「…………」
 ぱちり、白い瞼は呆気ないほど簡単に開いた。永く焦がれた愛しい青が、幾度か瞬きを繰り返す。
、」
 小さな、白い掌。柔らかくて優しい手を握り締めて、震える声でその名前を呼んだ。

 白龍に焦点を定めた瞳が、大きく見開かれる。そして、ゆっくりと輪郭が細められて、藍色が涙に揺らいで。
ああ、駄目だ。全てをこの目に焼き付けたいのに、溢れる温かい涙が視界を揺らがせる。ぼやける視界の中で、の瞳は胸が痛くなるほどの歓びを溢れさせて、幸福の色に滲んだ。
「りゅう、にいさま」
 少し掠れた、舌足らずな寝起きの声が白龍を呼ぶ。ぼろっと自制もなくこぼれ落ちた涙が、の頬に落ちた。
「龍兄様……!」
!」
 弱々しく身を起こそうとするの動きがもどかしく、上体に腕を回して白龍はを思いっ切り抱き締める。目を開けてくれた、名前を呼んでくれた。応えてくれた。ああ、は――生きている。
「おかえり、おかえり、ありがとう、……!」
「ただいま、かえりました……龍兄様、」
 華奢な腕が、白龍の背中に回る。重なった胸から伝わる鼓動は、歓びに早鐘を打っていた。きっと白龍も同じだ。だってこんなに嬉しくて、幸せで。
「ごめんなさい、龍兄様、ごめんなさい、」
「いい、いいんだ、よく戻ってきてくれた……本当に、すまなかった……!!」
 涙で顔をぐちゃぐちゃにして、みっともない顔を互いに晒しながらも、それでも幸せだった。情けない笑顔を浮かべて、互いの存在を確かめるように抱きしめ合った。一度は失われた、尊いぬくもり。それが今、自分の隣にある。
「会いたかった、……俺を、許してくれるか」
「はい、龍兄様……私も、許されますか。今までの、過ちを」
 白龍に、自分を殺させたこと。過ちと知っていてなお、白龍を止めなかったこと。白雄と白蓮の死の尊厳を、侵したこと。かつて断罪を求めていた幼い瞳は、今は確かな強さを宿して許しを願っていた。
「ああ、。互いに許し合って、共に過ちを背負って、一緒に生きよう。今度こそ、ずっと一緒だ」
 白龍が、に花を差し出す。その花は、かつてが未来を願って蒔いた種。白龍が咲かせてくれていたのだと、は涙に濡れた顔で微笑んでその花を受け取った。
「ありがとうございます、龍兄様……私、本当にしたかったことが見つかったんです」
「俺も、ずっとお前の本当の願いを探していた。お前の描いた希望と、同じなら良いんだが」
「きっと同じです、龍兄様。私、龍兄様と家族になりたいんです。新しい家族を、新しい未来を、龍兄様と一緒に作っていきたい……そう、やっとわかりました」
 花を胸に抱いて、は眩しいほどの笑顔を浮かべる。その瞳に宿るのは、確かな愛情。白龍を一方的に受け入れるだけではない、自身から生まれた願い。過去のやり直しなど要らない。未来はひとつひとつ、自分の手で積み重ねていく。どこまでも綺麗で、けれど確かな強さを宿した想いに、白龍は花を持ったの両手を自らの手で包み込んだ。
「良かった、俺も……の願いがそうであればいいと、願っていた。と、新しい形で家族になりたい。結婚してくれるか、
「はい、龍兄様。家族に、なりましょう」
 これで一体何回目の求婚だろうか。何だか可笑しくて、二人で手を握り合ったままクスクスと笑い合う。負い目も、白雄への対抗意識も今は関係ない。ただ愛しくて願い、愛しくて応えた。単純なようでいて、ずっとずっと遠かった。でも、きっとこれでいい。呆れるほどの遠回りをして、人は生きていくのだろう。何が正解か確たる答えも無く、定められた道もない。だからきっと、生きることは愛しいのだ。
「……あの、そろそろ邪魔をしても良いですか」
 遠慮がちにかけられた声に、はびくっと肩を跳ねさせてそちらを見る。思いっ切り周りを忘れて白龍と愛情を交わしあっていたが、そういえばここは。見慣れた自分の部屋に、並ぶ三人。気まずそうな紅明と、目を輝かせた紅玉。そして、ニヤニヤと笑うジュダル。ぼふっと真っ赤になってワタワタ慌て出したは本当に気付かなかったのだろうが、白龍は解っていて無視をしていたな、と紅明は苦い顔をした。
「結婚式ね、わかったわぁ! 式の準備は任せてちょうだい!」
「見せつけやがってよぉ、。ここまで連れてきてやった俺への礼は無しかよ?」
 頬を上気させて駆け寄ってくる紅玉と、ニヤニヤ笑いながら近寄ってくるジュダル。ジュダルの言葉にふと違和感を感じて、はまじまじとジュダルを見つめた。
