「俺こそが、煌帝国の正統な王だ!!」
 ついにその日はやって来た。白龍の眷属と、妙に緊迫した様子の兵隊たち。騒ぎの中、外へ出てきたは金属器を掲げて叫ぶ兄の姿と、その横でジュダルが展開した遠隔透視魔法に呆然と立ち竦む。幼かった白龍の手を取り、邪悪に笑む母の姿。白龍はずっと、独りで真実を抱えて生きてきたのだと、改めて思い知らされる。あんな表情をした白龍を、は今までこの目で見たことがなかった。
「龍兄様……」
 小さく呟いたそれが聞こえたかのように、ふと白龍がのいる方を見る。驚いて固まったに、白龍はふっと表情をやわらげて笑いかけた。
 『 む か え に き た 』
 呟く声の届くような距離ではなかったが、白龍の口の動きがはっきりとの網膜に焼き付く。必ず迎えに来るから、とに口付けた白龍の笑顔が脳裏を過ぎった。戻ってきてくれた、とはふらりと片方の足を前に出す。その時になったら力を貸してほしい、と言った白龍の言葉が次いで思い浮かんで、は次の瞬間にはその場から走り出していた。

「はっ、はぁ……!」
 兵士達や眷属たちの戦いを、避けながらひたすらに玉艶のいる間に向かって走る。鳴り響く爆発音や怒号、剣戟を交わす音。それらに竦みそうになる足を叱咤して、逃げ惑う文官や使用人たちの流れに逆らって、ただ白龍を目指しては走り続けた。
「……?」
 やがて王の間も近付いた頃、の瞳に映った老将軍。二人の姿は、あからさまにおかしかった。愕然として膝を付き、冷や汗を流し、震え、まるで何かに恐怖しているような。
「青龍殿、黒彪殿……?」
 白龍の元へ急がねば、と思いながらもは小さい頃からよく世話になっていた二人の尋常でない様子に、おそるおそる声をかける。
「姫様……、」
 どこか怪我をしたのだろうか、魔法が必要だろうか、と慌てるの瞳に、虚ろだった老将軍二人の視界が定まる。彼らのかつての主と、その生き写しのようだった皇子にあまりによく似た瞳。浮かべる色こそ違えど、それは彼らがかつて尊崇を抱いた瞳だった。
我が王、我が主、と音もなく彼らの口が動く。同時に白龍の言葉が蘇る。国の仇、国を貪る逆賊。彼らの主を奪ったのは、彼らの本当の敵は――解っていた。解っていた、つもりだった。
「……姫、貴方はいずこへと行かれるのですか」
「龍兄様のところです」
 迷いのない瞳で、は言い切る。
「私は、龍兄様のお傍に行かなくてはならないんです。帰らぬ日々を奪ったお母様に、答えを聞くためにも」
 慕っていた。大好きだった。信じたかった。
それでも、先程のジュダルの魔法を見ては悟ったのだ。たとえにどんなに優しくしてくれたとしても、母にとっては兄も姉も父も、利用して使い捨てる存在でしかなかったのだと。父を奪ったのは、兄を奪ったのは、確かに母なのだ。今白龍が、この国を取り戻すために、兄の無念を晴らすために戦っている。は行かなくてはならない。あの日見た夢は今でもの胸に突き刺さっている。けれど、今はそんな先のことではなく、もっと近くにあるものを見据えて進まなければならないのだ。まずは玉艶を乗り越えなければ、その先の未来を憂う意味もなくなる。
は母に抱いていた思慕と、知ってしまった裏切りへの悲しみの葛藤に決着をつけたいのだ。は白龍の傍らに立って母に対峙すると決めた。剣も槍もにはない。それでもこの身と想い、ただひとつの刃がある。
「煌を取り戻すために戦っている、龍兄様の元へ、」
 青龍と黒彪の前にいたのは、内気で気弱で泣き虫で無力な第九皇女ではなかった。父や兄と同じ目をした、白徳の娘、白雄らの妹だった。
様……」
 は今、その身一つで白龍の元へと赴こうとしている。彼らの主と同じ目で見据えた先には白龍がいる。は白龍を信じてこの場にいるのだ。誰よりも主に似た目で、白龍を王と仰ぐ。ならば彼らが守るべきは。
地面へと膝を付いていた彼らは立ち上がった。落とした得物をそれぞれの手にしっかりと持ち直して、彼らは立ち上がる。
「白龍皇子は、この先で玉艶と刃を交えております」
「行くと仰るのであれば、我らがお供致します、様」
「あ、ありがとうございます……!」
 主の遺した皇子と皇女を。彼らが目指す、この国の正しい未来を。今度こそ守らねばならないと、彼らは再び走り出したを追いかけるように地を蹴った。

