燃え上がる炎を、舞い上がる灰を、はぼろぼろと泣きながら見つめている。ドゥニヤの葬儀に立ち会った者は皆、一様に暗い顔をしていて。彼女が唯一心を許したアラジンも、彼女を救えなかったヤムライハもも、ただその死を悼んでいた。の治癒魔法は、煌やシンドリアでは並ぶものがいないほど優れている。それでも、闇の金属器に蝕まれていたのは体だけではなく。魂やルフに生じた欠陥まではどんな魔法でも治せない。手は尽くしたが、救えなかった。手向けの花を火にくべながら、は無力感に押し潰れそうな胸がぎりぎりと痛むのを感じていた。
「……
 顔を覆って俯いてしまった心優しい妹の肩をそっと抱き寄せて、白龍は自分の義手となった左腕を見下ろす。が大泣きで白龍の腕を治そうとしたのを、断った時のの表情に酷く心が痛んだ。けれど、失った腕や足を一から再生させるの魔法は、時間がかかる上ずっと魔法式を固定していなければならない。当然その間再生を待つ左腕は使えないままだ。片腕が無ければ、槍は満足に振るえない。左腕が使えない間、はきっと白龍を守ろうとするだろう。ようやく金属器を手に入れたのに、それでは意味が無いのだ。自分の弱さが招いた欠陥で、守るべき妹を盾にしてはならない。白龍が、を守らなければならないのだ。ザガンの能力が判明したこともあって、白龍は腕を再生することよりも義手をつけることを選んだ。
 自分の魔法の力が及ばないばかりに、黒いルフを見過ごしてしまったのは自分の責任だ、そう泣いたに、けれど白龍の胸は歓喜に高鳴った。白龍の左腕が落ちたことも、ドゥニヤを救えなかったことも、無力感となってを苛む。血を吐くような想いで自身を責め抜いて、弱りきったの心はいつだって白龍の差し出した手に縋るのだ。は悪くないのだ、どうしようもないことはこの世にいくらでも転がっている。けれど誰よりも優しいは、だからこそ自分だけがどうしても許せない。誰もがに罪は無いと言ったとしても、だけはを許せないのだ。そうして潰れそうになった哀れな可愛い妹は、一番近いところにいる白龍に手を伸ばす。が傷付けば傷付くほど、と白龍の距離は縮まる。それが嬉しくて、白龍の胸はどくどくと歪んだ歓びに早い脈を打つ。大切に、たくさんの愛情と慈しみを込めてそっと抱き締めていたい気持ちと、何もかも判らなくなるまで傷付けて、二度と立てないまでに壊し尽くして暗いどこかに引きずり込んでしまいたい気持ちと、矛盾するそれらはどちらも根源を辿れば愛情なのだ。
 やっぱり自分のこんな悍ましい矛盾だらけの混沌とした愛情が、澄み切ったの愛情と重なるとは微塵も思えなくて、それでも自分が不在の間にが出した答えに期待している自分もいて。天山へ向かう前に、の気持ちを確かめておきたかった。
、少し俺と話さないか」
「はい……」
 泣きじゃくって幾分か落ち着いたらしいの肩を抱いて、葬儀の場に背を向ける。ちらりと振り返った先は灰になった亡国の王女だ。自分も、組織に手を借りていたらあんな末路を迎えていたのかもしれない。あんなふうに死ぬのは嫌だと思う。をもう二度と玉艶の元へと近付けたくなかった。そろそろにも組織のことを話さなければ、と白龍は炎から視線を逸らす。どこまで話したものか、と考えながら前を向いた白龍の足元で、焼けた花が踏まれて崩れ落ちた。

「……私、ドゥニヤ王女の気持ちが、少しだけわかる気がするんです」
「…………」
「私には龍兄様もお姉様もお母様もいてくれて、煌という国自体も残っていて……でも、もしその全てを失っていたら、そんな時に力を貸してくれる人に出会ったら……私もきっと善悪など考えず、その力に頼ってしまうと思うんです……もし、雄兄様たちの復讐ができると言われたら、きっと……」
 俯いて拳を握り締めるが、ぽつりぽつりと言葉を零す。の中で白雄たちの死が色褪せずに残っていることに、白龍は安堵半分苦い気持ち半分で複雑な心情に眉を寄せた。白雄たちを思う気持ちはきっと復讐を望む白龍の手をに取らせる。けれど、その思いが残っている限り、は白雄たちのものでもあるのだ。死んでしまった者の背は越せないことに、白龍はギリっと歯噛みした。
「……龍兄様、私、シンドバッド様に、この国に留まらないかと言われているんです。あるいは、七海連合の同盟国への留学を斡旋すると」
「……!?」
 の口から出てきた言葉に、白龍は瞠目しての肩をガッと掴む。まさか自分と離れる気でいるのかと、鬼気迫る形相で問いただそうとした白龍は、弱々しく笑うの表情に息を呑んだ。
「行きません、龍兄様を、ひとりにしません……龍兄様と、離れたくありません……」
、」
「ごめんなさい龍兄様、好きなんです……ごめんなさい……」
 ぽろぽろと泣きながら微笑んで白龍への慕情の吐露と謝罪を繰り返すに、白龍は一瞬呆気に取られた後、ぶわっと胸の内に膨れ上がった喜悦に顔を歪めてを強く抱き締めた。
「何を謝ることがあるんだ、。俺もお前を愛している。たったひとり、お前だけを愛している。好きだ、。俺だってお前と離れたくない」
 を過ちへと引きずり込めたことに白龍の胸は歓喜に震える。白龍が望んだ答えを返してくれたを、離すまいと強く強くかき抱く。背中を締め付けるように腕の中に閉じ込めて、柔らかい二の腕にぐっと指を食い込ませて。その肩に頭を埋めて、華奢な体を全身でぎゅっと抱き締めた。
