「妹ちゃん、マグノシュタット行こうぜ! おもしれーもん見れるぞ!」
「神官殿……?」
 白龍の部屋で眠っていたのところに、ジュダルがやってきた。寝起きだったはぼうっとしたまま起き上がろうとするが、ジュダルと一緒に部屋に入ってきた白龍がそれを制止する。掛布の下にちらりと見えた白い肌に、ジュダルはひゅう、と口笛を吹いた。
「何だよ、お前ら朝までお楽しみだったのかよ」
「うるさいジュダル、に服を着せるから部屋から出ていろ」
「へーへー、仰せのままに致しますよー」
 ジュダルを部屋から追い出すと、白龍は甘やかな笑顔を浮かべてをそっと抱き起こす。いつもしっかりしている妹が、寝起きはぼうっとして隙があるところが好ましかった。寝惚け眼のまま白龍に寄りかかるに、テキパキと服を着付けていく。その半ばで覚醒したが、顔を真っ赤にして謝り倒すのに白龍はふふっと笑った。
「すみません、本当にすみません、龍兄様」
「いいんだ、俺も楽しいから」
 最後に髪を整えてやると、白龍は「もういいぞ」と部屋の外に声をかける。「おっせーよ」と文句を言いながら入ってきたジュダルに、は顔を真っ青にした。寝起きが悪い自覚はある。もしジュダルが一度兄と一緒に入室してきていたのなら、自分ははしたない姿を晒したかもしれないのだ。
「え、あ、もしかして……、」
「あ? 安心しろよ、そこのオニイサマのおかげで妹ちゃんの裸は見れてねーから」
「すみません……、お見苦しいものを」
「気にするな、。俺が無理をさせたのが悪いんだ」
「妹ちゃん体力なさそーだもんな、手加減してやれよ白龍」
「黙れジュダル、そもそも本題はそこじゃないだろう」
 下世話とも言うべき話題に真っ赤になって顔を隠すを抱き寄せながら嗜める白龍に、ジュダルは「そういやそうだったわ」と手を叩いた。
「さっき紅炎からの呼び出し来ただろ? 白龍も妹ちゃんも呼ばれてたし、いこーぜマグノシュタット」
「お義兄様が……!?」
 義兄の呼び出しに気付かず眠りこけていたという事実には真っ青になるが、白龍もジュダルも実にのんびりとしている。よほどの非常事態が起こっているのではないか、と慌てて立ち上がるだったが、腰に走った鈍痛に崩れ落ちた。それを支えてやりながら、白龍は首を横に振る。
「いや、お前は行かなくていい、
「でも、紅炎お義兄様が呼んでいらっしゃると、」
「……玉艶に国外に出るのを禁じられているだろう」
 僅かに眉を寄せた白龍が、諭すように言う。玉艶が即位した後、彼女はが国外に出ることを禁じたのだ。紅炎たちはもちろん渋面を作ったが、仮にも皇帝の命令である。マグノシュタットの情勢不安や、シンドリアから直接戻ってくると思っていたが白龍や白瑛に付いて北天山での異民族との戦いに巻き込まれていたと聞いて、玉艶はそれはそれは悲しそうな顔をしてみせたのだ。紅徳は亡くなり、頼るべき息子や娘は戦や政略結婚で方々に散っている、どうか末娘のだけでも情勢が落ち着くまでは国内に留まっていて欲しい、と。
白龍はそれに対して白々しい、と隠すこともなく顔を顰めてみせたが、白龍にとってもそれは都合が良かった。紅炎たちにを戦に連れ出されずに済んでいるのだ。が禁城に留まっていてくれているのなら、白龍としても動きやすかった。を引き込んでから可能な限り玉艶との接触を避けさせてはいるが、今は悔しいことに皇帝となった玉艶の庇護下にいることがにとって一番安全なのだ。
「それに、マグノシュタットは寄り道のようなものなんだ、。俺とジュダルはこれから迷宮攻略に向かう、お前を連れてはいけない」
「え……」
 シンドリア以来二度目の拒絶に、は言葉を失った。自分はやはり白龍には不要なのだろうか、と表情を暗くするに、白龍は苦笑する。
「迷宮自体が危険なのもあるが……迷宮から出たら方々に飛ばされる可能性が高いんだ、お前を危険に晒したくない。何があってもお前を守るつもりではいるが、お前をここに置いていくことが今は一番お前を守ることになるんだ、解ってくれ」
「……はい、龍兄様」
 確かに別々に見知らぬ遠い土地に飛ばされてしまっては、三人の中で一番危険な目に遭う可能性が高いのはだ。野盗に襲われたりしたら防壁魔法で身を守るか、一時的に眠らせることくらいしかできない。皇帝の命令で禁城に留まっているはずのは、各地の駐屯兵に頼ることもできないのだ。
「その後俺たちはここに戻らずに、戦力を整えてここに攻め入るつもりでいる。必ず迎えに来るから、その時が来たら力を貸してくれ」
「はい……」
「玉艶に取って食われねーように気を付けろよ?」
 ニカッと笑ったジュダルが、じゃあ俺は先に外出てるぜ、と部屋を出ていく。部屋に残された白龍との間に、沈黙が漂った。
「……なあ、。お前は、やはり紅炎殿たちや姉上が慕わしいのか」
「…………、」
「責めるつもりはないんだ。ただ、彼らは玉艶が兄上たちの仇と知っていても、何もしなかった。姉上も、玉艶が兄上たちを殺したと知っても、何もしようとしない。この国を何とかできるのは俺たちだけなんだ、
 を腕の中に抱き寄せて、白龍はその耳元で言い聞かせるように囁く。
「お前以外、俺に味方してくれるきょうだいはいないんだ。どうか、お前は俺だけの味方でいてくれないか、。もう、紅炎殿たちのことは見ないでくれ。俺だけを、見ていてくれ、
