「随分ちっさくなったな、妹ちゃん」
ジュダルの故郷、山奥の寒村で。連れてきたレームの兵士たちやネルヴァの目につかないところで、ジュダルはこっそりと髪に隠していたのルフを掌に乗せた。ピィ、と応えるような鳴き声はしたが、に意識があってそう応えているのかはわからない。物心ついたときから常に黒ルフに愛されて生きてきたジュダルには、脆そうな白ルフが手のひらにあるのは落ち着かない気分だった。
「変だよな、俺たち。全然噛み合わねーのに」
対極にある、白と黒。は何色にも侵されない純白で、ジュダルは何色にも染まらない漆黒。性格も目的も、良しとするものも受け入れ難いものも、何もかもが噛み合わない。白龍という存在を通して初めて繋がった、数奇な縁。
ジュダルとは友人ではない。恋人ではない。家族ではない。仲間と言うにも遠く、知人と言うには近く。互いは理解し難く。在り方も、交わらない。それでも今、こんなに近くにいて魂は触れ合っている。
強いて言うなら、共犯者だったのだろう。共に、世界に背いた白龍の隣に立った。理解者として、共に歩む者として。三人とも、歩調も速度もバラバラなのに、不思議と離れることなく近く在った。その距離は、きっと得がたいものだった。
はジュダルのように怒りを抱けない。白龍の憎悪を、分かち合うことができない。ジュダルはの抱くような慈愛を知らない。白龍の哀傷を、癒せない。ジュダルとはどこまで行っても違う人間でしかなかったから、白龍を必要とし、白龍に必要とされた。けれど二人とも、最後まで白龍の傍にいることができなかった。それはとジュダルの罪だ。その罪が既に許されているとしても、心の中に同じ後悔を抱えて生きていくのだろう。
「……、ルフになっても間抜けヅラだな」
妹のようになど、思ったことはない。幼馴染というには、自分は少しばかりを虐めすぎたかもしれない。は弱くて泣き虫で、観察対象として面白いと思ったことはあれど、紅炎や紅玉たち、まして白龍のように、マギとしての本能を疼かせる王の器への焦がれるような想いは欠片も抱いたことがなかった。これからも、そんな気持ちは抱かないと断言できる。壊すばかりのジュダルは、治すばかりのとは永遠に解り合えないし、弱いは、強いジュダルには永劫に追いつけないだろう。白龍の復讐を受け入れたことだけが、二人の唯一の共通点だった。白でもあり黒ともいえる白龍と、黒白の対極にいる二人。解り合えなくとも、手を取り合うことはなくとも、ただ、同じ背中に従った。同じ瞳に、焦がれた。
これからもきっと、友人でもなく、恋人でもなく、家族でもなく。仲間とも知人ともいえない距離感で、それでも白龍の隣に立つ者同士、同じ場所にいるのだろう。
「白龍ぜってー大泣きしてめんどくせぇから、が責任もって泣き止ませろよ」
遠くに見えた、二人が王と仰ぐひとの姿。苦笑したジュダルは、白いルフにデコピンをする。ピィ、と抗議めいた鳴き声に、ジュダルは片眉を上げた。
「、だけはきっと、何があっても守ってあげるからね。私がきっと、守り抜いてみせるよ」
幾重にも魔法で守られ、最早シンドバッドにすら入れない部屋の中。眠るの空っぽの体に、彼女は寄り添っていた。に相対していると、自分が『アルバ』なのか『玉艶』なのか時折わからなくなる。を産んだのはアルバである玉艶だ。アルバが利用した、哀れな皇后ではない。それでも、の前では玉艶と名乗っていたかった。に対しては、母親という繋がりに縋りたかった。
「大丈夫、わかるよ。声が聞こえなくとも、あの御方は『ここ』にいるものね。、可愛い小さな、貴女は私に与えられた奇跡なのよ」
の胸に掌を重ね、その心音に聴き入る。とイル・イラーの境界の認識が曖昧になった彼女の口調もまた、アルバと玉艶のそれが綯い交ぜになっていた。の鼓動の音が、『あの方』の福音そのものに感じられる。ここ最近の彼女は、シンドバッドが危惧を抱くほどにへの執着を露わにしていた。
「愛してるわ、。欠片なんかじゃないさ。君は、生ける神そのものだ」
自らの胎から産み落としたを腕に抱いた日から、彼女はを現人神として愛おしんできた。は彼女に与えられたしるし。神の恩寵、神の愛。無垢で幼い奇跡を、彼女は愛した。何もかもが欺瞞に溢れた醜い世界に産まれ落ちた、たったひとつ綺麗なもの。――ああ、愛とは斯くも美しきものなのだ。
例えるなら、冬の黎明。澄んだ空からひらりと舞い落ちてきた、脆く儚い雪の結晶。一条だけ射した、天の梯子のような光。小さく弱い、愛しく脆い白の一片を守りたくて、大切に大切に育ててきた。傷つかぬように、穢れぬように。――ああ、でも、だからこそ、その絶望で世界を終わらせたかった。
美しく、穢れなく成長したに魅入られたのは、彼女だけではなかった。その弱々しくも確かな光に魅入られて、彼女を愛した者は多くいる。白龍は、言わずもがな。愛という概念が形になったような稚い少女の心を絡め取ったのは、実兄の愛憎だった。白龍を愛し白龍に愛されて、はきっと世界を滅ぼすと思った。許し難いこの世界を、何よりも愛しい末娘が終わらせる。そんな美しい終焉を、夢見たのだ。真白の聖女が、きっと彼女を救うと、信じていた。
「、愛してるの、、愛してるんだ、可愛い小さな。私の、」
応えない、小さなからだ。彼女は自覚していないことだが、彼女の愛情もまた、を聖女たらしめた美しきものの一つだった。彼女は悍ましい魔女だ。それでも、彼女の愛は偽りなき真だった。歪でも、濁っていても、玉艶に愛されたからこそ、はでいられた。
は白龍の手で少女から女になり、白龍を愛して聖なるものから人へとなった。それでも、への愛情が褪せることはない。神の欠片でありながら人となった愛娘の、なんと可愛らしいことだろう。その愚かなまでの愛が、何よりも尊いものだった。
「大丈夫、愛してあげる。だってあなたも私を、愛してくれているものね、。お母様がずうっと傍にいるわ、」
は、玉艶を愛している。白龍の手にかかるその刹那すら、は玉艶を愛していた。母親としての体を棄てたあの瞬間、玉艶はの唇が言葉を紡ぐのを確かに見たのだ。可哀想なまでに愛することしかできない、持つ者であるが故に持たざる者でもある、歪ないきもの。
「離さないわ、。ずっとずっと、お母様が守ってあげる」
穏やかな呼吸を繰り返す唇を、そっと指でなぞる。ただ慈しむだけの接吻を、密やかに落とした。
170406