「そういえば、龍兄様、髪の分け目変えられたんですね」
夜も更けて、寝台の上でじゃれるようにの髪を弄っていた白龍に、照れながらもやり返そうとしてその髪に指を通したはぽつりと呟いた。以前は真ん中分けだった前髪は、左分けになっている。だからどうというわけでもないが、改めて見てみると何だか新鮮で、はじっと白龍の顔を見つめた。
「ああ、似合わないか?」
「いえ、格好いいと思います……ただ、」
「ただ?」
「……雄兄様、みたいだなあって」
が僅かに言い淀んだのを促して、その先の答えを得た白龍はにっこりと笑った。自身よく白雄と似ていると言われていたが、こうして見るとむしろ白龍の方が白雄によく似ている。目元や顔のつくりが似通っていても、やはり性差や髪型による違いは大きいのだろう。
「……兄上を意識したと言ったら、笑うか?」
「笑いません、でも、以前の龍兄様も好きでした」
本心を口にすれば、返ってきたのは息もできないような強い抱擁だった。そのまま押し倒され、夜着の帯を解かれる。
「……ありがとう、」
どうして礼を言われたのかが解らず、は内心首を傾げる。白龍は白雄のようになりたかったのだろうか。白雄はとても立派な人間だったから。白龍の憧れだったから。それを笑わないと言ったに礼を言うのは理解できる。けれども、が言ったのはそれだけではなくて。
(……あ、)
以前の白龍も、つまりは白雄と重ならない白龍も好きだと言ったのだ。偉大な長兄への憧れの奥で震えている白龍自身の心。やはり兄はまだたくさんの迷いを抱えているのだと思う。その迷いに寄り添っていたいと、は白龍の髪をそっと指で梳く。重力に従って落ちるの細い指を掴んで、白龍は笑った。
「明日はお墓参りに行こう、。俺たちだけの知っている、兄上たちの墓に。もうすぐ仇の全てを討つと、報告に行かなければな」
「……はい、龍兄様」
子供の頃白雄の本を埋めてから、白龍とは度々他に誰も知らない小さな墓を訪れて彼らの冥福を祈っていた。ある時は花を摘んで、ある時は姉の作った手料理を持って、ある時は自分たちで作ったお菓子を持って。辛いことがあった時、嬉しいことがあった時。が初めて戦場に行くことになった時も、シンドリアへの留学が決まった時も、兄の墓で地面に語りかけた。きっとルフの流れの中で見守っていてくれると信じた。
「兄上たちも喜んでくださる、この国に巣食っていた仇敵をまずは一人討ち果たしたんだ」
仇をとれ、と白龍に復讐を託した白雄。墓前に供える話としては、きっと彼らが何よりも待ち望んだものだろう。そうであると、信じたい。けれど。
「簒奪者は全てこの手で討ち取ると、改めて誓ってこなければな」
血腥い誓いを掲げて、果たして彼らは安らかに眠れるのだろうか。兄や父が望んだのはこんな未来を背負った自分たちの姿だったのだろうか。一瞬脳裏を過ぎった疑問は、すぐにかき消される。託されたのは白龍だ。白龍がそうだと言うのなら、そうであるに違いない。例え白雄たちの望みから離れてしまっていたとしても、今は白龍の望みだけがの全てだ。
「、お前を必ず幸せにする。それを兄上たちにも誓ってくる」
「私も……龍兄様を幸せにします、お兄様たちに誓って」
白龍の手を握り返してそう言えば、白龍はふっと目を細めた。
「お前がいてくれるだけで俺は幸せだ」
「私だって、」
白龍がいてくれるだけでいいのだ、本当は。皇帝だとか皇妃だとか、そんなのはどうだって良くて。兄の復讐だって、白龍自身もうその必要は無いと解っているはずなのだ。ただ傍にいてくれれば、それで。