それでもごめんなさいと繰り返すに訝しげに眉間に皺を寄せて顔を上げた白龍の視界に、泣いた痕が残る顔で笑うの晴れやかな表情が映って白龍はハッと息を呑む。
「嬉しい、です……本当に、龍兄様が、私を好きだと言ってくれて……」
……?」
 間違っている、そうは思う。白龍が何の躊躇いもなくの慕情を肯定したから、却ってその思いは強くなる。に慕情を自覚させたがった白龍の意図は解らない、けれど、気付けて良かったと思う。取り返しのつかない何かを引き起こす前に、気付けて良かった。が白龍を慕っていようと、白龍がを愛していようと、白龍とは兄妹なのだ。白龍と触れている、そこから湧き上がる暖かな感情はやはりシンドバッドに触れられた時とは全然違っている。それが、白龍がにとっても唯一の存在であることの証左に思えて、は零れそうになる涙をぐっと抑え込んだ。
「例え誰にも認められずに消えるものだとしても、こうして龍兄様と想いが通じ合えたことは私の幸せです……それで、十分です」
「……っ、」
 強い決意を内包した澄み切った笑顔に、白龍は言おうとしていた言葉を全て喉につっかえさせた。
無防備に笑う最愛の妹を、どうにかしてしまいたいとずっと思っていた。愛らしくてひ弱で、可愛い可愛い最愛の妹。ずっと小さな幼い妹だと思っていたのに、いつの間にこんなに綺麗に笑ってみせるようになったのだろう。
 けれど、その笑顔は静かに白龍の手を拒んでいる。好きだけれど、傍にいるけれど、それ以上は望まないと、の笑顔は語っていた。
 まだ足りないのか、と白龍は愕然とする。意図的に慕情を錯覚させても、好きだと告げても、それでもはその気持ちを仕舞いこもうとする。白龍への罪悪感が却ってその決意を強固にしてしまったのかもしれなかった。無力な自分がその想いに応えてしまっては、白龍の迷惑になるに違いないと。
「……どうしたら、それ以上を望んでくれる?」
 絞り出すようにして問うた白龍の言葉に、はただ美しい笑顔のまま首を振る。何も望まないと、言外に告げるの澄んだ瞳に白龍は強い焦燥を感じて唇を噛み締めた。
 その笑顔を壊すほどの何かを与えなければ、と思う。基本的に白龍に絶対に逆らわないがそれでも白龍の言葉に首を横に振る時は、それが白龍のためであると思っている時だ。白龍たちの立場のために戦場に出ることに頷いた時もそうだった。今度は白龍の外聞や将来を案じて白龍の想いをそっと拒絶する。白龍を思っているからこそ、その壁はどうしようもなく厚かった。
 どうしたらはもっと利己的になってくれるのだろう、白龍の想いを優先してくれるのだろう。今のを壊してしまわなければきっとそれは手に入らない。そのことに気が付いて、白龍はの矮躯をより一層強い力で抱き締める。苦しくて仕方ないだろうに拒絶の声一つあげないけれど、抱き返してはくれないに泣きそうになる。ひとりにしないと言うの言葉は本当で、それだけに白龍は縋った。この先また何度でもに愛を乞おうと、は頷いてはくれないのだろう。
 『が欲しいのか』
 淡々とした表情で問うた義兄の言葉が蘇る。そう、自分はが欲しくて欲しくて仕方ないのだ。白雄がの無邪気な求婚に頷いた時よりも前から、白龍はずっとずっとが好きだった。
「…………、」
 ゆら、と不穏な輝きを宿して顔を上げた白龍に、はびくっと肩を揺らす。
(ひとりにしないと言うのなら、)
 今ここで自分が求婚すれば頷いてくれるのだろうか。そういえば幼少の頃はともかくきちんとに求婚したことはなかったと、白龍は可笑しくなって笑う。紅炎や紅明に何を言ったところでにきちんと言わなければならないのを忘れていた。お前を妻に迎えたいのだと、の罪悪感や無力感などお構い無しに、隣に立っていてほしいのだと強硬に迫れば、優しい妹は今度こそ頷いてくれるだろうか。愛情も罪悪感も無力感も、何もかもを引きずり出して、腕のことさえ盾にして結婚を迫れば、きっとはそれ以上白龍を拒絶できない。
 それはとても酷いことだと思う。を傷付けてしまう。は何も悪くないと言ったこの口での傷口を抉って隣に立たせることを強制するのかと、白龍は懊悩した。
「龍兄様」
 鈴の鳴るような愛らしい声に、びくっと震えた白龍の瞳に光が戻る。目の前のの心配そうな表情に、白龍は残酷なことを考えた自分に後悔する。腕の中に閉じ込めた体はひどく頼りない。こんなに脆い妹をどうするつもりだったのかと、白龍は反省した。
「……ああ、すまないな」
 今はまだ、が白龍を好きだと言ってくれたことを喜ぼうと、それだけにしておこうと白龍はそっと目を閉じる。まだ煌に戻るまでに時間はある。それまでに少しずつ説得していけばいいのだ。結婚の話だって、組織のことを話してからでも遅くはない。
今はまだ、白龍を拒まないぬくもりだけで満たされる。錯覚であれ何であれ、白龍への慕情に泣いたが愛おしくて。いつかはこの手を握り返して笑ってほしいと、白龍は願った。
 
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