような温度。
「う、うう~……」
お笑い芸人にあるまじき、全く上手いリアクションもできひん状態に成り下がってもたのに、彼女は全然いやそうな顔もせんと、すいすい車を走らせている。
「たまには振り回される方の気持ちも味わっとかんとフェアやないやろ」
からっと笑い声を上げる彼女に、内心で敵わんなあ、と頬を掻く。申し訳ないて思っとったはずやのに、そんなんいつの間にかどっか行ってもた。
ちゃんといつもの調子を取り戻したら「プレゼント何くれるん」て、はしゃぎ倒して聞くねん。それがこのひとの前やと許されるて、めちゃくちゃ今更やけど、ようやく分かったから。