「ルフに、還る……」
「……
 世界に向けて表明された、シンドバッドの目的。世界ごと心中するようなその目的に諸手を挙げて賛同する、ルフを書き換えられた人々。その様子を見て真っ青になっているは自分と同じようにあの狂奔とも呼べる人々の輪から外れているのだと、白龍は安堵の気持ちを覚えた。
「……一方的で、独善的な話だ。それが救いかどうか、選ばせることすらしない」
 鼻を鳴らして、白龍は映像の中の人々を見下ろす。シンドバッドにルフを書き換えられ、ルフに還ることを心待ちにする人々。は哀しいと思うだろうが、白龍にとっては滑稽で、気持ち悪くて。
「俺が戦争の時にしたことと、変わらない。あれは洗脳だ。自分の意思でシンドバッドを許してみせた姉上の尊い決意すら、あの男は踏みにじった」
 涙を流し、シンドバッドに拍手する紅玉。その姿に、寒気すら覚えた。自分を騙して陥れ、兄弟を破滅に追いやらせた憎い仇。彼女がどれだけ苦悩し、どれだけ涙を呑んだか。けれど彼女は、自分の足で立ち上がり、全てを受け入れてシンドバッドを許した。それは誰に言われてのことでもない、紅玉自身の、尊い決意だったのに。
「……?」
 青ざめたまま、一言も発さない妹。その肩に手を置いて顔を覗き込めば、は怯えたように白龍を見上げた。
「どうしたんだ、。何か、気にかかることがあるのか」
 藍色の瞳に、うっすらと張った涙の膜。愛しい妹の頬を両手で包み込んで、白龍は優しく問いかけた。
「龍兄様……わたし、」
 震えながら、それでも白龍の手のひらの温かさに勇気付けられ、は口を開く。
「私、もしこの世界がルフに還ったら、死んでしまうんです」
「……!?」
 ルフに還れば、皆一度死ぬことになる。けれどが言いたいのはそういうことではないと、白龍には解っていた。
「私のルフは、私が死ねば『神』に戻ります。一度戻ったら、人格も記憶も、すべて失って……もう二度と、『私』は再構築されません……」
「ッ!!」
「私、どこにもいなくなってしまうんです、龍兄様……!」
 ぎゅっと白龍に縋り付き、は声を震わせる。呆然と言葉を失い、白龍はを抱き返した。
白龍のベリアルを受けてもが戻ってこれたのは、が厳密に言えば死んでいなかったからで。なおかつ、創造主である白い神の庇護を受けていた。けれど、シンドバッドが世界の全てをルフに還すのなら。神をも殺すと言うのなら。は、壊れて二度と戻らない。白龍の愛する妹は、永遠に喪われるのだ。新しい世界で独り、皆に置き去りにされて崩壊する。
「……そんなこと」
 白龍は、を抱き締める腕にぐっと力を込めた。痛いほどに抱き締めても、はその息苦しさにむしろ安堵を見出したように表情を少しだけ緩める。
「そんなこと、俺は認めない。お前のいない世界に行きたいなどと、俺は思わない……!」
 ひとりの犠牲だと、例えばあの男なら言うのだろう。たった一人の犠牲で、この世界が救われるのなら。仕方の無いことだと、割り切ることが正しいのだと、きっと言うのだろう。けれどその一人は、白龍にとってかけがえのない一人なのだ。
「わたし、いやです、死にたくありません……! 龍兄様と、もっとずっと、一緒にいたい……! ひとりぼっちで、消えたくないです……!」
 白龍の腕の中で、が泣いた。死にたくないと、声を上げて泣く。
きっと以前のなら、自分の消失を泣きながらも受け入れただろう。それで全ての人間が救われるのならと、笑って逝っただろう。たとえ白龍が、どんなに泣いて縋ったとしても。
けれどは、今自分自身のために泣いている。白龍の傍にいたいと、死を恐れて泣いている。人間として、当たり前の感情。それをようやく、は持てたのに。
「きっと私一人の我儘なんです、解っていても、嫌なんです……! 龍兄様と、一緒に生きたい、」
「それは我儘なんかじゃない、! 俺だって、お前と生きたい、お前のいない生に意味など見い出せない……! お前がそう望むのは、何も間違ってなどいないんだ!」
 の肩を掴み、白龍はと向き合う。ぼろぼろと涙の溢れる深い青の瞳は、白龍を映して潤んでいた。真っ直ぐに可愛い小さな妹を見下ろして、白龍はに語りかけた。
、お前は俺と結婚するんだ。俺との間に、可愛い子どもをもうけて。一緒に子育てに悩んで、共に老いて。最期は、家族に看取られて逝くんだ。人としての人生を全うして、お前は死ぬんだ。こんなことで、お前を殺させはしない……!」
 誰が間違っていると言おうが、それが白龍との望みだ。兄妹同士、寄り添って。願わくば、二人の血を引く子どもを授かって。一緒に悩み笑いながら、次の春を託して永い眠りに就く。
「だから、お前は絶対に俺が守る。お前と生きたい俺の欲望のために、もう一度俺は世界を敵に回す。今度は最後まで、一緒に戦ってくれ、
「……っ、はい、龍兄様……!」
 絶対にを諦めないと言ってくれる白龍の言葉が、今は何よりも嬉しかった。死にたくない。白龍と生きたい。のために、白龍は再び世界に背を向ける。だからは、白龍と共に最後まで戦おう。こんな自分にも、生きていたい理由があるのだ。の生を願うのは、今となっては白龍ただひとりかもしれなくても。その一人が、何よりも譲れない理由になるから。
「お前を死なせない、
「龍兄様と、一緒に生きます」
 手を握り合って、どちらからともなく口付けを交わす。少しかさついたその温もりが、泣きたいくらいに愛おしいと思えた。
 
170130
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