「どうしたよ、?」
 怪訝そうに、ジュダルが首を傾げる。は、ぽかんと口を開けた。名前を呼ばれた、ただそれだけのことなのに、何だかひどく珍しいものを見た気がする。あまりに当たり前に「白龍の妹」から自身の名前へと呼び方を変えたジュダルに、は頬を緩めて笑った。
「……いえ、何でもないです。ありがとうございます、ジュダルさん」
「なんだよ、ニヤニヤして気持ち悪ぃな……でっ!?」
「今、に、何と言った?」
「あーもーうるせぇなこのシスコン! 言葉のあやってやつだろ!」
「俺の可愛いに気持ち悪いなどと……他に言うことがあるだろう!」
「他ぁ? ああ、胸でかくなったとか?」
「なっ……!!」
 ジュダルに掴みかかっていた白龍の顔が、赤く染まる。も予想外の発言に真っ赤になって固まった。壊れかけた機械のようなぎこちない動きで、自分の胸元を見る。
「ずいぶん育ったよなー、寝てる間の栄養全部胸に行ったんじゃねえの? 意外と将来有望なタイプだったんだな」
「な、な……!」
「良かったな、白龍! 可愛い妹ちゃんが巨乳になって」
 ぱくぱくと口を開閉させているの胸部は、確かに白瑛に劣らないほど豊かに膨らんでいる。胸の貧相さはも気にしていたことであるし、成長は素直に喜ぶべきなのだろうが、どうにも今このタイミングでジュダルに指摘されると喜ぶに喜べない。調子に乗ってむにむにと胸をつつくジュダルの指を、へし折る勢いでガッと白龍が掴んだ。
「もう一度葬式を挙げられたいか? ジュダル」
 こめかみに血管を浮き立たせて、白龍はジュダルを引き摺っていく。指がもげると喚くジュダルの声が遠くなっていって、やがて断末魔のような叫び声が遠くに聞こえた。部屋に残されたと紅玉たちの間に、沈黙が落ちる。
「…………」
 ゆっくりと寝台から降りたは、紅玉と紅明に深々と頭を下げた。慌て出す二人に、は口を開く。
「ごめんなさい、お義兄様、お義姉様。本当に、申し訳ありませんでした」
 今となってはあまりに遅すぎる謝罪だが、しないではいられなかった。眠っていた間のことはわからないから、白龍と彼らの内戦がどのような結末を迎えたかはわからない。けれど、紅玉が皇帝の姿をしていること、紅明の手に顔を隠すための仮面があること、白龍や自分の手脚が戻り、紅炎のルフが混ざっていることなどから、どちらにとっても傷の多い結末を迎えたのだろうということを察することはできた。
「私は、龍兄様を傷付けたくない自分のために、お兄様たちとわかり合う努力を放棄しました。ただ龍兄様の傍にいて、龍兄様を受け入れることだけしか、考えていませんでした。 ……龍兄様の味方をしたことは、後悔していません。それでも、ごめんなさい」
「……そんなことより、私たちに黙って死んでしまったことの方を謝ってほしいですよ」
 罵倒も覚悟していたの頭上に降ってきたのは、どことなく拗ねたような紅明の声だった。ぱちりと目を瞬いて顔を上げれば、優しい顔をした紅明と紅玉がを見下ろしていて。
「皆、それぞれにいけないところがあったのよぉ。確かにあの内戦で、たくさんの人が傷ついたわぁ。私たちも、ちゃんが白龍ちゃんの味方をして、白龍ちゃんに殺されて……すごく、傷ついたのよ」
「ですが、あなた自身もまた傷ついたことを忘れないでください、。それに、白龍があなたに救われていたことも」
 紅明たちは、きっとは白龍について行かないと思っていた。正しさを知る彼女は、きっと白龍を止めるだろうと。紅明たちの味方をしてくれるだろうと、そう思っていた。そんなのは勝手な思い込みで、なりに自分の意思や信じる正しさがあって、白龍に味方をしたのに。
「幸い、私たちはまたこうして出会えました。今度は、共に手を取り合って進むことができる」
 紅明と紅玉が、それぞれにの手を握り締め、微笑んだ。この尊い繋がりを、どれほど待ち焦がれていただろう。愛しい末妹と、今度こそ家族になれるだろうか。
「おかえりなさい、ちゃん」
「今度は、もう、死なないでください」
「はい、ただいまです……お兄様、お姉様」
 ぶわっと、紅明の瞳から涙が溢れ出す。兄の珍し過ぎる泣き顔にパニックになった二人の妹が大慌てで宥めても、紅明の涙は暫く止まらなかった。
 
170124
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