「俺だけの、愛しい」
うっそりと、目を細めて白龍は言った。恍惚に顔を歪めると、その表情は驚くほど玉艶とよく似ている。そう、はどこか現実逃避のように思う。そんなことを言ったら、きっと白龍に殺されてしまうのだろう、とも。
――いっそ、殺された方がましかもしれませんね。
かつて口の端を上げた紅い人の姿が、脳裏を過ぎった。
(どうして、こんなことになってしまったのだろう)
(お父様が、雄兄様と蓮兄様が死んでしまって――殺されてしまった時から、きっとこの国はおかしくなり始めていて、けれどお母様や瑛姉様、龍兄様たちに守られていた私は何にも気付かず、安穏と)
ならばこれは罰かもしれない。無知は免罪符になどなりはしないのだ。たとえ、そうあれと周りが仕向けていたとしても。何も知らない愚かさは罪だ。犯した罪は、贖われなければならない。
(仇の腕の中で笑って生きてきた私を、ルフに還ったお父様たちは許してくださるだろうか)
誰に訊けるわけもなく、自問する。きっと許してもらえない。許してもらえるわけがない。だっては、母親のことが大好きだ。大好きだった。本当に、愛していた。心から。兄と父を、殺した張本人を。
(ごめんなさい、)
(ごめんなさい、お父様、お兄様)
(私の一生をかけて償います、龍兄様が怨敵を討ち果たすその日まで、龍兄様の盾となり剣となり龍兄様を守ります、ですから、ですからきっと、私がルフに還る日が来たら、どうか、)
(笑ってくださいませんか)
「なあ、、お前は、お前だけは俺を裏切らずにいてくれるな? は姉上と違うと言ってくれ……煌帝国はひとつだなどという世迷言を、お前は言わないだろう?」
誰よりも愛おしい妹を、白龍は寝台に押し倒して縫い止める。夜の水面を思い起こさせる深い青の瞳は大きく見開かれ、そこから絶え間なくぽろぽろと透明な滴があふれ出しては白い肌を伝い流れてゆく。
茫然として白龍の言葉に反応をみせないだが、あれだけあの魔女に可愛がられ、それはそれは大切に仕舞い込まれて育ったのだから無理もない。受け入れるには時間も必要だろう、白龍はそう思い、流れる涙を指で堰き止め掬いながら、の中で真実という毒が嚥下されるのを待った。
「お、かあさまが、」
「うん?」
桜色のつややかな唇から、呟くような声がぽろりとこぼれ落ちる。白龍は、にこやかに優しくその言葉の続きを促した。
「おかあさまが、ほんとうに……おとうさまと、ゆうにいさま、れんにいさまを」
途切れながら、力無く紡がれる言葉は、白龍への問いかけだろう。『父上たちを殺したのは、お前の大好きな大好きなお母様だ』と告げた彼への。だから白龍は、嬉々として是と答えた。
「そうだ、あの女が殺した」
「りゅうにいさま、のやけども」
「ああ、全て自分のやったことだと、玉艶は大火の後にそう俺を嗤った」
「わたしは、わたしは……何も知らずに、のうのうと、」
ぼろぼろと流れる涙が勢いを増す。白龍は指に掬ったそれを、口に含んだ。少ししょっぱいそれが、けれどもっと欲しくなっての目元に唇を寄せる。白い瞼がふるりと震えて、きゅっと閉じられたそれは藍色を覆い隠した。
「知らなかったのは姉上も同じだ、そう自分を責めるな。それにお前は将軍でもない皇女なのだから、下手なことを知れば異国に追いやられ口を封じられていたかもしれない」
そうは言ったものの、玉艶は何があろうとを嫁がせることも殺すこともないだろうが、と白龍は内心で吐き捨てた。の稀有な能力を抜きにしても、玉艶は悍ましいほどにを愛している。あれはを手放さない。白龍は自らのことも棚に上げて、あの執着を悍ましいと疎んでいた。
「でも、それでも……」
「もし、それでも自分を許せないというのなら、兄上たちの無念を晴らす手伝いをしてくれないか、」
玉艶に手も足も出ず、幼児をいなすようにあしらわれた。姉には白龍の言葉は届かずに終わった。けれども、白龍には最愛の妹が、がいる。
あまりに険しい道だ、今の白龍には何もかもが遠い。それでも、さえこの腕の中にあるなら、守るべき妹が自分を信じてくれるのならば、きっと恐れるものなど何もない。この胸の内に巣食う怒りは正しいのだと、信じて往ける。
「俺と共にこの国を取り戻してくれないか。お前の愛するお母様を、殺してでも俺と歩んではくれないか」
「龍兄様、」
「頼む、頷いてくれ、頷くだけでいい、お前は剣を取らずともいい、きっと守り抜いてみせるから、ただ俺の傍にいてくれるだけでいいんだ」
「……わたしを、私を許してくださいますか、龍兄様」
茫洋たる大海の青が、再び白龍を映す。手を伸ばせば、の小さな手がそれを握り返した。やわらかなぬくもりを感じて、白龍の胸が歓喜に震える。
「ああ、勿論だ、許すに決まっている。俺はお前を許そう、。これからは、何があってもずっと一緒だ」
「はい……ずっと、お兄様の傍にいます」
しっかりと白龍を見返す濡れた藍色に、愛おしさがこみ上げる。自分はまだとてもちっぽけな存在だけれど、守りたいものは何もかもこの手の中からすり抜けていったけれど。愛しい妹だけは、だけは、この手の中にいる。あの魔女から、だけは取り返せた。だからそれでいい。それだけで、いい。
「俺だけの、愛しい愛しい」
たった一つ掴めたこの手を、絶対に離さない。誰にも、玉艶にも白瑛にも紅明にも、絶対に渡してなるものか。白龍にはしかいないのだ。だけいてくれればもうそれでいい。だから、何があっても絶対に離さない。
先ほど涙を含んだ唇を、のそれに重ね合わせる。どうしようもなく、甘かった。
150509
150611 修正加筆
170924 修正加筆