昼下がり、暇を持て余していたジュダルは右脚を引き摺りながら歩くを見つけて、その首根っこを捕まえた。
「どこ行くんだよ妹ちゃん、あんま出歩くなって白龍に言われてなかったか?」
「あ、神官殿……」
「俺もう神官じゃねーけど、たぶん」
 そういやその辺どうなってるんだろな、とを子猫か何かのようにぷらーんと持ち上げたまま、ジュダルは考え込む。地味に息苦しい体勢で持ち上げられてしまったままのは下ろしてほしいとは思うものの、小さい頃から目の前の人物がまともに自分の頼みを聞いてくれた方が少ないことや、下手に抗議して騒ぎになって白龍を呼ばれても困ることを考えて、おとなしく吊られたままでいた。願わくばこのまま思考がそれてどこかに行ってくれはしないかと思うものの、まあさすがにそれは無理というもので。
「で、何してたんだよ妹ちゃん?」
「……その、本を」
「本?」
「書庫から借りた本を戻しに行こうと」
「そんなの使用人に頼めばいいだろ?」
「でも少しでも片足で歩くのに慣れておかないと、いざという時に動けなくて龍兄様に何かあったら困ります」
「ならそもそもなんで白龍に脚やったんだよ?」
「?」
「動けなくて困るなら、脚斬られるのやだって言えばよかっただろ?」
「??」
 本気でジュダルの問いかけの意味がわかっていないらしいが首を傾げた。その額を小突いて、ジュダルはの青い瞳をのぞき込む。
「白龍に脚斬られなかったら、不自由にならずに済んだんだろ?」
「ええと、脚を斬られて不自由になるのが嫌だったわけではないです。龍兄様が欲しいと思うものを差し出すのと、差し出したことで不自由を感じるのは、別のことで、」
「はあ?」
「龍兄様が望むことを叶えることと、それによって生じた不都合で龍兄様に迷惑をかけないようにすることは、別の問題なんです」
「……ふーん?」
 破綻しているのか、整合性がとれているのかよくわからない論理にジュダルは首を傾げる。その肩越しに見えた人物に、そしてその渋面に、はきゅっと息を呑んだ。
「どうした妹ちゃん、」
「何をしてるジュダル、を離せ。も、どうして部屋の外に出ているんだ」
「……人がせっかく親切に妹ちゃん保護してやったのに、そう睨むなよ白龍」
「ご、めんなさい龍兄様……」
 つかつかと歩み寄ってきた白龍が、苦い顔のままを抱き上げてジュダルの手から可愛い妹を解放する。
「何かあれば周りの者を使えと言っただろう。俺は鍵をかけて閉じ込めるような真似はしたくないんだ、。軟禁や監禁は嫌だろう?」
「えっ白龍、お前今の状況軟禁じゃねーと思ってんの?」
「本人が自主的に部屋にいてくれる内は軟禁じゃない」
「お前それ脅しじゃね?」
 真顔の白龍に若干引いた様子を見せながら、ジュダルがのフォローに回る。
「いざって時に動けなくてお前に迷惑かかるのやだから歩く練習してたらしいぜ、大目に見てやれよ」
「そういう事態にならないようにおとなしく部屋にいてほしいんだ」
「部屋に暗殺者でも来たらどーすんだよ。言っとくけど今のお前の最大の弱点は妹ちゃんだぜ? 誘拐でもされたらひとたまりもねーだろ」
「……一応護衛はつけているが、そうだな、、それなら俺の傍にいるか。暗殺目的にしろ誘拐目的にしろ俺のところにまとめて来てくれた方が楽でいい」
「むしろ何で最初からそうしねーんだよ」
「不躾な視線に晒したくないのと……」
 ジュダルの疑問に、白龍は言葉を切って抱えたに視線を落とす。はその視線に頬を赤く染めて目を逸らした。
「……一人でも歩けるのに、移動が全部抱っこなんです。お忙しいのに、余計な手間をおかけするのは」
「そういうわけで、抱えて歩くのを嫌がるんだ」
「いやお前が抱っこやめればいい話じゃん」
「危ないだろう」
「私を抱えていたら、咄嗟に応戦できなくてそっちの方が危ないと思うのですが……」
「他のやつに運ばせるとかは?」
「俺以外の人間にを預けるのが我慢ならない」
「我が儘だなおい」
 堂々巡りの議論は、の必死の説得によりが自分の足で歩くことに、ものすごく渋々ながらといった顔で白龍が頷いたことで一応の決着を見せる。
「でも手は繋ぐんだな」
「これ以上は譲歩できない」
「……龍兄様はもう皇帝陛下なのに、私なんかにこうも構っていては外聞に差し障ります」
 俯いてぽつりとこぼしたの言葉が、抱っこを嫌がったりするの根本的な動機なのだろう。マグノシュタットへと発つまでは内密にしていたと白龍の関係だったが、玉艶を殺して帝位に就いてから白龍は憚りなく妹と同衾するようになったため、母殺しの上近親姦まで犯している白龍を白眼視する者も少なくない。
