「は連れてこなかったんだね」
「…………」
読めない笑顔のアルバに、白龍は押し黙る。むすっと眉間に皺を寄せて、渋々といった様子で口を開いた。
「……をルフだけの存在にすると、どうなってしまうかわからない。『神』に近いこの聖宮では、下手をしたら『神』に戻ってしまうかもしれない。連れてくるわけにはいかなかった」
白龍とて、置いてきたくて置いてきたわけではない。ずっと傍にいて、最後まで守り抜きたい。共に戦いたい。けれど場所は違えども、にはの戦いがあり、白龍と同じ未来を目指して戦っている。自分たちがシンドバッドを止められなかったときの保険ではあるが、星さえ覆うの防壁魔法の存在があるから心置き無く戦いに行けるのも事実だった。
「……ねえ、あの子は何か言ってた? 私のこと、嫌いになったかな」
どこか弱々しささえ感じさせるアルバの声に、けれど白龍は胡散臭げに唇を歪める。深いため息を吐いて、白龍はアルバに胡乱げな視線を向けた。
「お前は、に対しては家族としての愛情があるとは思っていたが。随分殊勝なことを言うものだな」
「うん、だから不安なんだ。当たり前の親のように、当たり前に不安なんだ。我が子の気持ちなんて、聞かなきゃわからない」
「……憎まれているさ、当然だろう」
白龍の呆れ混じりの返答に、アルバは達観したような雰囲気で寂しげに、それでも納得の笑顔を見せようとする。けれどそれに続いた白龍の言葉に、僅かに目を瞠った。
「はお前を憎んでいる。恨んでいる。そして、愛している。俺にとっては、腹立たしいことだがな。お前が何をしていようとも、少なくともに対する愛情だけは本物だった。もそれを知っている。知っているから、愛情を捨てきれなかった。どんなに、許せなくとも」
「……ずいぶんと、わかったようなことを言うんだね」
「わかるさ。俺とは、ルフが繋がっているからな」
魔力の同調と、の一時的な死によって繋がった二人のルフ。穏やかに循環するそれは、の気持ちや記憶を少しだけ伝えてくれる。にも、同じように白龍の感情が伝わっているのだろう。
「恨まないわけにはいかなかった。は兄上たちはもちろん、お前のことも愛していたから、だからこそ許せなかった。許せなくとも、愛した気持ちは本当だった。だから苦しんだ」
母親の裏切りによって愛情を憎しみに転化させた白龍と、どちらの感情も捨てきれなかった。白龍がの手を取って、半ば強引に復讐の道へと引きずり込んだ。
「今は、のことが前よりもよく理解できるようになった。葛藤も、苦悩も悲嘆も。俺がどれだけに痛みを負わせていたのか……があの時自身の死を選んだのは、俺がそこまで追い詰めていたのだろうな」
自嘲気味に、白龍は笑う。先を行くアラジンもアリババも、隣にいるジュダルも、ただ黙ってそれを聞いていた。
「が復讐を選んだのは、俺のためだ。俺を愛しているから、俺と同じ道を選んだ。けれどはお前の死に泣いた。それもまた、ひとつの事実だ。お前が生きていると知ったとき、どこか安堵したようだった」
「……私は『玉艶』じゃないのに?」
「『母』だろう、俺たちの。俺にとっては、ただただ認め難く忌まわしいことだが……それでも、事実だ。の母親は、お前だ」
苦虫を噛み潰したような表情で、白龍はアルバから顔を背けた。はきっと、『玉艶』をこの先もずっと許さないだろう。それでも、愛し続けるのだろう。罪を許すのではなく、罪をも愛するのがきっとなのだ。
「へぇ、そう……」
対してアルバの声色は、どこかぼんやりとしている。けれどその表情には、まるで幼い少女のような柔らかな色が滲んでいて。思わず我が目を疑った白龍の前で、アルバは何事か考え込む。けれど突如ハッとしたように肩を揺らしてつかつかと近付いてきたアルバに、白龍は思わず槍の先を向けた。鋭い切っ先など見えていないかのように、アルバはじっと白龍を穴が開くほどに見つめる。
「……何だ」
