「? どうした、なにか嫌なことでもあったのか」
「龍兄様、」
城内の人目につきにくい一画にある小さな庭で、座り込んだが風に揺れる花を暗い表情で眺めていた。
この時間帯は文官の手伝いをしていないはずのが部屋に行ってもいなかったことに、書庫だろうかそれとも母か義兄弟の誰かのところだろうか、と城内を探し回っていた白龍は、その途中で通りかかったこの庭でを見つけて駆け寄った。その悄然とした様子に、白龍はしゃがみこんでと視線を合わせ、気遣わしげに声をかける。ぽつりと彼を呼んで顔を上げたは、白龍の姿を映した深い海の色の瞳を揺らした。
「……怖い夢を、見たんです」
「どんな夢だ?」
を苛むあらゆるもの全てから彼女を守ろうとしている白龍だが、さすがに悪夢からを守る手立ては無いことに歯噛みする。それでもの不安を解消させることができれば、と白龍は眉間に皺を寄せて問う。だが、は静かに首を横に振った。話したくない、と言外に告げるの小さな頭を、白龍はそっと撫でる。艶やかな指通りのいい髪が、白龍の指に梳かされてさらりと揺れた。
「……きっと、ただの夢なんです。そう思うのに、なんだかとても現実感があって、怖くなって」
断片的に見た光景。それはきっと夢だと自分に言い聞かせる。そうしないと、泣き出してしまいそうだった。
母に刃を向けて、しかし返り討ちにされ、打ちのめされて絶望する兄。が見たこともないような憎々しげな表情で母を睨んでいた。泣きそうな顔の姉と、愕然と佇む白龍。黒いルフに導かれて、怒りの手を取った白龍は、姉の姿をした何かを斬り捨てて、哄笑していた。そして、たくさんの人や迷宮生物のような生き物を連れて、城に攻め込んで――母を、殺した。
「……っ、」
冷たい目をした白龍の姿が思い出されて、は自身を抱き締めるようにぎゅっと二の腕を掴む。ただの夢だと片付けるには、妙な実感のある夢だった。そう、まるで、予言のような。
「、俺がここにいる。何があっても、俺が守ってやるから」
宥めるような白龍の言葉に、はびくっと肩を揺らす。夢の最後、玉艶を殺した白龍はに手を差し伸べていた。熱に浮かされたような、ふわふわと瞳に浮かび上がる喜びと愛しさの色、その奥に潜む昏い狂気の影。ぞっとするような笑顔を浮かべて、白龍はに手を差し出した。そしてその手を、夢の中の自分は躊躇うこともせず握り返したのだ。
「龍兄様は、」
「うん?」
きっとそれは起こりうることだと、には不思議と確信があった。ありえてしまう可能性のひとつだと、心よりも深いどこかが訴えかける。
そんな未来が来たならきっと自分は耐え切れない、とは白龍を見上げる。そんな未来は起こらないと、信じさせてほしかった。
「龍兄様は、お姉様やお母様も守ってくださいますよね……?」
しかし、の問いに白龍は硬直する。ぴしっと凍り付いた空気に、の不安は加速した。白龍の脳裏に、大火の日の幼い自分の姿が浮かぶ。母上はご無事でしょうか、早く助けに行ってさしあげなければ、と言った自分に、白雄と白蓮は何とも言い難い顔をして沈黙を選んだ。何も知らなかった愚かな自分の姿が、未だ何も知らない可愛い妹に重なる。小さな妹は、気付き始めてしまっているのだろうか。家族に不信を抱き始めてしまっているのだろうか。それは危険なことだと白龍は顔を青ざめさせる。がそれを知ってしまってはいけないと、白龍はぎゅっと拳を握りしめた。
「龍兄、様……?」
一方では白龍が何も言わないことに表情をこわばらせていく。夢の光景が頭の中で浮かんでは消える。二人の間の緊張感が裂けそうに張り詰めたその瞬間、の瞳を覆うように黒いルフが舞い上がった。ふっと閉じられたの瞼、ふらりと傾いで倒れ込むを白龍は慌てて抱きとめた。そして、後ろから近付いてきた足音に険しい顔をして振り返る。
「……に何をしたんですか、母上」
母と呼ぶのも悍ましいほどに憎んでいる玉艶が、微笑みをたたえて立っていた。
「別に、悪い夢を忘れさせただけよ」
「がどんな夢を見たのか、ご存知なのですか」
を自分の腕の中に固く閉じ込めて、ぎらぎらと睨み付けてくる白龍に、ふっと玉艶は口角を吊り上げる。それを見た白龍は無意識にを抱き締める腕にぎゅっと力を込めた。
「正確には夢ではないわ。運命の流れを、垣間見たのよ」
「それはどういう意味、」
「まだ知らなくていいわ、貴方も、も。まだ早いもの。今夜はきっと良い夢を見られるでしょうから、が目を覚ましたら安心させてあげなさいな。お兄様でしょう?」
口元を隠して笑う玉艶に、白龍はぎりっと歯を鳴らした。一応の不安要素は取り除かれたが、玉艶の不可解な言葉に疑問は募る。
「お兄様でいられる内にちゃんと守ってあげなさい。その子を守れるお兄様でいられる内は」
「言われるまでもありません、はずっと俺が守ります。母上の手を借りずとも」
隠すこともなく敵意をむき出しにして反発する白龍に、可愛いことだと玉艶は笑みを深くした。
「この子は奇跡の子なの。ここで私に与えられた一度目の奇跡。そして二度目の奇跡も、きっとが起こすわ」
「……母上が思うように、を利用させなどはしません」
「利用なんかしないわ。そんなことしなくても、自ずとそうなるもの」
今にも自分を殺したいと訴えかける白龍の昏い暗い怨嗟に満ちた瞳を、余裕の笑みを浮かべて見返す玉艶は、じゃあをお願いね、と言うと踵を返して去って行った。
残された白龍は抱き締めたの小さな体を見下ろしてぐっと息を呑み込む。
稀有な能力を持つ、奇跡とやらを起こせるだけの力をも持つだろう可愛い小さな妹は、けれど夢に怯えて眠る脆い心を抱えている。白龍が、守ってやらなければならない存在だった。まだ玉艶を信じていた時から、ずっとずっと。姉や兄に守られていた泣き虫の自分に唯一縋る小さな手。白龍の、たった一人守ることのできる、大切な大切な妹。
「お前は、お前は絶対に、俺が守るから、」
を自身の手で守ることに拘泥する白龍は気付かない。その感情がいつかを押し潰すだろうことも、守ろうとして得た力がを傷付けて、悲しませるだろうことも。
盲目的なまでにを愛している白龍は、妹を守ろうとして伸ばす手がその白くて細い首を締めていることに、気付くことはないのだろう。
「俺が守ってみせるから」
の小さな白い手を握り締めて、白龍は再び呟いた。
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