さて紅炎にはああ言ってみせた白龍ではあるが、実際が紅明との結婚を命じられれば否とは言わず頷くであろうことはさすがの白龍にも解っていた。
シンドリアへと向かう船の甲板で、眩しい日差しに目を細める妹に、「お前は紅明殿が好きか」などという陳腐な問いが口を突きそうになるが、訊けるはずもなく開いただけの口を閉じる。
 抑々皇族の結婚に好くも好かないもありはしないが、それを抜きにしても。
 また感情が爆発したらしい紅玉を宥めに、が走って行ってしまうのを、白龍は黙って見送った。
解っては、いるのだ。が自分に向ける感情は愛情という名こそあれど、自分がに向けるそれとは異なり家族愛のそれでしかないことなど。解ってはいた。
(だがおそらく、は恋愛感情や劣情というもの自体、理解してはいない)
 白龍、白瑛、玉艶。に純粋であれ、清らかであれ、と望む家族を始め、に汚泥に塗れた世界を見せまい、近寄らせまいとする人間は少なくはなかった。
在りし日の白雄によく似た面差しに、過ぎた日や守れなかった未来を見出すのか、紅炎たち兄弟や老将軍の二人もには兄弟愛や敬愛だけではなく、罪悪感に近いそれを一方的に抱いているようにも思えた。
もっとも、兄や父とも、戦場に立つ姉や政治の中枢に巣食う母とも異なる性情は、練の血縁には珍しく、芯が通ってはいるもののやや内向的ではあったが、皇子ならともかくは姫宮である。庇護されるべき皇女が多少内気であったとて、それが彼女の評価を下げることはなかった。寧ろその性情こそが彼女を守らんとする周りの意思をより固くしたといってもいい。
 そんなふうに囲われるように育った彼女は、教養や礼儀作法などはしっかり身に着けているが、年齢や立場の割に純粋さが目立ち、どこか幼い印象を残している。
それは一部の情緒の発達にも影響を及ぼし、こと恋愛事においてはまるで理解していないといってもいい。おそらく親愛や友愛と情愛の区別もついていないだろう。
 ならば、と白龍は思う。
(情愛と家族愛の区別がついていないのなら、家族愛のそれを情愛と錯覚させてしまえばいい)
 きっとも白龍たち家族とは離れがたく思っている。
けれどそれだけでは足りないのだ。
皇女の立場や体裁など構わず、それでも白龍の傍に居たいのだと、そう思っているのだと、に思い込ませるだけのものが欲しい。
 は真面目な性格だ。一般常識も良識も倫理も道徳も十分に弁えている。
そんなが、自分の実兄を好きになったという自覚を――例えそれが作られた錯覚であれ――してしまったら、いったいどれほどの懊悩を抱えることだろう。
ほんの少し、時間稼ぎができればそれでいい。勿論、そのまま錯覚を事実と思い込んでくれるか、本当に白龍に恋愛感情を抱いてくれるのが一番だが、今は紅明との結婚に頷くまでの逡巡が欲しい。
白龍に必要なものはを手元に留めておくだけの大義名分と地位だ。
国を割るつもりである以上必要不可欠でもあるもの――金属器さえ、迷宮のジンの力さえ、この手に収める時間があれば。
 白龍は必ず金属器を得て帰らねばならない。
そして、帰った時に告げられるであろう、紅明との結婚の話に頷くのを躊躇わせ、兄である自分を逃げ場にするだけの感情を、の中で育てなければならない。
 は驚くほど白雄によく似た顔をしていた。兄弟の誰よりも、白雄とよく似た目をしていた。
白雄が女であったなら、きっとこのように育っていただろう。性格も表情も全く異なってはいたが、そう思わせるほどのものがあった。
が成長し、日に日に兄と似てくるその目と視線を合わせるたびに、白龍は大火の日を思い出す。
 忘れるな、と兄が言っているようだった。
討つべきものを、守るべきものを、忘れるな。
の目を通して兄がそう語りかけてくるようにも思われた。
 だからこそ白龍はを標に歩みたかった。かなりの無理を言ってシンドリアの留学へこうしてを連れてきた。
ここで自分はひとつの形を成さねばならない。その意思を片時も忘れずにいるためにも、には隣で見ていてほしかった。
「龍兄様、シンドリアの船団が見えたそうです」
 奥の船室から、愛しい妹が白龍を呼びに駆け寄ってくる。やはり兄によく似た目をしていて、けれどまったく違う人間だった。
「そうか、今行く……なあ、
「何でしょうか?」
「お前は、俺のことを好いているか」
 陳腐な問いかけを口にする。それには笑って答えた。
「はい、私は龍兄様が大好きです!」
 
150512
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