「あのねクロ、前髪切って、ほしいの」
 そう言って差し出された鋏が、俺の胸を刺したような錯覚を引き起こした。長い前髪の影から見える目は、今まで見たこともないような決意の色に溢れていた。
(本当に、余計なことをしやがって)
 赤葦。あいつが、に惚れたばかりに。俺の宝箱から、を奪っていこうとする、貪欲な猛禽類。赤葦に引きずり出されたは、知らなくていいことまで知ってしまった。
研磨もどうしてを試合に連れてきたのか。外の世界なんて、は知らなくてよかったのに。そんなものを知らなければ、はずっと俺たちだけのだったのに。俺たちだけに、笑っていてくれたのに。
俺たち三人だけが世界の全てではないと、は知ってしまった。
「……なぁ、
 鋏を受け取って、それを手の中で弄ぶ。がいつまでも俺の後ろをついて歩く小さな子供じゃないことなんて、俺が一番良く知っている。だっては、こんなに綺麗になった。
「お前はさ、ホントは一人でも友達を作れるはずだったんだ。俺がいなくても、何でもできた。知らないヤツに話しかけて、仲良くなって。明るくて社交的な、そんな人間になれたはずだった」
「……うそだよ。私、そんな人間じゃない。クロがいなくちゃ、何もできなかった」
「そうだな。俺が、そうさせたんだ。根暗で内気で人見知りで、俺がいなけりゃ他人に話しかけることもできないように、俺がそうお前に思い込ませたんだ、
「え……?」
 愕然と目を見開くを追い打つために俺は言葉を続ける。もういい。いっそのこと一度壊してしまおう。だって今更それを知ったところで、知ったからこそ、は何もできやしない。俺の傍に、いるしかない。そう自覚させるのも悪くないと、口元が勝手に吊り上がるのがわかった。
「俺がいなかったら、何もできなかった、か。これからもお前は俺がいなけりゃ何にもできねぇよ。なぁ、そうだろ
「クロ、」
 が、口をハクハクと開閉させる。信頼を壊されて揺れるの目には、薄い水の膜が張っていた。あともう一言でも言えば、それは涙になってこぼれ落ちるだろう。
「さて、前髪切るか」
 殊更ににっこりと笑って、俺はの肩を押す。今更自分の目で世界を真っ直ぐに見る勇気ができたからって、もう赤葦の想いを受け入れようとはしないだろう。
「そうだ、まだ言ってなかった」
「……?」
「俺はお前が好きだよ」
 赤葦よりも、ずっとずっと昔から。
困惑に揺れていたの表情が、一層その色を強める。はきっとわからない。こんなことを十数年も続けてきたその理由が、恋のためだったなんて、理解できない。
「俺と恋人になってくれよ、
 青くなって震える唇に、俺は噛みつくようにキスをした。
 
 160828
BACK