「……それは、」
「俺は、もう彼らが信じられないんだ。、お前だけしか、信じられない。何もしない彼らが、許せないんだ」
「龍兄様……私は……」
 は、紅炎たちや白瑛と話し合って、協力して、玉艶にしかるべき報いを受けて欲しいと思っていた。けれど、白龍は彼らの力を借りることなくやり遂げるつもりでいるのだ。その決意は、一体どこに向かうのだろう。
「……今は解らなくていい。ただ、もうなるべく彼らとは関わるな。玉艶とも、なるべく接触を避けろ」
「……わかりました」
「いい子だ、。絶対に迎えに来るから、それまで無事でいてくれ」
 の頭を撫で、唇を重ね、白龍は部屋を出て行く。覚悟を定めた白龍の瞳は、影のある輝きを孕んでいて。その瞳に、何故だかとても不安を感じては白龍を引き止めそうになった。

「…………っ!!!」
 その日久しぶりに一人で眠りに就いたは、恐ろしい夢を見て飛び起きた。ばくばくと鳴る心臓を抑えながら、は冷や汗で湿った額を手で覆う。
「龍兄様、」
 断片的な光景が蘇る。玉艶を討つと、紅炎は簒奪者だと冷ややかな目で語った白龍。紅炎を殺すと、晴れやかな顔で言った白龍。アリババに、死んでくださいと嗤った白龍。何もかも、の知らない白龍の表情だった。ただの夢だ、と自分に言い聞かせるように呟く。きっと白龍がいなくなって心細いから、こんな夢を見るのだと。
 それでも、夢の中の兄がひどく恐ろしかった。紅炎たちが信じられない、と言った白龍の表情を思い出す。
(お母様を討ったら、龍兄様はどうなさるおつもりなのだろう……)
 何故だか、そこに幸せな未来を思い描けなかった。どこまで白龍は進むつもりなのだろう。そこに紅炎や紅明、白瑛たちはいるのだろうか。白龍が本当に目指しているのは、兄の復讐だけなのだろうか。それでも、に縋った白龍に、ずっと一緒にいると約束した白龍に、が今更その手を離すという選択肢があるわけもなく。
(こわい、)
 自分たちは、もしかしたら間違えているのではないのだろうか。途轍もない過ちを、犯しているのではないのだろうか。汗で濡れた体が冷えて、かたかたと震えるのをは必死に抱き締める。
いつか、夢に見た光景が現実となって来てしまうと思った。紅炎に、アリババに、白龍が刃を向けてしまう日が。
きっと白龍は止まれないと、初めて体を重ねた日からずっと、白龍が抱え続けた怨嗟を聞かせられたは思う。優しい兄は、ずっと一人で重い使命を背負い続けていた。そしてそれは、いつしか兄の生きる理由の大半を占めていた。が見ていた白龍は、半分でしかなかったのだ。
 『もう、お前を守ることと、煌を取り戻す他に、俺は生きる意味を持たないんだ』
 睦言のように甘い声で語られた言葉が、重くの胸にのしかかる。は、もう白龍の手を離すわけにはいかない。白龍を否定してはいけない。白龍の生きる意味を奪ってはいけない。だけは、何があっても白龍の味方でい続けなければいけない。
それでも、募る不安。兄は果たして、止まれるのだろうか。兄を走らせ続ける復讐が果たされた時、白龍が手にした力はどこに向かうのだろうか。それが夢で見たような光景に繋がる気がして、はぽろりと涙を零した。
(きっと龍兄様は、戦いを止められない)
 時々、違和感を感じることはあった。白龍の浮かべる表情に、危うさを感じることはあった。どうして、もっと早くに気付けなかったのだろう、とは顔を掌で覆った。
 は気付いてしまった。白龍の抱いた狂気に、彼が道を踏み違えていることに、今になって漸く気付いてしまった。そして、自分がその背中を押していたことにも。暗い部屋に押し殺した嗚咽が響く。抱えた過ちは同じだ。でも、だからこそは最後の最後まで白龍の傍にいなければいけない。兄を絶望に追い込んではいけない。自分では白龍を止められない、もし止めようとしたら、それは白龍の否定に繋がる。だけは、白龍を止めてはいけなかった。
(どうしよう)
 自分は間違えてばかりだ、とは泣く。間違えたくなくて考えるのに、どんどん間違いばかりが増えていく。でも、白龍の手を取ったことだけは間違いではないと信じたかった。を求めた白龍の手を握り返した時に、安心して笑った白龍の笑顔を信じたかった。
(きっと、まだ戻れる)
 兄が見せたあどけない笑顔を思い浮かべて、はぎゅっと拳を握る。は白龍を止められない、止めてはいけない。にはそんな資格はない。悔しかったし、悲しかったし、やるせなかった。それでもきっと、白龍を止めてくれる人はいるはずだと、は祈るように掌を重ね合わせて指を組む。
(私は、間違えてばかりだ……)
 誰かに、頼るしかなかった。は白龍を守りたい。その想いも、その未来も。けれどに守れるのは白龍の想いだけで。それでも、白龍に応えたことを、白龍の想いをとったことを、後悔はしなかった。白龍が大切で、かけがえがなくて、何もかもをなげうって支えたいほどに愛しくて、尊くて。白龍の手を取ったことだけは間違いにしたくない。例え自分自身でできなくても、白龍の未来を守ることはできるはずだ、とは握り締めた手に更に力を込める。の脳裏には、眩しいほどの光を放つ、ルフに愛された青年――アリババの姿が、浮かんでいた。
 
150725
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