「龍兄様!!」
 玉艶にとどめを刺されそうになった刹那、白龍を庇うようにして二つの刃が馳せた。白龍を守るように現れた二人に遅れて、白龍を呼ぶ声が響く。
……!」
「おっ、妹ちゃん来たのか。ありがてー……って言いてえとこだけどよ」
 先程ジュダルが発動させた絶縁結界により、魔導士であるは何も出来ない。を傷付けることを恐れて玉艶の動きも少しは鈍くなるだろうか、と望み薄な期待を抱いたジュダルは、目の前の光景に息を呑んだ。
「なっ……!?」
 が、ぼろぼろになった白龍の傷を魔法で治癒していたのである。絶縁結界の中で平然と振るわれた魔法に、ジュダルも玉艶も白龍も目を見開いた。もしや絶縁結界が壊れたのか、とそれぞれに確かめるが、依然として結界は張られたままで。
、あなた……」
「お母様、」
「本当に、あなたは奇跡よ」
「……お母様にとっての奇跡だから、私にだけは優しくしてくださったのですか」
「ええ、そうよ。あなただけは本当に愛しているわ。こっちにいらっしゃい、。そうすればあなたのことは生かしてあげる」
 剣を構えたまま玉艶はに手招きするが、白龍を庇うように抱きしめて、は強く鋭い眼差しで玉艶を見据えた。震える声で玉艶へと問う。母と娘の間で交わされる視線に、白龍たちは皆息を呑んで行く末を見守る。
「お兄様を、お姉様を、お母様は愛していらっしゃらないのですね」
「そう思ってもらっても構わないわ」
「……お父様を、雄兄様を、蓮兄様を、殺したことを後悔なさっていますか?」
「していない、と言ったら?」
「……最後のお別れを言います」
「別れ? あんなに可愛がってあげたのに?」
 が自分と決別することなどできるわけがない、と玉艶は笑う。本当に愛した娘が、同じくらいに自分を愛していた娘が、白龍と玉艶の間で葛藤を抱えていたことを知っている。その目からは、今にも涙がこぼれ落ちそうなのだ。
「そういえば、少し見ない間に雰囲気が変わったわね」
 世間話をするかのように、玉艶は軽い口調で言った。ほとんど傷の無くなった白龍の体をぎゅっと強く抱き締める涙目のに、兄とはいえ自分から異性に密着できるような性格ではなかったはず、と玉艶は白龍から抱き締められるばかりだったと、記憶にあるよりも近くなっている二人の距離を揶揄して。そして、思いついた可能性にぱっと明るい表情を浮かべた玉艶は、一気に二人へ距離を詰め、の耳元で恋話をする少女のように密やかに囁いた。
「白龍に抱いてもらったの、?」
「っ、」
 真っ赤になって言葉を詰まらせたに、玉艶はニタァッと笑う。
「そう、よかったわねぇ、。大好きな大好きなお兄様に抱いてもらって。気持ち良かった? 幸せだった? そうね、白龍がいてくれるならもう、あなたにお母様は必要ないのねぇ」
「っ、貴様!」
「……シャラール、」
 玉艶の囁きを拾って激昂した白龍がを押し退けて玉艶に斬りかかるよりも早く、が広げた指先を目の前の玉艶へと向けた。
「アルサーロス!!」
 一瞬での手元に集まった大量の水が、瞬時にいくつもの槍となって玉艶へと撃ち出される。至近距離で生成された巨大な槍。それをすんでのところで避けきった玉艶は、大きく口を開けて笑った。
初めて人へと攻撃魔法を向けたはぼろぼろと瞳から涙を零している。白雄たちのことなどどうでもよさげな態度への怒り、白龍との関係を揶揄された羞恥、決別を決意したとはいえ母に刃を向けた悲しみ、それらが全て、涙となって溢れ出た。
「ジュダル、を連れて外へ出ろ!」
 距離を取った玉艶に、身を起こし剣を構え直して白龍が叫ぶ。
「いいのかよ? 俺はもう、魔法使えねーんじゃいても役に立たないから逃げるけどよ」
「私、まだ、」
はもうここまでしてくれたら十分だ、ありがとう。ジュダル、に傷一つでも負わせてみろ、タダでは済まさないからな」
「おー怖っ。そういうわけだ妹ちゃん、俺と一緒に退場しようぜ」
 ぼろぼろと泣いているを抱え上げてジュダルは外へと駆けていく。それを視界の端に見送って、戦いの中ではあるが白龍は確かに安堵していた。は母に刃を向けて自分を選んだ。白龍の手を取ったものの、優しかった玉艶への思慕に揺れていたが、自らそれを断ち切ったのだ。
「残念ね、……まあいいわ、あなたたちを倒してまた可愛がってあげればいい話よね」
がお前の手を取ることはないし、そもそもお前はここで死ぬ」
 くすくす笑いながら剣を構えた玉艶に苛立ちながら、白龍は吐き捨てるように言う。
「お前のへの醜い執着も、ここで終わらせてやる」
 は玉艶の手を振り払った。ならばもう、ここで玉艶を殺してしまえば、は本当に白龍だけのものになる。
「お前だけはここで絶対に殺す」と呟いて、白龍は足を踏み出した。
 
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