「私と一緒に行きますか、
 白瑛が問う。年の離れた妹を見つめる姉の目は、どこまでも優しい。
「紅明殿とのお話も……白龍のことも。突然すぎて驚いたでしょう」
 白瑛の言葉が指すのは、先ほど告げられた紅明との婚姻の打診と、それに対するように白龍から言い放たれた、自分がを娶るという発言。
トラン語から始まった世界の話から一転して、の予想だにもしない話は、狼狽える当人よりむしろ周りが白熱して進められていった。
 シンドリアへと向かう前から紅明との結婚の話が上がっていたことも、白龍がまだ実妹である自分を妻に迎えるつもりでいたことも、にとってはまったく考えの及ばなかったもので。
 確かに、他国へ嫁げない自分の身の振り方を義兄に相談したことはあったが、まさかそのような話になっていたとは。としてはいっそ臣下の地位を賜って、文官あるいは従軍魔導士として生きようかと考えていた。皇女が衛生兵の真似事や文官の使い走りのようなことをしていることを良くは思わない母も、が臣下に下ればきっと自身の在り方を認めてくれるだろう。そう考えていた。
 それが紅明との結婚の話にまでなっていたとは。紅明の、「私のところへ来てくれたら、嬉しいのですが」という言葉もどこか遠くのように聞こえた。自分の不用意な発言が義兄たちにいったいどれほどの迷惑をかけたことだろう、と顔を青くしたに何を思ったのか、まず白瑛が異を唱えた。
いずれそうなるにしても、まだ急がなくてもいい話ではないだろうか。
紅徳が亡くなったばかりで結婚の話をするのも不謹慎であるし、国の内外も混乱している、せめてそれが落ち着いてから、と。
 にしてもそれが良いと思われた。
よりによって実兄に抱くべきではない感情を知ってしまった。
自分のこれからのための最善が紅明に嫁ぐことだとしても、こんな過った感情を抱いたままでは、自分の将来を気遣ってくれた紅炎にも、そして何より紅明に申し訳が立たない。
この間違った恋情を、きっと捨ててみせるから、だからそのために少しだけでいい、時間がほしい。
 我侭を言えた立場ではないが、少し時間をもらえないだろうか、そう思い口を開きかけた矢先に、白龍が爆弾を落とした。
「俺がを娶ります。だから紅明殿とのお話は、無かったことにしてください」
 その発言に血の気が引いたのはと白瑛で、白龍に真意を問うも「ずっと前からそうしたいと思っていた」と言うばかり。白瑛の「あなたとは血を分けた兄妹ですよ、解っていますか」という言葉にも動揺を見せたのはむしろのみで、白龍は淡々と「そう珍しいことでもないでしょう。現に煌の傘下に入った国の中にも、兄弟婚をしている王族はいます」と言葉を返す。
 白瑛と、珍しく自身の婚姻に前向きな考えを示す兄を応援したい紅覇は白龍を思いとどまらせようし、それを意にも介さない白龍と、何かと白龍との関係を気にかけていてくれた紅玉が白龍の味方に回り、両者のやり取りは平行線のまま続いていく。
暗い表情のまま俯くと、予想の範囲内とはいえこうも真っ向からを取りに来た白龍を前にどうしたものか考えあぐねる紅明。当初の彼らの話はどこへやらである。
 ある意味火種をまいた張本人ともいえる紅炎は、しばらくは白熱する言い合いに黙って耳を傾けていたが、おもむろに口を開くと白龍に問うた。
「シンドリアへ向かう前に、俺が言ったことを覚えているか」
 それに対し白龍も涼しい顔で答える。
「はい。俺は金属器を得て戻りました。を持て余すことにはなりません」
「金属器を得ればとの結婚を認める、という意味で言ったわけではないのだがな」
「それでも、これで紅明殿と条件は変わらないでしょう。の皇女としての役割ならば、俺の元でも果たせます……何がの幸せであるのかは、の心が決めるべきことです」
 その言葉に、白龍や紅炎を始め部屋にいた全員の視線がに集まる。
白龍の言葉は、に選べと言っているようだった。白龍か紅明、それを決めるのはだと。そして、この場の全員が、今の選択を待っている。
ひゅっ、と喉が引き攣る音が聞こえた。それが自分のものであると認識する前に、の思考はぐるぐると回り始める。
 白龍の、元へ、嫁げたなら。
この過ちのまま仕舞いこもうとしていた感情を、それでいいのだと認めてもらうことができたのなら。
最愛の兄の手が、今目の前に差し伸べられている。
その手をとることが許されたのなら、それはきっと自分にとって何にも代えることのできない幸せであるに違いないのに。
 こわい、という感情が胸をよぎった。
その手を取ったら、何かを違えてしまう気がした。兄妹であるということを抜きにしても、とてもいけないことのようで。この思いが叶ってしまってはいけないと、そう頭の中で警鐘を鳴らす何かがいる。
 今にも倒れてしまいそうな顔で押し黙るに、紅炎がこの話は一旦保留だ、と話を打ち切る。
「――思えば、急な話に今すぐ決めろというのもに酷だ。白瑛の言葉通り、急ぐ話でもない。すまなかったな、
「……いえ、私こそ、急なお話とはいえ混乱して取り乱してしまい、申し訳ありません」
