愛し愛されることには、自ら動くことが必要不可欠だと白龍は思っている。何の行動も起こさずにただ愛していると口にするのも、何の努力もせずに愛されたいと願うのも、幼稚で不誠実で軽薄な行為だと、白龍は忌み嫌っていた。
 白龍はを愛している。だから白龍はへの愛を行動で示すのだ。四六時中傍にいて、好きだと、愛していると想いを伝え、が花を愛でるのならば白龍もそれに倣い、鳥を慈しむのならば共に世話をした。に料理を教え、から裁縫を習い、共に支え合い過ごす時間を多く作った。戦から帰ったの髪が傷み肌が荒れてるのを、丹念に世話をした。青みがかった黒の、さらさらと指通りの良い髪も、幼子のように柔らかですべすべとした白い肌も、守るべき愛しい妹の一部だった。可憐な妹が涙を流していれば寄り添い慰め励まし、妹を傷付けるものは何であれ排除した。の話はどんなに他愛ないものであっても白龍にとっては福音そのものであったし、の微笑む表情はまさしく神の恩寵であった。白龍にとって、とは信仰であるとも言えた。
は白龍を信頼した。柔らかな、慈愛に満ちた微笑みは常に一等白龍のものだった。鈴を転がすような可憐な声は白龍の愛に報いる聖歌だった。嬉しいことがあれば真っ先に白龍のもとにやって来ては楽しそうに話したし、つらいことがあればその小さくたおやかな手で躊躇いがちに白龍の袖を掴んで白龍を頼った。の一番は白龍だった。
白龍はそれがたとえ情愛ではない兄妹愛だとしても、が自分を愛し信頼することを当然の帰結であり、自然なことだと考えていた。愛は報いるものである。何の見返りもいらない、ただ想うだけで幸せ――それは幼く一方的な恋だと、白龍は思っている。それは確かに清らかな感情だろう。それはどんなに美しい感情だろう。けれど白龍にとって恋とは、不確かで欺瞞に満ちた幻想のようなものだった。
 白龍はを愛している。愛しているから、可愛い妹のすべてが欲しい。愛しているから、優しい妹に愛されたい。ただの兄ではいられない。幸せでいてくれればいいと、そんな聞き分けよくいられやしないのだ。それでも、今はまだ兄としていられる理由は。
は、可愛い妹です。綺麗で、優しくて、愛しい妹です」
 にやにやと、三日月のように歪んでいる口元。苛々とした様子を隠しもせずに、白龍はジュダルを押しのけた。「お前にとって妹ちゃんって何なの?」と、白龍にとっては愚問でしかない問いをぶつけてきた相手に対する返答などそれだけで良かった。
「妹ちゃんにとっちゃお前は、ただの『かっこよくて優しくて頼りがいのある大好きなお兄様』でしかなさそうだけど?」
「…………」
 含みのある物言いに、白龍は眉間に皺を寄せて足を止めた。そう、にとっては白龍はただの兄だ。かっこよくて、優しくて、頼りがいがあって、大好きで。けれどそんなものは何にもならない。どんなに形容詞を並べたところで、その結論は『ただのお兄様』だ。にとって白龍は家族に過ぎない。残酷な真実などではない、ただの事実。
「……だからどうしたと言うんです」
「欲しくねえの? 奪いたくならねーの? あっちへふらふらこっちへふらふら、いつもイライラしてるくせによ」
 世間知らずで、疑うことを知らず、甘いほどに優しく、戦場を知るくせに平和を信じ、人の善性というものに夢を見ている。白龍の気性や性格を鑑みれば、それは唾棄すべき弱さと切り捨てられるものだ。けれど白龍はその愚かさを解っていてなお、純粋な妹を愛していると言うのだ。これが愉快でないはずがない。理念も信念も、歪める感情。昔から、白龍の感情を一番に揺らすのはいつだってだった。
「おっしゃる意味が、わかりませんが」
「なんだよ、自覚ねえの? 妹ちゃんが紅明に戦場に連れてかれるたびに、紅覇の部下とどっかに籠るたびに、玉艶んとこにお茶会しに行くたびに、人殺しみてえな顔してるくせに」
「それが、あなたに何か関係あるのですか、神官殿」
 図星を突かれたところで、痛くも痒くもない。そんなことはとうに自覚している。そもそも白龍は、が傍にいない時間を一時たりとも許容できないのだから。現に今だって、戦に連れて行かれたの帰りをやきもきしながら待っているところだ。目の下には濃い隈がくっきりと浮かび上がり、目は赤く充血していた。かさついて青みを帯びた唇、紙のように白い肌。重病人のような白龍の姿に、けれどあながちその喩えも間違ってはいないとジュダルは思う。こんなものは病気そのものだ。たった一人の少女がいないだけでこんなふうに心乱されているなど、到底健常ではない。重度の依存。白龍は真面目で実直であるが故にひどくわかりやすい人間であるが、ことの関わる物事においては全く読めなくなるのがジュダルには愉快だった。
「全然報われてねーのに、健気なヤツ」
 にやにやと揶揄を口にしたジュダルは、けれど振り向いた白龍の反応に目を瞠った。それは怒りですらなかった。真顔。一切の感情が削げ落ちた、空虚に凪いだ瞳にジュダルは思わずぎくりと身を強ばらせた。
「報いなど、とうに受け取っています」
 ごく当たり前の事実。それを語る白龍の瞳は、いっそ穏やかでもあった。
「愛したのはです。だから俺は、報いるんです。それだけです」
 逆であると、白龍は思う。だってあの日、は愛そのものだった。炎の地獄で、白龍がを救ったのではない。が白龍を救ったのだ。白龍に生きる意味を与え、何もかも燃え尽きそうになった白龍に愛という確かな標を抱かせた。あの日白龍は、何よりも大きなものを受け取ったのだ。愛は報いるものだ。という存在そのものが白龍にとっては愛なのだ。その愛に報いるとしたら、自分の生の全てを捧げたところで足りはしない。
「そうですね、欲しいと思うのも、奪いたいと思うのも、事実です。俺はを愛していますから。でも、満たされたんです。とっくの昔に。それでも欲しいと乞うのは、俺が強欲なのでしょうね」
 の愛に、満たされた。だから、への信仰に生きている。第四皇子、練白龍という外殻の裏に隠れたエゴの一片を、ジュダルは垣間見た。
国を取り戻す。兄に託された復讐。煌の、練の男としての使命感。それも確かに、白龍という人間の確かな柱だろう。けれどその瞳の奥に、胸の内に燃え上がる炎は。
白龍はただ、許せないだけだ。が泣いたことが。が傷付いたことが。彼の小さな神様の涙が、白龍の憎悪に火を点けた。それはなんて人間的で、愚かしくて、くだらなくて、哀れな感傷だろう。復讐よりも不毛だ、ただ、好きな女の子が泣かされたから殴り返そうなどと。彼にとっては聖戦なのだ。だって彼の神さまは泣いたのだ。白龍に縋って、泣いたのだ。
「お前って、すごく勝手なヤツなんだな」
「――何を、今更」
 ぱちりと目を瞬いた白龍は、フッと嘲るような笑みを浮かべる。そのまま去っていく白龍を、ジュダルは追わなかった。ただ愉快そうに、赤くきらめく瞳を細めた。
 
170826
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