痛いほどの力で、の腕を掴んでいるのは白龍だった。左右で色の違う瞳は、不穏な輝きを帯びてぎらついている。
「龍兄様、」
「何故だ」
 痛いです、と言いかけたの言葉を鋭く遮って白龍が問う。の腕を掴む手の力が、一層強くなった。ぎり、と食い込む爪に、の瞳が再び潤む。
「お前も、俺を慕っていると言ってくれただろう。なのにどうして、あの場で頷いてくれなかった」
 苛立ったように言い募る白龍の脳裏に、シンドリアの朝焼けの海での出来事がよみがえる。
 『例え誰にも認められずに消えるものだとしても、こうして龍兄様と想いが通じ合えたことは私の幸せです……それで、十分です』
 泣きそうな顔で、それでも晴れやかな笑顔を浮かべてみせた妹。
その笑顔を愛おしく思いながらも、白龍は一抹の不安を覚えた。錯覚でもなんでも、その感情を肯定すればきっと自分から離れていかないと思った。ずっと一緒にいられる道があるのだと、そう告げれば頷いてくれるものだと思ったのに。
それでもは笑ってみせた。何もかもを押し込めたような笑顔で。
 絶対に周りを説得してみせる、きっと結ばれることができる。そう白龍がに求婚したのはシンドリアを去った直後のことだ。
 そうなれたら素敵なことですね、とどこか夢の出来事を語るように、諦めたように笑って言葉を返した
 白龍が予想していたよりも早くに、抱いた感情の葛藤に決着をつけてしまった――それも白龍にとって望ましくない方向に――らしいに焦りを覚えたからこそ、時期尚早とは思ったものの、紅明、ひいては紅炎に喧嘩を売るような形でとの結婚を申し出たのに。
 きっとまだは揺らいでいると思った。
 元々感情を即座に自制できるほど器用ではない。完全に白龍への恋情を仕舞い込んでしまう前に引きずり出して、もう一度形を与えて。そうすればきっと、手に入ると。
「お前は俺と結ばれたくはないのか。俺への慕情を抱えたまま、紅明殿の元へ嫁ぐのか、
 常にない昏い目で、激情を抑えいっそ淡々とした口調で問いを重ねる白龍に、は怯えながらも口を開いた。
「わから、ないんです」
 白瑛に告げた胸の内をそのまま、やはりまだ混乱したままの心情をそのまま、兄へと告げる。
「龍兄様を、お慕いしています。龍兄様に嫁げたら、どんなに幸せだろうかと思っています」
「なら、どうして!」
「何かを、違えてしまうような、気がするんです」
「何が違うと言うんだ。実兄、実妹ということを気にしているのなら、」
「いえ……そう、ではなくて、」
 白龍の目が怖くて直視できない。は掴まれたままの腕を見下ろすように俯いた。
「そうではなくて、何か、もっと、大事なことを……誤っているような」
「……それは、どういう意味だ?」
 底冷えするような声で白龍が問う。その声にはっと顔を上げる。彼らの視線がかち合う刹那、割って入った声があった。
「何をしているんです、白龍、
「紅明お義兄様、」
「……話をしていただけですよ、紅明殿」
 訝しげに目を細める紅明に、話を邪魔されたことへの苛立ちを隠そうともしない白龍と、バツの悪そうな表情で視線を彷徨わせる。それまでの不穏な空気は散らされ、は詰めていた息を吐いた。
「もう遅い時間です、こんな夜更けに廊下で話していては体に障りますよ」
 言いながら紅明は、の掴まれたままの腕に目を向ける。
 白龍はその視線を追って、はじかれたように握っていた腕を離した。皺になってしまっている袖と、その下で赤くなってしまっているだろう華奢な腕。
第三者の介入によって幾分激情が収まったのか、途端にこみ上げてきたのは罪悪感で。
「すまない、……少し頭を冷やして出直してくる。明日葬儀が終わったら、部屋を訪っても構わないだろうか」
「は、はい、お待ちしております……お気になさらないでください」
「部屋まで送ろう。紅明殿、失礼します」
「……ええ、お休みなさい」
「失礼いたします、紅明お義兄様」
 今度は緩やかな力で手を繋ぎ直し、連れ立って去っていく兄妹に、紅明はふう、と溜息を吐く。
先程までのあれはどう見ても修羅場の様相を呈していた。たまたま、すぐ床に入る気にもなれず城内を彷徨いていた紅明が通りかからなかったら、ちょっとした騒ぎになっていたかもしれない。或いは、白瑛の部屋の近くであるから、彼女が止めに入ったかもしれないが。
 白龍のに対する焦燥は目に見えて明らかなものになっている。
を部屋まで送った先でまた先程のようなことにならないかが気にはなったが、白龍も一度落ち着きを取り戻したようだし大丈夫だろう、と思いたい。
 できれば自分もと話したかったが、白龍との話がひとまずの決着を見せるまでは、に余計な負担を与えない方がいい。
 自分の中でそう結論づけて、紅明もひとり自室へと向けて踵を返した。
 
150516
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