「運命の人、ですか?」
市場に占い師が来てるらしいから見に行こうよ! との手を引いて連れ出したピスティがの問いに頷く。
「そう、なんでも水面に運命の人を映して見せてくれるんだって!」
「それは楽しそうですね……!」
も皇女といえど、過保護な兄たちのおかげで恋愛に関する情緒を著しく削がれていようと、人並みに恋へ憧れを持つ年頃の少女である。ピスティの話を聞くうちに恋愛への興味を持ち始めたが、運命の人、と聞いて心がときめかないわけではなかった。かつてバルバッドで義姉が同じ占いをして悲劇あるいは喜劇を引き起こしたことなど露知らず、はきらきらと海色の目を期待に輝かせる。陽の光にきらめくシンドリアの海面を彷彿とさせる眼差しを受けて、ピスティはニコッと笑顔を浮かべた。
「でしょ!? 姫も見てもらおうよ、運命の人!」
「たぶんルフを利用した魔法の一種だと思うけれど……どんな式を組んでいるのかしら……」
「あーヤムってばまたすぐ魔法の話に持っていく! ヤムも運命の人見てもらうんだよ!」
楽しげな声が辺りに響く。後にしてきた王宮で、部屋に戻った白龍がの姿が見えないことに真っ青になっていることも知らずに。
「ねーえ、おじさん、次から次へと人の顔出てくるけど、これいつになったら止まるのー?」
「おかしいなあ、いつもならもっと早くに決まるんだけど。お客さんは引く手あまたで運命の人がなかなか決まらないのかねえ」
運命の人を映し出すという水盆に、次々と現れては消えていく顔、顔、顔。最後に止まった人物が運命の人らしいが、ピスティがやってみたところちっとも止まる気配が無い。先に占いをやったヤムライハは、出てきた顔の中に一人も長いヒゲの男性が出てこなかったことにショックを受けて地面に膝をつき、慌てたに慰められていた。
「あっ、止まりそう! ……ダメだ、また動き出しちゃった」
「すごいですね、ピスティさん」
くるくると浮かんでは消える像に、は感嘆の息を吐く。ショックから立ち直ったヤムライハも、のそりと地面から起き上がるといささか引いた様子で水面を見つめた。
「ほんとすごいわね……いつ止まるのかしら」
「あ、止まりそうです!」
ピスティとヤムライハと、それから占い師の男性がじっと水面に注目する。ようやくピタッと止まった水面の像に、四人は硬直した。
「おおー……私すごい」
「す、すごいですね……」
「すごいというか、なんて言ったらいいのかしら……」
占い師の男性は出てきた結果に唖然と固まっている。おそらく今この場で一番驚いているのは彼だろう。動きを止めた水面いっぱいに、タイプも様々なたくさんの男性の顔が浮かんでいた。
「ピスティさんは、運命の相手がとてもたくさんいるんですね!」
「選り取りみどりだねー!」
「え、ええ? 運命の人ってそんなにたくさんいていいものなの?」
「お客さんみたいな結果は初めて見たよ……」
純粋に驚いていると楽しそうなピスティ、困惑するヤムライハに愕然とする占い師。
「さっ、ほら次は姫の番!」
キャッキャと声を上げながらの背中を押すピスティ。ドキドキと胸の高鳴る音を聞きながら、は占い師にお願いします、と代金を払って頭を下げた。
胸に手を当てて水盆を覗き込むの左右から、ピスティとヤムライハがひょこっと顔を出す。
だがしかし、先程まであんなにめまぐるしく動いていた水面はほとんど動かない。ぼやあっとうっすらとした輪郭が浮かび上がってはくるものの、それがはっきりとした線を描くことはなく。期待に紅潮していたの頬が、だんだんと熱を失っていく。これ壊れてるんじゃないの? とピスティが占い師に聞くが、そんなことはないと占い師は首を横に振った。はらはらと見守るヤムライハと、次第にしょんぼりと肩を落としていく。
「運命の人、いないのでしょうか……」
「そ、そんなことないわよ! もうちょっと待ってみましょう?」
