翌日、自室で待っていたの元へふらつく足取りでやって来た白龍は、まるで幽鬼のように生気がなく、正気を失っているようにも思われた。
びしょ濡れの白龍に慌てて駆け寄るの肩を、白龍はぐっと掴む。
「お前は……姉上と共に行くのか、」
「え、あ……」
突然の問いに咄嗟に肯定を返せなかったの瞳に、光のない白龍の目が映る。冷たく湿った手が肩に食い込んで痛い。
白龍の脳裏に、自分の手を払った姉の言葉が浮かんだ。
――は、私が連れて行きます。
――あの子と離れがたい気持ちは解りますが、白龍、あなたもも、一度離れてお互いのいない世界を知ったほうがいいわ……私が言えたことでは、ないですが。
共には行けない、も共に行かせはしない。そう告げる白瑛に、まるで歯が立たなかった玉艶に。
白龍は絶望した。そして、だけは、最愛の妹だけは己を裏切るまいと、最後にここに足を運んだのだ。
「姉上とは行くな、。俺と共に来い」
「何故ですか、龍兄様。私は、過ちを、どれが過ちかも解らないから、お姉様と、」
「もう既に違えた解があるというのに、それも知らずに犯す過ちがあるものか」
「龍兄様、それはどういう……」
「……もっとも、そうさせたのは俺だが」
戸惑うに、自嘲するように笑う白龍。
じり、と後退していくとの距離を縮めるように白龍は歩を進める。寝台へとの膝裏がぶつかったところでぐっと肩を押せば、細い体は簡単に後ろへと倒れ込んだ。
「たとえ間違っていたとしても、それがお前の安寧に繋がるのなら、と思っていたが」
強く降る雨のせいか、部屋の中は薄暗い。それでもいやにはっきりと見える白龍の瞳は、仄暗い光を宿していた。
「……間違えたくないというなら、、お前はまず既に犯した過ちを知るべきだろう」
「龍兄、様?」
「、お前、母上のことをとてもよく慕っていたな。魔法を母上から教わって、お母様、お母様と、無邪気な笑顔でついて回っていただろう。なあ、、お前は母上のことが好きか?」
「は、はい。私はお母様のことが、好きです」
「そうか……は大火の日を覚えているか」
「覚えて、いますが、」
重ねられる質問、繋がらない話に、戸惑うの瞳が揺れる。
「お前はあの日、あの場にはいないはずだった……あの女が、そう仕組んだはずだった。お前だけは、確実に助かるように。そのはずが、お前は兄上に借りていた本を返し忘れていたからと、あの建物に足を踏み入れてしまった、そうだな」
白雄の血に濡れて走る白龍が、煙に巻かれて倒れている妹の姿を目にした時。朝から街へ商学の実習に行っているはずの妹が、燃え盛る城に取り残されていると理解した時、白龍は血と涙でぐしゃぐしゃになった目元を強く擦った。どうか、幻覚であってほしいと。
「後から聞いた話だが、お前が城に取り残されていると知った時、あの女は半狂乱になったそうだ……周りの抑えも跳ね除けて、自らの手でお前を救い出しに行こうとするほど」
けれどその直後、燃え盛る建物から満身創痍の白龍が飛び出してきた。半ば引きずるようにしてを抱えて。
幸いにも火の手の回りが遅い、建物の入口に近いところでは倒れていたため、多少煙を吸った程度で白龍のような火傷を負うことはなく、翌日には意識を取り戻した。重傷を負い長らく生死の間を彷徨った白龍は、目覚めて玉艶の正体を知り、憎しみに呑まれながらも、妹だけは目立つ外傷も残すことなく助けられたことに、自身もまた救われた気持ちになった。復讐を誓うとともに白龍は決心したのだ。例え復讐の道の中にあろうとも、この小さく弱い妹だけは、自らの手で守らねばならないと。
「……あの女は、お前のことだけは確かに愛しているのだろうな。俺はあの女に言われたよ、『私の可愛い小さな子を救ってくれたことには礼を言うわ』と。俺や姉上、兄上たちのことは家族のフリをして裏では嘲笑っていた女が、お前のことだけは真摯に愛していたということだ……、お前は間違ってはいない。ただひとつだけ、過ちを犯しただけだ。その過ちを、無知による罪を、背負わせたのは俺だ」
囁くような声でに語りかける白龍の体が、彼より一回りもふた回りも小さく華奢なの体に覆いかぶさる。
口づけを交わせそうなほど近い距離で、呆然と白龍を見上げるの目は、やはり白龍に復讐を託した兄のそれに酷似していた。
「まさか……それでは、その言い方では、」
「……ああ、解るのか。は聡い子だな」
きっと否定の言葉が欲しかったのだろう。の瞼は理解を拒むようにぎゅっと閉じられた。うそだ、と音もなく呟く唇に、信じがたいのも仕方ないか、と白龍は苦笑しての目の下の薄い皮膚を親指でゆっくりとなぞった。目を開くことを促すように。
「だがな、。嘘じゃない。俺が、お前には知らせないようにと隠していただけだ」
「そんな、うそでしょう、龍兄様……」
「俺達の父上を、兄上を、殺したのは。お前の大好きな、愛するお母様だ、」
殊更ゆっくり、言い聞かせるようにして白龍は囁いた。焼け落ちたあの日の記憶が、目の前の妹の瞳に眠っている。開けてはいけない箱を開くような胸の高鳴りに、白龍の鼓動は激しく脈を打つ。
やがて開かれたの目は、茫洋とした輝きを帯びながらも、確かに白龍を見返していた。
150518