「白龍ー、どうにもチビのマギとそいつの王様がこっちに向かってるみたいだぜ」
どうするぅ? と首を傾げたジュダルに、白龍は顎に手を当てて思案した。白龍の隣に座っていたが、ジュダルの言葉の指す人物が誰であるのか悟ってハッと息を呑む。アリババとアラジンが、来ているのだ。きっと白龍と紅炎の衝突を止めようとして来るに違いない、とは拳を握り締める。弾劾されることへの少しの不安と、それでももしかしたら兄が友人の言葉を聞いて明るい場所へと戻ってくれるかもしれない可能性に、の心はぐらぐらと揺れた。
「怖いのか、」
大丈夫、いきなり戦いになどはならないから、との頭を撫でた白龍に、の心臓はどくんと跳ねる。そう、白龍は、連れ戻されることなど望んでいない。もうそれでいいと、たとえ間違っていても白龍が笑ってくれるのならそれでいいと、そう決めたのだ。アリババに願ったことを少しだけ後悔する。白龍の未来が救われる道があるかもしれないと思ってしまえば、また迷ってしまいそうだった。
「とりあえず、あちらが話をする気なら聞くだけ聞こう。一応こちらと手を組みにやって来た可能性もある」
「ふーん。で、そうじゃなかったら?」
「記憶操作でこちらの手駒にする。或いは戦う。おそらくこっちの可能性の方が高いな」
「そっちの方が楽しそうで俺はいいけどな」
淡々とアリババたちとの戦いの可能性を口にする白龍の表情に、握り締めたの拳がぷるぷると震えた。アリババもアラジンも、にとって大切な人だ。アリババは強く明るい、尊敬する人で、アラジンは天真爛漫な兄弟子で。ふたりに何かあったら、友達になってくれたモルジアナもきっと絶対にを許してくれないだろう。それでもこの恐怖は兄に対する裏切りだと必死に押し込める。覚悟していたことだ。白龍以外の大切な人たち全てを傷付けてでも、白龍だけの傍にいるとその手を取った。今更後戻りはできない。したくない。
「妹ちゃんはどうすんだ?」
「戦いになれば危険だが、下手に部屋にいても却って巻き添えを食らうかもしれない。連れて行くさ」
「龍兄様……!」
今度は置いていかれないことに、はほっとして安堵の表情を浮かべる。自分の極大魔法やジュダルの魔法の威力を考えれば、状況のわからない部屋に閉じ込めておくより近くで対処できた方がいいと白龍はを抱え上げた。
「何があっても俺が守るから、」
やって来たアリババとアラジンは、意外とあっさり白龍との話し合いが叶ったことに拍子抜けしていた。白龍と共に庭園へ出て行ったアリババを見送って、残されたアラジンはジュダルとと共にその様子を見守る。銀色の長い杖に横座りになって浮かぶに、アラジンは問いかけた。
「お姉さん、杖を使うようになったのかい?」
杖がなくとも魔法を行使できていたがわざわざ杖を持ったことに疑問を抱く。が、の答えを聞いてアラジンはそれを後悔した。
「片脚が不自由になったので、少しバランスが取りづらくて。空中でも咄嗟に身動きしづらいので、杖に乗ってた方が楽なんです」
「……ごめんよ、お姉さん」
あの後レームの船で新しく入った情報で、が右脚を玉艶との戦いで失ったと聞いた。白龍のように義足になったのか、それとも動かせなくなるような障害が残ったのかは長いスカート状の衣で脚が隠れているためほとんど見えないが、なんでもないように脚のことを語るに申し訳なくなる。気にしないでください、と笑ったに、アラジンはそれ以上の変化について考えるのをやめてアリババと白龍に思考を移してしまったから、欠損した体の部位まで治せるが治せない脚についても、ジュダルがの背後でニヤニヤと笑っていたことも、がすぐに暗い顔をして俯いてしまったことも、気付かずにいた。
紅炎を討つ、バルバッドを攻め滅ぼすと言った白龍に、アリババは言葉を重ねて説得を試みる。白龍はそんな人間ではないと信じていた。きっとこれはの望みでもあると。
「お前、姉さんのことはどうするんだよ? だって、戦争なんかしたくないはずだろ!?」
「…………」
「お前、姉さんが大切だって言ってただろ……のことだってすごく大切にしてるのを俺は見てきた!」
戦争になれば傷付くのはそういった白龍の大切な人たちであることを、仲間や国民が傷付くことを説いてアリババは白龍を止めようとする。
「紅炎が煌の軍隊を集めているなら、お前たちの姉さんだってバルバッドに呼び寄せられるんじゃねーのか? にとっても大切な姉さんなんだろ!? は母さんとの戦いで片脚を無くしたのに、それ以上を傷付けるのか、白龍!?」