けれど、例え幸せに繋がらないことが解っていても、戦いを望み続ける心が白龍の内にある。と生きる幸せと、世界と戦い続ける生の両方を求めて足掻く白龍に、そんなことが言えるはずもなくて。それでも自分の存在が、傷付き進む白龍に幸せをもたらすことができるのなら、だからは間違いも正解も、全てを投げ打って白龍だけを取る。お互いがいればそれでいいと、言葉は同じでもと白龍の持つ意味はあまりに違っていた。
「……龍兄様、」
「なんだ?」
「幸せに、なりましょう」
縋るように言うに、白龍は笑顔のままで答える。肌蹴させた胸元に手を這わせ、その鼓動を確かめた。
「もうとっくに幸せだ、」
幾度となく行為を重ね、疲れ切って眠るを腕の中に抱き寄せて、白龍はその髪を梳く。この華奢な体がもっとずっと小さかった頃、妹が長兄に抱いていた憧憬を白龍は鮮明に覚えていた。先日冗談交じりに言わせた求婚の言葉だって、未だ白龍の心に残る当時の嫉妬心によるものだ。
「を幸せにするのは、俺だけでいいんです。俺が幸せにします」
柔らかい白い肌。長く伸びた艶やかな髪。体躯は華奢ではあるが女性らしく丸みを帯びて、胸と腰はすとんとしていた幼少の頃とは違い確かな膨らみとくびれがある。白雄たちの知ることのないを腕の中に閉じ込めて、白龍はその首筋に顔を埋め新しく鬱血痕を残す。身じろいだの髪の感触を楽しむように何度も繰り返し梳いた。
「は俺のことを愛してるんですよ、兄上。きっとあなたは絶対に得られなかった感情だ」
口元に笑みがこみ上げてくる。あんなに白雄を慕っていただって、結局いつも最後には白龍の手に縋っていたのだ。威圧感のある紅炎や老将軍たちと会えば、隠れたのは大きな白雄の背中ではなく自身とさして変わらない背丈の白龍の陰だった。憧れは決して恋慕の情にはならない。子供の憧憬より綺麗な感情を、白龍は知らない。綺麗過ぎて何も息づくことのない感情なのだ、憧れというものは。
純粋無垢に育ててきた妹の心を罪悪感で満たして引きずり出し、その情に付け込んで体を暴いて、泣いて苦悩するを母親を殺す道に立たせ、その死を眼前に見せつけて、もう縋れるのは自分以外にいないのだと刷り込み、懇願に隠したエゴで片脚まで奪って。掴んだ手を離されないのをいいことに、自身の抱えていた愛欲の底まで引きずり込んだ。
きれいな子供の憧憬はもう、の中では白雄の思い出と共に葬られたことだろう。尊敬する偉大な兄。白龍のこの復讐の生を踏み出させた人間。そのことを恨んでなどいない。ただ、の心を奪うものは誰であってもその点においては敵視せざるを得なかった。死んだ人間だとしても。否、もうどこにもいない人間だからこそ、の心にある憧憬はどこまでも美しくあり続けたのだ。
「羨ましいでしょう、兄上。はこんなに綺麗になりました。可愛い小さなは俺のものです。ぐちゃぐちゃにしてこんなに汚して、ようやく俺だけのものになってくれました。俺は幸せです」
の体中に残る赤い痕も、未だに火照っている温かな肌も、全部が白龍がを汚した痕跡だ。それが嬉しくて、白龍は眠るの額に口付けを落とす。
明日、の心に残る最後の憧憬を、冷たい土の下に葬りに行こう。もうそれはに必要無い。白龍を愛したに、それは要らない。
「おやすみなさい、兄上」
は俺が貰っていきます。凄艶な笑みを浮かべて、の閉ざされた瞼越しにルフの彼方にいるだろう兄へと語りかける。と自分以外の関係が断ち切れていくのを見るのが、ひどく愉快で仕方無かった。
150811