「いい、気にするな。今日はひとまず休め」
 その言葉で話は終わり、それぞれに紅炎の前を辞して部屋へと戻る。
そんな中、表情が優れないままのに「少し、話をしましょう」と声をかけたのは白瑛だった。
 はそれに頷き、白瑛の部屋で腰を落ち着けたところで話は冒頭に戻る。
「知っての通り、私の元には眷属器使いが多いので、がいてくれるととても助かるのですよ」
 その言葉には、が白瑛の元へ身を寄せてもまったく迷惑とは思わない、という意味も込められていて。姉の優しさを感じて、はいくつか去来した感情をやり過ごすのにきゅっと服の胸元を握りしめた。
「……お姉さま、瑛姉様、」
「ええ、、私はここにいますよ」
 今にも泣きそうな顔で白瑛の名を呼ぶに、白瑛は立ち上がりに歩み寄るとそっとその頭を抱きかかえた。
金属器を得てからは一緒にいない時間が増えたけれど、白瑛にとってが可愛い妹であることに変わりはなく、同様にも白瑛を尊敬し慕っていた。
感情的ではない、穏やかで落ち着いた愛情をくれる白瑛は、いつだってが困った時に的確な言葉をくれていたから、は白瑛に胸の内をたどたどしくも明かす。
「わたし、私きっと、龍兄様のことが好きなんです。でも、わからなくて」
 白瑛のぬくもりに安堵したことで自制が緩んだのか、はとうとう泣き出してしまった。
そんなの後頭部をやさしくぽんぽんと叩きながら、白瑛はただ黙っての言葉に耳を傾ける。
「きっといけない気がするんです。こわいんです。龍兄様のことはお慕いしています、でも、いろんな人に迷惑をたくさんかけてまで結婚したいとか、そのようなことは、紅明お義兄様のことを、嫌いだとか、結婚がいやだとかでは、」
「ええ、大丈夫、わかっていますよ
 白瑛には、が白龍への親愛を恋愛のそれだと錯覚してしまっていることも、無意識的にその錯覚の綻びを感じたが故に白龍を拒んでいることも、おぼろげながら解っていた。
仕方がないのだ、が自分の中の感情を処理しきれないのは、の世界を閉ざし続けた自分たちに責任がある。
ここで「あなたの白龍への恋心は勘違いだ」と告げることはあまりに容易いが、それではこの幼い妹の心は傷ついてしまうだろう。
白龍がに情愛を抱いていたのに気付けなかった――少し危うい部分はあると感じてはいたが、あの火災の中唯一失わずに済んだ命に執着するのも当然か、と見過ごしていたのも、がどうしてか家族愛のそれだった感情を白龍の情愛と同じものだと思ってしまうほどに情緒の発達を遅らせてしまったのも、白瑛に責任の一端がある。
 ならば自分が妹のためにできることは、と白瑛は自問する。
ちいさな妹を心配するあまりに閉ざしてしまった世界。その過ちを、正していかなければならない。世界は大きく、広い。は聡い子だ。きっと外に出れば、多くのことを学んでみるみるうちに成長していくことだろう。その中できっと幼いままだった感情も育ち、いずれは白龍への感情を自分で正しく理解できる日が来る。その助けをしてやることが、姉としての役目であり、過ちを犯してしまった自らの負うべき責任ではないだろうか。
「あなたは良い子です。間違いを犯したわけではありません。今はただ、たくさんのことが一度にありすぎて、見えなくなってしまったものがあるだけ。落ち着いてゆっくり考えましょう、そのための時間ならありますから」
「……私、瑛姉様と一緒にいきたいです。まだ、何がわからないのかも、わからないままですけれど……きちんと、為すべきことに、考えるべきことに向き合いたいです……ご迷惑で、なければ」
「迷惑だなどと思うわけがありません。今はまだ、わからなくとも良いのです。これからわかっていけばいい。それに、あなたがいてくれたら嬉しいわ。きっと青舜も喜びます。天山で私の眷属たちもあなたに多く助けられましたし、みんな気のいい人たちばかりですから、きっと仲良くなれるでしょう」
「お姉様……、」
 流れる涙はそのままだが、は顔を上げて笑う。その笑顔に白瑛もまた笑みを見せた。
「そうとなれば、母上にも話をしなければなりませんね」
「お許しくださるでしょうか……」
「紅明殿はバルバッドのことでまだ落ち着かないでしょうし……白龍も、金属器を得たとはいえこれからどうするか決まっていないようですから、戻って再び婚姻の話をするまでにはまだそれなりに時間があるでしょう。とはいえそう長い期間でもありません、母上の許しも得られるでしょう」
 ともあれそれは明日にしましょう、今日はもう遅いですから。
そう言う白瑛にも慌てて立ち上がる。一緒に寝ますか、と冗談半分本気半分に言う白瑛には笑って首を横に振る。私そこまで子供じゃないです、と拗ねたふりをしてみせるの頭を、白瑛は笑んだままそっと撫でた。
「おやすみなさいませ、瑛姉様」
 白瑛の部屋を辞したの腕を、後ろから何者かがぐっと掴む。
驚いて振り向いたの目の前には、鬼気迫る表情の白龍が立っていた。
 
150514
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