「龍、兄様!?」
アリババが、の視界を遮ろうとしたが既に遅かった。
白龍が大聖母の首を切り落とした、その瞬間を目にしたは、兄が人を手にかけるところを目の当たりにしてしまったは、そのままくらりと傾いで意識を飛ばした。崩れ落ちる体を、咄嗟にモルジアナが支える。
白龍の凶行に非難の声を上げたアリババたちを、白龍は冷たい目で睥睨する。自分は母親という名の魔女を殺さなければならないのだと淡々とした声で語り、海賊の子供達へお前たちははじめから愛されてなどいなかった、と残酷な真実を告げた。黒いルフに飲み込まれかけた子供達へと訴えかけ、白に引き戻したアリババをしり目に白龍はの体をモルジアナから受け取り歩き去っていく。
白龍を追いかけ、その背へとモルジアナは問いかけた。
「待ってください! さんは、さんはお母さんのことを知っているんですか?」
「……知りませんよ。知らないように、俺がずっと守ってきました」
「なら、さんは」
「でも、いずれは知らせるつもりでいます。俺は、と国を取り戻すんです」
「あなたが大聖母を殺したのを見て、さんはショックを受けてます。そんなさんに、自分のお母さんを殺させるつもりでいるんですか!?」
「直接手を下させはしません、そんなことは俺がやればいい。ただ、には傍らにいてほしいんです」
閉じられたの瞼へと、口付ける白龍。頑ななまでの白龍の態度がどんな感情からくるものなのかモルジアナには理解できない。と同じように、恋愛感情というものに疎いモルジアナに理解できるはずもなかった。
「は俺と共に行くんです。俺をひとりにしないと、は言いました」
失礼します、と白龍はモルジアナに背を向ける。それ以上言葉をかけることもできず、モルジアナは白龍を見送った。
白龍は少し歩いた先で歩みを止め、の目覚めを待つ。魔法道具に操られて正気を失っていたとはいえ、大聖母を殺すところを見られてしまったのは失敗だったと白龍は反省した。にとって、白龍は優しい優しい兄なのだ。戦場へ出ることが多く、人の死を数多く見てきたとはいえど、優しい兄が、縛られて虐げられ助けを求める女性をゴミか何かのように切り捨てるところを見たのは衝撃が大きかったのだろう。
「……ぅ、ん……龍兄様?」
「起きたか、。良かった」
ぼんやりと開いた瞳が、白龍を映しても恐怖の色を浮かべないことに安堵する。
「ごめんなさい、龍兄様……取り乱して、しまって」
「いい、俺も配慮が足らなかった」
お前に見せるべきではなかった、と言う白龍にそうではないのだと言いたくて、けれど罪人を処刑しただけの白龍に他に言うべきことも見つからなくて、はただ俯いた。
暗い表情のに、まだ気分が優れないか、と気遣う白龍はいつもの優しい白龍であるのに。大丈夫です、と答えて腕から下ろしてもらう。
これから先はアリババたちとは別れて姉の元を目指すらしい。どことなく重い空気の中、歩を進める白龍との間に沈黙が漂う。ふと白龍は足を止めると、、と彼女に呼びかけた。
「はい、何でしょうか龍兄様?」
も足を止めて白龍へと体を向ける。
「話しておきたいことがある。俺は、為すべきことがあると、まだ話せないと言ってきたが……煌帝国内部に、敵がいる」
「え……」
「そいつらは俺や姉上を殺し、お前の能力を虐殺に利用しようとしている……もう既に国の奥深くに潜り込んで機を伺っている奴らを、俺は討ち果たさなくてはならないんだ。シンドバッド殿から助力を得る約束は頂いたが、俺の味方はまだ誰もいない」
白龍は嘘は言わなかった。組織が、玉艶が、いずれは白龍たちを排除し、を利用しようとしていることは本当だ。だが、全てのことは言わなかった。大聖母を殺したことへの衝撃は、今ここで母親を殺すつもりだといえば不信へと変わりかねないからだ。人を騙すのに、必ずしも嘘は必要ない。
「俺は、奴らから国を、煌帝国を取り戻したい。どうか俺に手を貸してくれないか、……俺の妃となって、俺を支えてくれないか」
「……龍兄、様」
にとっては衝撃の連続だった。兄や姉の命を狙う者たちが国の奥深くに巣食っていることも、兄がそれと戦うために迷宮攻略やシンドバッドとの交渉を成し遂げたことも。
そして、白龍の口から告げられた、自身を妻にと請う言葉も。
へと差し伸べられたその手を取るには、あまりに戸惑いが大きかった。
「……私は、龍兄様や瑛姉様のためだったらこの身など惜しくありません。お父様たちが残された煌を守るために、龍兄様と共に戦いたいです」
「なら、」
「でも、」
白龍の妻に、それはもしかしたら心のどこかで望んだ言葉であったのかもしれない。最愛の兄と、この先共に歩んでいくことが許されたならそれはどんなに幸せなことだろう。
けれど、とはぎゅっと手を胸の前で握り締めた。
きっと白龍の隣には、立つべき人がいるはずなのだ。兄に手を引かれるばかりの、弱くて何もできない自分などではなく。妹ちゃんは利用されることが一番の存在意義だものな、と悪意なく笑ってみせたジュダルの言葉が脳裏を過ぎる。白龍の隣にはもっと相応しい人がいる。強くて気高くて美しく、兄と共に手を取り合って生きることの出来る人間が。
その思いが、の覚悟を固まらせた。
「私、龍兄様の妃になれません……」
「どうして、」
「龍兄様、私は龍兄様の妹です。血の繋がった、妹です」
「そんなこと! お前は俺を慕ってくれているだろう、俺もお前を愛している、兄妹婚をしている王族など珍しくもない」
「私は、何もできないんです。泣き虫で弱くて、賢くもない、そんな私が、龍兄様を支えるなんて、おこがましくて」
「お前がいないと、お前の他に、俺を支える人間などいないんだ。優しくて聡くて、人の痛みに寄り添うことのできるが、昔からずっと俺を支えていてくれた。周りの人間など俺がきっと説得してみせるから、結婚しよう、。ずっと一緒にいよう」
必死に言い募る白龍の言葉に、その真剣な表情に、嘘などないのだと理解できる。既にが支えだったと言ってくれる兄の言葉が嬉しくて。自分に唯一の価値を認めてくれる兄の言葉に、気持ちが揺らぎそうになって、けれど、白龍の言葉にどうしようもなく幸せを感じたからこそ、の気持ちはしっかりと前を向いた。
「そうなれたら、きっと素敵なことですね」
そう笑ってみせたに、白龍は言葉を詰まらせる。
そんな白龍の背後から、彼を呼ぶ声があった。アラジンが、白龍を呼んでいた。納得のいかない顔をしながらも、白龍はアラジンの声へと応えて踵を返す。少し待っていろ、と言われたはその場に留まり白龍を待った。
きっと、きっとこの気持ちは捨ててみせるから。こんなにまで求めてくれたことへの幸せを忘れはしないから。だからきっと、白龍のほんとうの幸せを願える。
白龍の傍に立つべき人はいつかきっと現れる。その人が現れれば、白龍も考えを変えるだろう。結婚などしなくとも、が兄を支えて生きていくことに変わりはない。だから、白龍はをこれ以上守ろうとしてくれなくていいのだ。白龍と結ばれる幸せを得られずとも、通い合った思いがあればそれでいいから。
の頬を、一筋の涙が伝った。それを白龍が知ることは、一生無い。
150610