「お前、妹ちゃんにベリアルの記憶操作使わねーの?」
ジュダルの唐突な問いかけに、白龍は眉間に皺を寄せて即答した。
「ああ、使わない」
「何でだよ? ずっと一緒にいたいんじゃなかったのかよ」
「今のところは使う必要がない」
「油断してると、持ってかれるぜ。紅明とかによ!」
「油断じゃない、事実だ。こうして俺の手を取り、玉艶を殺すのにも加担した。紅明たちのところに行けない理由もある。にはもう、俺しかいない」
だから現状記憶操作は使う理由がない、とつらつらと述べた白龍に、ジュダルはひょいっと片方の眉を上げると、ふーんと呟いて杖に乗ってどこかへと飛んで行ってしまった。
相変わらず勝手なやつだ、とため息を吐き白龍は自室で眠っているであろうに思いを馳せる。昨日も無理をさせたから、まだ起きていないかもしれない。目が覚めたときに喉が枯れているだろうから、水を持って行ってやらなくては。
急ぎの用事もなかったため、妹の様子を確認するべく自室へと足を向ける。
ジュダルに言った言葉に嘘はなかった。自分の意思で白龍の手を取って、泣きながらも玉艶へと刃を向けた。実兄と契りを交わした身ではもう、紅明のところになど行こうとも思わないだろう。何よりは、白龍を愛していると言ったのだ。錯覚でも家族愛でもない、確かな愛情。白龍にはしかいないし、には白龍しかいない。絶葬鎌で脚を斬られることすらは受け入れた。は白龍から逃げない。はどこにも行かないという確信が白龍にはあった。
もっとも、万が一のことがあれば、記憶操作を使うことも辞さないが。
ジュダルはにとって血縁ではない同じ年頃の男だ。白龍からすれば十分警戒対象に入るが、今のところジュダルはのことを白龍に関する面白い観察対象か何かとして捉えているだけのようだった。を妹ちゃんと呼び度々構いに行ってはいるものの、攻撃魔法などの人を傷つける術を碌に持たず、進んで行使したがらないは、戦闘狂のジュダルを強く惹きつけはしないようで白龍は内心胸を撫で下ろしていた。マギであるジュダルにはの人間魔力炉としての能力は大して魅力的なものではないことも大きい。どちらかといえばジュダルはを白龍の所有物のようにみなしていた。
ただ、白龍の関係者としてのはジュダルにとって興味深いものであるようで、ジュダルはよくこうして白龍にのことを尋ねてくる。おそらくにも、同じように白龍のことを尋ねているのだろう。
いまいち何を考えているのか解りづらいジュダルではあるが、に余計なことを吹き込まないのであれば、と白龍はジュダルの行動を許容していた。だって、遠慮なく話せる相手が必要だろう。
そんなことを考えながら、途中で調達した水差しを持って自室へと入る。
予想通り寝台で穏やかな寝息を立てているの傍へと歩み寄ると、そっと寝台の端へと腰掛けた。の安らかな寝顔を見つめる白龍の顔にも、穏やかな笑みが浮かぶ。白龍の気配を感じたのか、が小さく身じろいだ。
「ぅ……ん、りゅうにいさま……?」
「起こしたか、すまないな」
「いえ……」
寝起きなため舌足らずなの声は、やはり掠れていて。
白龍はゆっくりと起き上がるに手を貸してやり、水を器へと注ぐとへ差し出した。
「飲めるか?」
「はい……ありがとうございます、龍兄様」
器を受け取って、こくこくと水を嚥下していく白い喉に、じんわりと愛しさが胸の内に広がっていく。
ここにがいる。白龍だけの、愛しい愛しい妹。他の誰のものでもない、が自分で白龍を選んだのだ。その事実を噛みしめて、言いようもない幸福を感じる。
空になった器に水を注ぎ足してやりながら、白龍は思わず問うた。
「なあ、。俺のことを愛しているか」
シンドリアへと行く船の上で、に同じようなことを訊いたことがある。陳腐な問いだと自嘲したものだが、今はそれすらも愛おしい。
「はい、私は龍兄様を愛してます」
『はい、私は龍兄様が大好きです!』
はにかみながら薄暗い部屋の中で咲いた笑顔は、あの時陽光を受けて輝いていた笑顔と遜色なく愛らしいもので。ひとつだけ、あの時と変わっているものがあるとすれば。
(もう、兄上の目には見えないな)
もうの目は白雄のそれとは似ても似つかない。その目には確かに白龍への慕情が宿っていた。もうは復讐の標ではない。白龍だけの、たったひとつの新しい真っ白な道標。
こみ上げる愛しさを抱えながら、白龍はを抱き寄せて。俺も愛している、とに告げた。
150605