――熱いよ、痛いよ、たすけて、
 ――助けて兄上、姉上、母上、――ダメだ、母上は、だって母上は、
 兄上たちを、殺したんだ。
 無惨に焼け爛れた皮膚に白雄の血が染みて、全身が引き攣れるような痛みを訴える。ばちばちと大きな音を立てて燃え盛る炎。轟々と鳴り響き、鼓膜を通じて頭を揺らす。今にも焼け落ちそうな城の中を必死で駆ける白龍は、手足を動かす度にずるずるに爛れた皮膚が激痛を発して今にも意識が飛びそうだった。熱と痛みで朦朧とする頭は、ただひたすらに兄の最期の言葉を反芻させる。お前がやるんだ。お前が。白龍の目じりからは絶えず涙が溢れていたが、迫り来る炎が瞬く間にそれを乾かしていく。肌に張り付いた塩分が、不快に引き攣った。こひゅ、と無様な呼吸の音が漏れる。罅割れたように痛む喉は、呼吸をする度に熱風そのものの空気に焼かれるように軋んだ。
「……ッうぁ!?」
 折れた柱にガッと躓き、様々な破片が転がる床に倒れ込む。ぐずぐずと脆くなっている皮膚に幾つもの鋭い破片が突き刺さり、白龍はあまりの痛みに乾き切った喉で絶叫を上げた。大きく背を反らせた白龍は、次いで自らを庇うように手足を縮こまらせて丸くなる。ひぐひぐと泣きながら、あにうえ、と白雄の血に塗れた拳を握り締めた。汗と血と、それからよくわからない何かで濡れた掌が、ぬるぬると滑る。
 ――もういやだ、
 立ち上がれない、起き上がれない。だって痛いのだ。死にそうなほど、体のどこもかしこもが痛いのだ。これならいっそ死んでしまった方がましだ、だって生き延びたところで白雄も白蓮もいないのだ。たった独りで何を戦えと言うのだ、どうやって戦えと言うのだ。泣き虫で弱虫の自分には、何もできない。何もできないから、白雄たちをむざむざ死なせてしまった。ただ泣いているだけの自分を、守ってくれた白雄と白蓮。二人が勝てなかったものに、弱い白龍が勝てるはずもないのに。
じわじわと、白龍の心に諦めの感情が広がっていく。床の上でじっとしていれば、走っていたときほど体は痛まなかった。もういい。もう、これでいい。じきに煙を吸って動けなくなるだろう。意識もなくなる。このまま、兄や父のいるところに行こう。そうやって目を閉じかけた白龍の瞼の裏に、ふわりと白が舞った。
「――、?」
 怪訝そうに、瞼を開ける。ゆっくりと瞬きをして、霞む世界の中に優しい白を追った。
「……ッ!!?」
 がばりと、身を起こす。体の痛みすら、一瞬にして忘れた。どうして。どうして、ここに。我が目を疑うも、それは確かな現実だった。
……!?」
 這うようにして、重たい体を引き摺る。意識を失い横たわる小さな身体に、震える手を伸ばした。確かめるように手を触れても、消えたりはしない現実。白龍の大好きな可愛い妹が、この燃え盛る城に取り残されていた。
「どうして、、」
 ざあっと血の気が引くのが他人事のように思えた。口元に手を翳すと、わずかに息をしている。紙のように白い顔は、煤で少し汚れている。汚れを払おうと触れると、指の形にべったりと血がついてしまった。慌てて拭うけれど、赤黒いそれが広がるばかりで白には戻らない。ぴくりとも動かない青白い瞼の奥にあるはずの色が、わからなくなりそうだった。
、」
 がらがらの声で、妹に縋る。喋るだけで喉が裂けそうに痛かった。そっと揺り動かしてみるけれど、白い着物に血の染みが付くばかりで目覚める気配はない。目の前が真っ暗になりそうだった。大好きな妹が、小さな可愛い妹が、倒れて動かない。このままでは、火にまかれて死んでしまう。
が、死ぬ?)
 白く柔い肌が、焼け爛れて。くりくりとした大きな瞳が、焼け落ちて。青みがかった黒の、柔らかく指通りのいい髪が、焼け縮れて。二度と動かなくなる。真っ黒焦げの塊になる。二度と笑わない。白龍と一緒に花冠を編んだその小さな手が、この世のどこにもなくなる。なくなってしまう。白龍の、可愛い大好きな妹が、無残に燃え尽きた骸になってしまう。
(うそだ、そんなの、)
 そんなことはあってはならない。は可愛くて、綺麗で、弱虫の白龍にいつだって優しくて、笑いかけてくれて、頼りにしてくれて。は死んではならない。死んではならないのだ。
「…………、」
 無意識なのだろう。白龍が重ねていた手に縋るように、小さな手が弱々しく白龍の手を握り締めた。たすけてと、言うようだった。それが気のせいでも構わなかった。ただそれだけで、白龍の胸に火を灯すには充分すぎる理由となった。
「~~~ッ!!」
 白龍は、歯を食いしばり立ち上がる。をぎゅっと抱き締めて、半ば引き摺るように持ち上げた。泣きたいほど痛くて堪らなかったが、白龍はぐっと唇を噛み締めて涙を呑んだ。
には白龍しかいないのだ。今、この哀れで小さな妹を救えるのは、自分だけなのだ。白龍を濡らす白雄の血がべっとりとの身を濡らしたが、白龍はますます強くの体を抱き締めた。二人の身長にさほど違いはない。しっかりと腰を抱いて、落とさぬように歩き出した。
「っ、う……」
 痛い。辛い。苦しい。それでも、を投げ出そうなどと思うはずもなかった。一歩一歩のろのろと、出口に向けて進んだ。は白龍に縋った。ならば白龍はを助けなくては。だって白龍は、の兄なのだ。兄は強くなくてはならない。兄は妹を守らなければならない。妹を救えずにただ共に焼け落ちるなど、絶対にあってはならない。進まなくては。救わなくては。白龍の手を握り返した、ふにゃふにゃとした幼く頼りない掌の感触だけが、満身創痍の白龍が歩を進める理由だった。
「かえろう、
 意識の無い妹に、懸命に語りかける。白雄のような凛々しさも、白蓮のような逞しさも無いけれど、それでも白龍はの兄だった。守らなくてはと、その柔らかい額を見下ろした。
「だいじょうぶだから、ぼくが守るから」
 を守れるのは、自分だけだ。焔に呑まれそうになった生への執着も自尊心も、が守ってくれた。可愛い、大好きな。無力な自分に残された、たったひとつの道標。だから自分が守るのだ。ずっとずっと、守るのだ。もう誰も、いないから。を守れるのは、白龍だけだから。この手を離してはならない。何があっても、繋いでいなければならない。そうしないとこの脆く小さないきものは、白龍の前からいなくなってしまう。
眩しい。熱い。轟々と燃え盛る炎が、チリチリと白龍の肌を焼く。それでも、前に進めた。腕の中の頼りない温もりが、何よりも優しくて、尊かった。
「だから、おまえは、」
 いなくならないで。傍にいて。消えてしまわないで。守るから。死なせないから。何者にも、傷付けさせはしないから。だからどうか、握り返す手の優しさを与えてほしい。
白龍の幼い恋慕が確かな愛に変わった日があるとするならば、きっとそれは今日だったのだろう。
 
170713
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