「ねえ、さっき、のルフが混ざってるって言った?」
「そうだが、それがどうした」
「じゃあ、今は白龍の一部が、のルフなの?」
「そう言っただろう」
「……その体、ちょうだい」
「断る」
今にも掴みかかって食らいつきそうなほどの鬼気迫る表情で、迫るアルバに白龍は心底ドン引きしたような表情で後ずさる。慌てたアラジンたちに止められ、アルバは心底残念そうに溜息を吐くと舐め回すような視線で白龍を見た。
「私、今なら白龍を真剣に愛せそう」
「気色の悪いことを言うな」
「のいない世界を、守る意味が無い」
シンドバッドに対峙した白龍は、吐き捨てるように言った。
「世界がルフに還れば、は死ぬ。に来世は無いんだ。俺たちにはここしかない。シンドバッド、お前がそれを知っていてを殺すと言うのなら、お前は俺の敵になる」
ベリアルの鎌を突きつけられたシンドバッドは、驚いたように目を瞬いた。
「……くんは、ルフに還ったら再構築されないのか?」
「知らなかったのか、仮にも神を名乗る男が」
死にたくないと、泣いた。いつも他人のことばかりで、自分のことは後回しで。きっとそれも生命を愛する端末として作られたが故の本能、或いは基本機能のようなものなのだろうが、それでもの性情ならばと愛している。けれど、そんなが泣いたのだ。世界に背いたとしても白龍と生きたいと、泣いて命にしがみついたのだ。そんな愛しい妹の願いを、どうして叶えずにいられるだろう。今度こそ、と白龍の願いはやっと重なったというのに。
「の生は、ここ限りだ。死ねば神に還る。人格も記憶も、何をかもを失って。ただ、力の塊に戻ってしまう」
否、きっと白龍の生とて一度限りなのだ。来世、もう一度、そんなものは、きっとどんな命にも存在しない。たった一度。取り返しのつかない、一度きりの命。だから足掻くのだ。だから愛しいのだ。
「は俺を独りにしなかった。だから今度は、俺が傍にいる。が初めて自分自身のために泣いた、その意味が解るか。解らずとも、構わないがな」
「……そうか。くんは、死んでしまうのか」
何事か思案するように、シンドバッドは目を伏せる。
「例えば俺が、新しい世界で『』を君に与えるとするなら、君は戦いをやめるのかい? くんと同じ容姿で、同じ性格で、同じように笑い、同じように泣く『妹』を作り、君に与えるとしたら」
「……それは、本気で言っているのか?」
戯れのように口にしたシンドバッドは、ゆらりと空気が揺らめいた気がして首を傾げる。けれど白龍の表情に、自分が逆鱗に触れたことを理解した。
「例え戯言だとしても、『それ』を口にした時点で俺にとって貴様は許されざる敵だ。神に届く刃があるか、試してみるか」
死んでしまった兄。大好きな人にもう一度会いたくて、生命の禁忌を犯してしまった幼子。それでも、諦めた。たった一度触れてもらうことすら諦めて、そして、白龍が救いだと言ってくれた。
殺してしまった妹。応えてくれないのが寂しくて、寂しくて、悲しくて。意思のない体を操って動かすことも、目覚めぬ体だけを愛することさえも考えた。それでも、待った。今生きる命を、明日に生きる命を、信じようと。同じ種を蒔いて、同じ花を咲かせようと、そう決めて待ち続けた。救われた心は、独りではなかった。
ああ、シンドバッドは知らぬのだ。神になったこの男は、白龍との過ちの意味を知らない。だからこんなことが言えたのだろう。無知は罪ではない。けれど、それは許されざる言葉だ。よりにもよって白龍の前で、『代わりの人形』を用意する、などと。いっそ冷たいと錯覚するほどに熱い炎が、白龍の瞳に燃え上がる。
「貴様は、俺たち兄妹にとって決して触れてはならないものを侵した。その罪過を、ここで贖うがいい!」
正誤の問答でも、善悪の問題でもない。ただ、許せないだけ。愚かでいい。ただ、許せないのだ。
一人の王の器としてではなく、ただの白龍として、彼は武器を振り上げるのだった。
170906