「そうそう、あとちょっとで出てくるって! そうだよねおじさん!」
「あ、ああ……きっともうすぐ出てくるよ、お嬢さん」
友人ふたりと占い師の男性に励まされて、は落としていた肩に力を入れてぎゅっと祈るように手を組んで水面を見つめる。すると、ずっとぼやけていた水面がようやくはっきりした像を映すように動き始めた。
「おおっ!」
ピスティが声を上げる。四人でぐっと顔を水面に近付けたその時、の肩へと衝撃が走った。
「!! やっと見つけた!」
「ひえああああああっ!?」
がっと肩を掴まれて振り返るが、耳元で叫ばれたことに驚いて大声量の悲鳴を上げる。突然の衝撃に目をぱちぱちさせて焦点を合わせると、目の前には怒っているような泣き出しそうな、とにかくものすごい形相をした白龍がいた。掴まれた肩がぎりぎりと音を立てている。
「部屋に戻ったらお前がいなくなっているから一体どこへ行ったのかと……兵士のひとりが市場に行くお前を見たと言うから慌てて走って来たが、市場に行きたいのならどうして俺に言わないんだ。言えば連れて行ってやるのに、危ないだろう。頼むから俺の目の届かないところに黙って行ってくれるな、。お前に何かあったらと思うと気が気ではなかった」
「ご、ごめんなさい龍兄様、お二方と遊びに来ていたんです」
「お二方……?」
の言葉に白龍がの後ろにいるピスティとヤムライハにぐるりと視線を向ける。ぎょっとして水面から顔を上げていた二人が、白龍のじとっとした視線を受けてたじろいだ。
「貴方方はシンドリア八人将の……」
「あ、どうもー……姫お借りしてまーす……」
「一応衛士に言付けてから来たのですが、ご心配をおかけしたようで申し訳ありません、白龍皇子」
青ざめた顔でそれぞれ白龍に言葉を返すピスティとヤムライハ。どことなく二人を責めているかのような視線に、留学に来たお姫様である友達を遊びに連れ出すのはそんなにいけないことだっただろうか、いやいや衛士に伝言したし白龍や紅玉も自由に出歩いているし、煌の兵士にもにも市場まで出掛けても良いか確認したから大丈夫なはず、大丈夫だよね? とアイコンタクトを交わす二人。おそらくこれは白龍がに対して極度の心配症を患っているだけだろう、と二人は視線を白龍に戻す。顔を真っ赤にして滝のように汗を流している白龍は、おそらく王宮からここまで全力で走ってきたのだろう。もし部屋にいなかったのがちょっとした用事で席を外しているだけであってもこのように駆け回って妹を探すのだろうか、と想像した二人の背筋をぞっと悪寒が駆け抜けた。
「いえ、きちんとそこまで確認しなかった俺が悪いので……、一度戻ろう、市場にはまた俺が連れて来てやるから」
「え、でも……」
せっかく連れて来ていただいたのに、とピスティたちを窺う。同時に白龍のどろっとした昏い視線もついてきて、二人はぶんぶんと首を横に振る。
「い、いいのよ、私たちのことは気にしないで」
「お兄さんすごく心配してたみたいだし、今日はゆっくり一緒に過ごして安心させてあげた方が良いんじゃないかな!」
「そ、そうですか……? では、申し訳ありませんが失礼致します、今日は遊びに連れて来てくださってありがとうございました」
「お気遣いありがとうございます、妹が世話になりました」
ぺこりと手を組んで頭を下げ、手を繋いで白龍とは帰っていく。それを見送るピスティたちの間になんとも言えない空気が漂った。
「今度から、姫と遊びに行く時は白龍皇子に直接断っていこうね……」
「ええ、そうしましょう……」
嵐の過ぎ去ったあとのような脱力感に視線を合わせて頷き合う二人と、ぽかんと口を開けている占い師。彼らの手元で忘れ去られた水面は、ぼんやりとした像をぷかぷかと浮かべていたが、やがてそれは輪郭を失い、誰の視界に入ることもなく消えていった。
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