は白龍の求めに否を言うことはないし、自分自身に向けられる侮蔑の視線にならば幾らでも耐えられるが、白龍が皇帝として立つ上で不都合が出るような醜聞になるならばそれは避けたかった。にとって白龍は最愛の存在だが、やはり実兄との関係というものに後ろ暗いものを感じずにいられるほど彼女の倫理は破綻していない。いっそ妾のような立場でも構わないから、自分は影へと身を引くべきではないかとは思っていた。しかし、白龍は当然のようにの言葉に首を傾げる。
「未来の皇后に愛を示して何が悪い」
「こっ……!?」
「ずっと一緒にいると言っただろう?」
「い、言いました……」
 未だにを、実妹を本気で正妃に迎える気でいたらしい白龍には眩暈がした。白龍の愛情を疑っていたわけではないが、一貫して変わらないその姿勢に、道徳や常識に未だに囚われている自分の方がおかしいような気になってくる。そも、彼女にとってはいつだって白龍の言葉こそが正しいものであるのだが、それでも自分の感覚と白龍の言葉があまりに乖離していれば即刻頷くのにも迷いが出るというもので。
「常識なんて国や時代で変わる。紅炎たちだって占領した国を作り変えて煌そのものに変えていただろう。それと然して変わらない。当たり前みたいに兄妹婚をすれば、それが当たり前になるんだ」
「うわーすっげー屁理屈」
 と白龍のやり取りを楽しそうに眺めていたジュダルが、棒読みで白龍を非難した。
「だがお前はそういう屁理屈が良いんだろう、ジュダル」
「まあな。何もかもぶち壊すって王サマなんだからよ、タブーくらい軽くぶっ壊してみせてくれねーと」
 或いは「ぶっ壊れている」のはこの兄妹の関係か、とジュダルはにやにや笑う。
「だからお前もあんまりちっさいこと気にすんなよ、妹ちゃん――いや、王妃サマ?」
「うぅ……」
 先程までは一応の味方だったジュダルまでがを言いくるめに回ったため、は俯いて弱った声を出す。こうなれば自分が生まれてこの方抱えてきた常識に別れを告げなければならないようだ、とは諦めにも似た心情を抱く。にとって絶対である白龍がの常識と反対にあることを言い出した時点でが自身の常識にさよならすることは必然であったのだが、決して必然が全き正答とは限らず、それ故に懊悩するのもまた必然である。
「……そういえば、昔お前が白雄兄上に求婚したこともあったな、
「ぶっ、まじかよ妹ちゃん」
「龍兄様……!!」
 黒歴史、というには微笑ましいものである。よくある幼少時代の憧憬だ。しかしそれを持ち出された当人にしては穴を掘って埋まりたいくらいには恥ずかしいものであるわけで。
「ここにいるジュダルだってあの女に『結婚しよう玉艶』なんて言った過去もある。身内に好意を抱くのは何らおかしいことではないさ」
「おい白龍てめぇ何人の過去バラしてんだよ。なあ妹ちゃん、こいつにもそーいうのねーの?」
「…………」
「俺は昔から一筋だからな。子供の頃もにならいくらでも求婚しているが、お前にとっては別段面白くもない話だろう」
 付け加えて言うならその時の白龍は大抵に振られて泣いていたわけだが、今更白龍の泣き虫のことなどジュダルにとってあげつらう対象にすらならないわけで。
「なあ、。俺に求婚してくれないか、兄上に言ったみたいに」
「……花冠はありませんが、それでもよければ、『私と結婚してください』」
「そういえば花の指輪もないな……それでも『俺で良いのか、』」
「『龍兄様がいいんです』」
「『なら、は将来俺の妃だな』」
「……『はい、私は龍兄様の妃になります』」
「なんだよお前ら、さっきまで揉めてたかと思えばいちゃつきやがって」
 昔白雄とした約束を、相手と言葉を変えて繰り返す。口約束で終わらせはしない、と白龍はと繋いだ手の指を絡めた。も、恥じらいながらもきゅっと絡んだ指に力を込める。白龍の言うように白龍に嫁げたら、と白龍への思いを自覚してから何度も思った。きっとそれはどんなに幸せなことだろう、と思いながらも何かが違う、きっといけないことだ、と首を横に振って。けれどもう頷いていいのだと、目の前の彼らは言う。
(そういえば、)
 あの日の自分は結局何に違和感を覚えていたのだろうか、とは首を傾げる。何かが違うと、白龍の言葉に頷くことを躊躇わせていた違和感は結局何だったのだろう。今となってはもう残滓さえも掴めないそれの行方が気にかかったが、疎外感を感じて不機嫌になったジュダルに額を弾かれたことと、それに怒った白龍がジュダルを小突いて始まった小競り合いを止めるのに慌てて裾を引っ掛けて転んでしまったことで、その疑問は彼方へと押しやられてしまった。その後再び白龍から抱っこ移動案が出されたのは言うまでもない。
 
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