! 花を見に行こう!」
「龍兄様?」
 玉艶と魔法の勉強をしていたの元へやってきた白龍は、開口一番そう言った。
勉強の途中だったは、白龍の誘いに即座に頷くこともできず、けれど未だ見慣れない火傷の痕が残る白龍の顔を見て断ることもできずにぎゅっと小さな手を握り締めた。
 先日の大火で失われた兄二人の命。生死の境をさ迷った白龍。自身も危うく命を落とすところだったのだ。
白雄に返し忘れていた本を実習に行く前に届けに行こうと、城に足を踏み入れたは煙を吸って倒れた。白龍に助けてもらえなければ、きっとそのまま焼けて死んでいただろう。命に関わるような大火傷を負っていてもなお、を見捨てずに助けてくれた兄。目立つ外傷もなくすぐに目を覚ましたは、白雄と白蓮の死から逃げるように、目を覚まさないままの白龍の側から離れなかった。自分を助けなければ、自分がいなければ、兄の怪我はもっと少なくて済んだのかもしれない。泣きながら、目を覚まさない白龍の手を握り締めたの掌から淡い燐光が飛び散って、手の周辺の傷を癒したことにも周りの人間も目を見開いた。
には魔法の才能があると、そう告げた玉艶はに魔法の勉強をすることを勧めた。白龍の容態はその頃には既にだいぶ持ち直していたが、の脳裏に焼き付いた白龍の凄惨な姿は、二度と兄をあんな姿にはさせまいとに決意を抱かせるには十分で。怪我を負った要因が自らにもあるが故の罪悪感もあって、はその日から魔法を玉艶に教わることにしたのだ。
 今もそうして玉艶に魔法を教わっていたは逡巡する。目を覚ましてからも塞ぎ込みがちで、白瑛やの傍を離れようとしない白龍が、明るい表情を浮かべて外へ行こうとを誘っている。白龍の顔を直視できなくては俯いた。自分のせいで兄は、あんな酷い傷を。そんな自分が兄の手を取っても良いものか判らずに、は助けを求めるかのように玉艶を見上げた。
「そうね、今日はもう結構な時間勉強したし、遊びに行ってきてもいいのよ、
 けれどそれを遊びに行くことへの許可を求めるものだと受け取った玉艶はにこりと微笑む。その言葉にいよいよ逃げ場のなくなったは、そっと白龍を窺うように見る。その視線を受けた白龍は、満面の笑みを浮かべてへと駆け寄った。椅子に腰掛けていたの手を引こうと伸ばされた白龍の手から、思わずは身を仰け反らせてしまう。瞬間凍った白龍の表情に、はすぐにそれを深く後悔した。
「……、嫌なのか?」
「ご、ごめんなさい龍兄様、そうではなくて、」
 慌てて言葉を重ねようとしたの小さな掌を、今度は逃げる間もない速さで白龍がぐっと掴む。
、花を見に行こう」
 を椅子から引き摺り下ろすように引っ張る白龍に抗うことなく、は椅子から下りると白龍の手を握り返した。先程凍った白龍の表情が強く強く脳裏に焼き付く。あんな怪我を負わせた自分に、兄にあのような表情をさせる資格などない。白龍が笑ってくれるのならば、は何だってするべきなのだ。白龍が望むことは何だってしよう。それが白龍に命を救われたの感謝で、白龍をこんな姿にしてしまったの償いだ。
「はい、龍兄様」
 の白龍に従順な性格はここで確立されたのだろう。頼れる長兄と次兄を失い、すぐ上の兄に命を救われ、先帝の遺児である皇女という不安定な立場に追い込まれ、何をかもを無くしかけたの目に映った白龍の絶望した表情。自分のせいで死にかけた兄が求めることを拒んではいけないと、の根底に根付いてしまった意識。
白龍のへの執着も同じようにして大火の後にはっきりとした形を成す。姉にさえ言えない秘密を抱え、母の裏切りへの憎しみと無力感に身を焦がし、唯一自分の手で救えた命にありったけの慕情を向けた。この手だけは守り抜いてみせると、意識はなくとも自分の手に縋った小さな手に誓った。白龍が守ることのできた、小さな命。きっとこの手に拒絶されたら、その瞬間に白龍は生きる意味を無くしてしまう。
「お母様、今日もありがとうございました。龍兄様とお花を見に行ってきます」
「ええ、いってらっしゃい。白龍も、気をつけて行ってくるのですよ」
「……はい、母上。いってきます」
 玉艶に頭を下げたの手を引いて、白龍もぞんざいに玉艶に言葉を返すと駆け出した。きゃっと上がった小さな悲鳴に玉艶があらあらと苦笑する声が耳に届く。
(俺が守らなくては)
 姉も、妹も。あのおぞましい魔女から、自分が。守れるのは自分だけだ。
こんな国の中で、それでも唯一守ることのできた掌を握り締めて白龍は決意する。守らなくてはと。青く輝く、何も知らない無垢な瞳に、無残に焼け、白龍のためにその腹を裂いて死んでいった長兄の面影を垣間見て、白龍は強く強く決意した。
 
150714
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