「赤葦くん」
 違う。瞬間頭を過ぎったのは、そんな言葉だった。
いつもの帰り道、呼び止められて振り返れば、そこにいたのは前髪の短くなったさんだった。晴れやかな笑顔でいるのに、何故だか妙に悲しげで。いつも俺を真っ直ぐ見ようとしては逸れていた視線が、今は正面から俺に向けられている。髪に遮られていない大きな黒い目が、とても綺麗だと思った。けれど、わかってしまう。さんは、返事をしに来たのだ。俺の恋を、終わらせる言葉を伝えに。
「遅くなって、すみません。赤葦くんに、返事を言いたいんです」
「……うん」
「私のことを、好きになってくれて、本当にありがとうございました。とてもびっくりして、逃げたり、しましたけど……私きっと、とても嬉しかったんです」
 はにかむさんの、頬が桜色に染まる。
「私に、いろいろ考えさせてくれて……私とクロはきっと、おかしいんです。私はクロといても、綺麗な幸せは望めない。そう、思ったんです。気付かせてくれたのは、赤葦さんでした」
 礼を言うさんから、俺が目を逸らしてしまいたくなる。さんにそれを気付かせたのは、偏にさんの目を俺に向けて欲しいだけだったから。
「私は……たぶん、赤葦さんに恋をしようとしていました。嬉しくて、楽しくて、赤葦さんのことが、好きでした」
「……それは、恋愛感情?」
「恋、になると、思ったんです。でも、私、」
 ぽろりと、さんの目から落ちたのが涙だと一瞬理解できなかったのは、きっとさんの笑顔があまりに綺麗だったからだ。
「クロと……一緒に、います」
 黒尾さんが泣いたのだと、さんは言った。頼りがいがあってすごくて、ヒーローのようにさえ思っていた黒尾さんが、さんがいないとダメだと泣いたのだそうだ。
「私は、クロがいないと、何にもできないって、そう思ってて……でも、クロも、そうだって言うんです」
「……あの人、さんが思ってるより、子どもだからね」
「はい。お互いに、お互いがいなくちゃ、ダメなら、私たち、一緒にいます。綺麗な幸せじゃ、ないけれど」
「……そっか」
「赤葦くん、ありがとうございました」
 ごめんなさい。
さんの唇が、俺にとって絶望の六文字を紡ぐ。さんは、黒尾さんに色んなものを奪われていたことを知った。それでも、黒尾さんから離れないことを選んでしまった。自分自身の、意思で。それが悔しくて、悲しくて。芽生えかけた恋心は、幼馴染みを想う優しさに勝らなかった。
俺が今ここで泣いても、黒尾さんを選んでしまったさんは振り向いてはくれない。だから、俺はぐっと唇を噛み締めて、溢れそうになる嗚咽を押し殺した。
 
160828
BACK