「…………なるほど、すごいな」
「……え?」
「そうか、の右脚は玉艶がやったことになっているのか。青龍か黒彪か知らないが……余計なことをする」
アリババの存在を無視して呟いた白龍に、戸惑いを浮かべるアリババ。顔を上げてアリババを見据えた白龍は、笑顔を浮かべた。
「の脚を斬ったのは俺ですよ、アリババ殿」
「なっ、どういうことだよ!?」
「必要だったからそうしたまでのことです。それにあなたはもうひとつ思い違いをしている。確かにはあなたや紅炎との戦争を進んで望みはしませんが……それでも俺が望めば、もそれを望む」
「……お前、何を」
いっそ悟ったような笑顔で、白龍は饒舌に語り続ける。アリババはただ、白龍の言葉に戸惑っていた。
「確かに今、姉と妹のことを出すのが俺には効果的だ。少し前の俺ならば、あなたの手を取っていたでしょう。あなたは、他人のそういうものを、瞬時に見抜けるんですね……」
「な……何言ってんだ? 白龍……!?」
「アリババ殿……今、わかりました。あなたという人のことが…………」
アリババの出した白瑛とのことが、白龍にとっては決定的な引金となった。そこだけは触れて欲しくない、白龍の逆鱗であったのに。
「あなたは……さも、相手の幸せを願っているかのような口ぶりで他人に近づき……その人の、触れてほしくない心の一番深い大切な部分を……」
復讐を終えた今、の存在が白龍の自我を支える柱であったのに、それをアリババはのためと言って砕こうとしたのだ。
「暴き出し、えぐり出し、あなたが信じる『正しい世界』を実現させるためにならば……」
白龍の伸ばした手が、ドンと鈍くアリババの胸を打つ。
「なんでも利用する、反吐が出るほどの偽善者ですね!」
それまでの表情を消し去り冷たい目で吐き捨てた白龍に、アリババは絶句する。白龍の言葉に打ちのめされて言葉を失うアリババに対して白龍は嘲笑を浮かべた。
「俺と姉は確執を抱えている。触れてほしくはなかったな。のことは尚更です。何も知らないあなたが、についてわかったような口をきくだけで虫酸が走る。は俺だけのです。のことは俺だけがわかっていればいい。俺の前であなたがの名前を出さないでください」
「待てよ、俺はに……!」
「の名前を呼ぶなと言ったでしょう。俺はとの関係に誰の理解も求めない。について誰に触れられたくもない。俺にとって唯一無二の愛しい妹の存在を、土足で踏み荒らされる俺の気持ちがわかりますか?」
白龍を止めて欲しいと願ったのは自身であると、言う前に白龍が血走った目でアリババを睨み付けた。きっとアリババが今との約束を口にしたところで、白龍は信じないのだろう。
「でもあなたはいいんでしょう? 世界のため、バルバッドのためになるのならば……俺がどんな思いをしようとね」
「……………白龍……」
アリババの正しさで皆自分の考えを見失ってしまうと、モルジアナもアラジンもアリババに騙されていると、白龍は言う。世界にひとつの正しさなどないと、人間の数だけ正しい道があっていいと、事実は白龍の正しさを認めてその手を取ったのだと。
「しかし……あなたの光は眩しすぎる……俺も手を取りそうになってしまった。あなたは、俺が目指す世界にとって一番生きてちゃいけない人間なんだ。だから……」
白龍の衣に隠されていた左肩の金属器が、その八芒星を光らせた。
「だから、死んでください! アリババ殿!!」
「「「!!!」」」
白龍の金属器が光ったのを見て、アラジンたちはそれぞれに反応する。アラジンは黒いルフを見てすぐにその場から飛び立ち、ジュダルはその後をニヤニヤとした表情のまま追う。
「龍兄様……」
は、一瞬その場で逡巡した。こうなればもう戦うしかないのだと、解っていたからすぐに二人の後を追う。白龍の攻撃から逃れ彼が堕転したことを知った二人が白龍に向けた目に、の胸がズキンと痛んだ。
(どうかそんな目で、龍兄様のことを見ないで)
「だってお前ら嫌いだろ!? 堕転した王の器は」
ジュダルが笑う隣で黒いルフを舞い上がらせる白龍の横に、も降りる。信じられないような目をして三人を見るアリババとアラジンに、はぽつりと呟いた。
「……ごめんなさい、アリババ殿、アラジン殿」
ちら、と白龍がを見上げる。それに笑顔を返したに、白龍もまた微笑んだ。ごめんなさいと心の内で繰り返す。の言葉は黒いルフの鳴き声にかき消され、二人に届くことはなかった。
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