「あなたの力が必要なんです、」
ここで話すのも、と白龍と別れ連れて来られた紅明の部屋で、義兄はまっすぐにを見て言った。の小さな拳が、膝の上できゅうっと握り締められる。紅明の言葉を疑うわけではないが、自分が彼らのためにできることがあるなど、やや卑屈のきらいのあるには信じ難いことだった。
「あなたの魔法も、魔力炉としての能力も……煌は元より、相手国の損害をも最小に抑える一助になるんです」
「……?」
「類希な治癒魔法も、金属器使いの弱点を補う魔力も、『あの国と戦っても勝ち目はない』と相手に思わせる一因になります。話が広まれば、戦をするまでもなく煌の支配を受け入れる国も増えるでしょう」
戦わずして勝つことが、最上の勝利であると紅明は考えている。これから自国の領土となる国を、疲弊させることなく手に入れられるのならそれが一番だ。の存在は、最善の勝利を導く力になると、紅明はそう考えていた。そんな紅明に、はおそるおそる口を開く。
「私、なんかが、お義兄様たちのお役に立てる、のですか……?」
「そのように自分を卑下しないでください、。あなたが……が必要です、他の誰にもできないことでしょう」
幼い義妹を戦場に連れ出すということがどういうことなのか、紅明はその意味をよく判っていた。けれど、は守られるだけの生を良しとはしない。家族のために、煌のためにできることを常に探している。地下研究施設でのの功績はとても大きい。先日の悲しい奇跡のことを忘れていても、は自分にできることを一生懸命に探していた。自分の力で、一人でも多くの人を幸せにしようとしていた。例えば、戦で手足を失った人を癒したり。迷宮生物との同化で人ならざる容姿へと変貌した者を、平時は元の姿でいられるようにと研究を重ねたり。皆、に感謝していた。再び自分の手で我が子を抱き上げられた感動を、誰にも憚ることなく日の下を歩くことのできる幸福を、涙ながらにに伝えに行っていた。その度には照れくさそうな、少し困ったような笑みを浮かべて礼などいいのだと手を振っていた。だが、そうやって彼らが幸せそうに生きる姿こそ、の見たかった光景なのだろう。一つでも、多くの笑顔を。自分と言葉を交わし、縁を得た、大切な自国の民が、笑っている姿を。その幸福を、笑顔を、未だ戦火の続く国の外へと広げることができる。が、それを望むのなら。
「……私、本当に……弱くて、戦うこともできなくて……それでも、私が、お役に立てるなら、」
ぎゅっと拳に力を込めて、俯いていた顔を上げる。その瞳には強い決意の色が宿っていて、紅明は思わずその藍色に魅入られた。
「私は、煌のために力を尽くしたい、です」
輪郭は白雄の面影を残せども、浮かべる色は全く異なるの瞳。それでも、の願いはかつて長兄たちが抱いた希望と同じだった。ひとつでも多くの争いを収め、一人でも多くの者に幸福な生を。周りが思っているより、の心は遥かに強い。臆病であっても、幼くとも、その心は折れず、あらゆる不条理や悲しみから目を逸らさずに受け入れようとする。
「ありがとうございます、」
だから紅明は守るのだ。この稚い義妹が、いつか戦のない世界で、何も憂うことなく晴れやかに笑うことのできるように。
「紅明殿は、どうしてを戦に連れていくのですか」
敵意を剥き出しにして自分を睨む義弟に、紅明は何と言うべきか頭を悩ませた。早速であるが今度の遠征への同行が決まったをどんなに説得しても芳しい結果が得られず、こうして元凶とも言える紅明に直談判に来たのだろう。
「……の力が必要でした。自身も、納得しての上です」
「でも、はまだ小さいんです! 自分の身を守る術も知らないのに……せめて俺の、同行の許可を」
「それはできません、白龍。を守るのであれば、護衛の兵士で事足ります。わざわざあなたを連れていったところで、護衛対象が増えるだけです」
白龍の戦闘能力が低いわけでは無いが、皇帝に疎まれている皇子をわざわざ連れていくより、近衛を付けた方が手っ取り早いし面倒も少ない。そもそも白龍は軟禁に近い処遇にある身だ。を戦に連れていくことができるのも、あくまで後方支援であり自身に大功を立てる力も、戦局に口を出す権限もないからで。とは違い、どうしても連れていかなければならないだけの理由となる能力もない。白龍がへの同行を求めることは予想できていたことであるが、それを承諾する気は紅明には微塵もなかった。
「……白龍、あなたがを大切に思う気持ちはわかります。私も、あなたと同じようにの兄です。ですが、」
「同じ?」
白龍を諭そうとした紅明の言葉を遮って、白龍が光のない、のっぺりとした目で紅明を見上げる。とても子どものするようなものではない、不穏な深淵の色。こてんと首を傾げて、白龍は紅明に問うた。
「俺と紅明殿の気持ちが、同じだなどと言うのですか? 何を根拠に? 確かに俺はの兄です。あなたよりも、ずっと。けれど同時に、俺はを愛しています。家族としてではなく、異性として」
「……っ!?」
「あなたはまさか、を愛しているのですか? 同じだと言うのなら、をそういう意味で愛しているのですか? 俺にはとても、そうは思えません」
実妹への恋慕を隠すこともなく告げた白龍に、紅明は息を呑む。をただの妹以上に慈しみ可愛がっている自覚はあれど、それはまだ恋ではないと思っている紅明にとって、あまりにあっけらかんと告げられた白龍の慕情は、信じ難いものだった。
「白龍、あなたは本当に……を、異性として好きだと? それは、家族愛ではなく?」
それはきっと危うい感情だ。を蝕み、侵す呪いに変貌しかねない愛情だ。白龍のそれが幼い錯覚などではないと解っていながらも、紅明はそう問わずにはいられなかった。けれど白龍は、紅明が何を言っているのか理解できないとでも言いたげな顔をする。
「愛情ですよ。だって俺は、と結婚したいです。と結婚して、ずっと一緒にいて、時には睦み合うことだってしたいです。この気持ちは、恋でしょう? 俺は妹に、恋をしているんです。妹を、愛しているんです」
やや照れくさそうに頬を染めながらも、白龍ははっきりと実妹への愛情を口にする。本来の戦に行く行かないの話を忘れるほど、その言葉は紅明にとって衝撃的なものだった。
170129