「――龍兄様!」
 シンドリアで使徒たちを相手に戦っていた白龍は、空から降ってきた声に反射的に上を見た。聞き間違うはずもない、その声は白龍にとっての唯一だ。ふわりと舞うように降りてきた最愛を、白龍は戦場のただ中であることも忘れて両の腕で抱き締めた。
「無事だったか、!!」
「はい! 龍兄様も、ご無事で……!」
 暖かい光が、白龍の体を包み込む。少なからず負っていた傷も、枯渇しかけていた魔力も、全てが瞬く間に癒してくれた。世界を守る戦いの最中とは言え、否、むしろそうであるからこそ、腕の中に抱いた存在は何よりも尊くて。守らねばと、改めて強く思う。白龍の姿を目にして安堵と喜びに頬を緩めるが、本当に愛おしかった。
「……お前ら、本当にいつでもどこでも歪みねえよなー」
「ジュダル殿もご無事で良かったです! 今、傷を治しますね」
 白龍の腕に抱っこされながら使徒の攻撃を防壁魔法で遮り、ジュダルの揶揄に狼狽えることもなくにこにこと治癒魔法でジュダルを癒すに、こいつは少し図太い方向に成長したんじゃないのかとジュダルは思う。とはいえ戦場の真ん中でオドオドされるよりは余程豪胆の方が良くもあるが。
「お前ら見てると、この世界が消滅の危機とか嘘に思えるぜ、まったくよぉ」
「嘘にするためにここにいるんだろう。、お前は防壁魔法の維持に専念してくれ。頼めるな?」
「はい、お任せください! それと……」
 白龍の腕から降りたが、振り向いてニコリと微笑む。不思議に思ってその視線を追った白龍は、そこにあった姿を見て目を瞠った。
「……姉上」
 そこにあったのは、かつて訣別した姉の姿。アラジンの魔法で眠っていた間、何度儘ならない苦しさに歯噛みしたことだろう。ぎゅっと金属器を握り締め、ぐっと不安げに、それでも真っ直ぐに白龍を見据える白瑛。今はただ、言葉はいらないと、白龍は首を横に振った。こうして共に、背中を預けて戦える日が来たことに、胸が熱くなる。
「龍兄様、瑛姉様……」
 ベリアルの白と、パイモンの白。並び立つ白の二人に、は眩しそうに目を細めた。

「うっ……」
! どうした!?」
 戦いの最中、突如が胸を抑えて崩れ落ちる。地に膝をついたに、白龍は血相を変えて駆け寄った。
「……龍兄様、どうか私のことは、捨て置いてくださ、」
「何を言っている! どこか怪我をしたのか?」
「……、防壁魔法にガタが来てんだろ」
「何? そうなのか、
 ジュダルの言葉に、白龍がの肩を掴んで真っ直ぐに目を合わせる。マギであるジュダルも誰よりに近い白龍も誤魔化せるわけがなかったと、は観念して頷いた。
「使徒の攻撃が、激化していて……破られることはないのですが、莫大な魔力の消費に、体がついていかなくて……」
「よし、防壁魔法を捨てろ」
「そ、そんなのダメです、龍兄様!」
 迷うことなく即座に防壁魔法の放棄を提案した白龍に、は真っ青になって首を横に振った。けれど白龍は、の瞳を覗き込んで眉を下げた。
「前にも言ったな、。俺は世界の何よりもお前を優先すると。それは、何があってもこの先変わることはないと。お前を失うことになったら、俺にとってこの戦いは無意味になるんだ」
「龍兄様……でも、」
「もう二度と死なない約束だ、
 根本的に、は人を救う生き物だ。そうあれと、作られた端末だ。救世主としての機能が、白龍との約束に頷くのを躊躇わせる。が今防壁魔法を捨てれば、世界中の人々が消滅の危険に晒される。例え彼らがそれを望んでいようと、見捨てるわけにはいかないのだ。皆、ルフを書き換えられているだけだ。きっと本当は、明日を望んでいる命なのだ。白龍やたちと、同じように。
「あっ、くぅ……!」
 どこかで、威力の大きい攻撃を受けたらしい。一気に魔力を削がれる感覚に、息が詰まる。おそらくこれは、金属器使いの攻撃だ。今この世界の人々が死を望んでいるという現実に、泣きそうになる。心が折れそうになる。それでも、まだ大丈夫。まだ立っていられる。ここに、白龍がいるから。
「まだ、大丈夫です、龍兄様……どうか限界までは、ここに立つことを許してください」
 白龍の手を借りて立ち上がったに、白龍は仕方なさそうに眉を下げて笑った。
「まったく、誰に似てこんなに強情になったのだろうな」
「どう考えてもお前だろ、白龍」
「……無理そうだと判断したら、気絶させてでも魔法を解かせる。いいな、
 ジュダルの揶揄に耳を赤くした白龍は、の頭を軽く叩いて戦いに戻っていく。白龍に続いたジュダルも、「白龍がめんどくせーから、倒れる前には言えよ」と彼には珍しく気遣いの言葉をくれた。
「……だいじょうぶ」
 まだ、は立っていられる。白龍と、大切な人たちと生きる世界を、は守るのだ。守るべきものには自分も入っている。もう、独り善がりになって白龍を悲しませたりはしない。きっと守ってみせる。世界も、自分も、白龍も。は一人ではないのだ。だからは信じる、白龍を、ジュダルを、白瑛たちを。信じて、守り続けよう。明日へと続く、今この時を。

「……うそです」
 の眦から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。ふらふらと、白龍の傍に歩み寄ってその手を掴む。縋るような弱々しい力に、白龍もぐっと唇を噛み締めた。
「うそです、だめです、龍兄様……!」
 十五人の金属器使いのうち、十四人が一人にルフを捧げる――世界をルフに還す魔法を止める唯一の方法としてシンドバッドが提示したそれに、真っ先に拒否を示したのはだった。己のルフを誰かに捧げるということは、自らの命を捧げるということだ。十五人のうち、十四人は死ぬ。誰を選んでも、の大切なひとたちは死んでしまう。はひとりぼっちになってしまう。の兄姉たちは皆、ここにいる金属器使いなのだ。白龍、白瑛、紅明、紅玉、紅炎、紅覇。きょうだいを失うということは、にとって耐え難い苦痛だ。かつてそれを恐れるあまりに、自分の命を投げ出してしまったほど。
「嫌です、龍兄様……いなくならないで……!」
……」
 ぽろぽろと涙を零して縋る、小さな可愛い妹。アリババを失ったときに途方に暮れて泣いたアラジンの泣き顔と、どこか重なった。
に、死ぬなと言ったのは白龍だ。と、死なないことを約束したのは白龍だ。二人で生きると、生き残ると、約束した。残される痛みに泣いた白龍が、を置いて逝くことなどできない。父と兄を幼い頃に喪い、愛する母を眼前で殺されたは家族を失うことをひどく恐れている。兄姉たちが死んで独り遺されてしまうようなことがあれば、世界が救われてもは絶望するだろう。或いは自分の人格を捨ててでも、兄姉皆が生き残る世界を選択してしまうかもしれない。は、それまでに深く兄姉たちを、白龍を愛しているのだ。
「わたしを、ひとりにしないでください、龍兄様……!」
 何も言えない。何も答えられない。自分は、を置いていくのか。この、小さな可愛い妹を、ひとりにするのか。白龍を救ってくれた、白龍だけの救世主。全ての人を救えるだけの可能性全てを投げ打って白龍だけを選んだに、絶望を背負わせるのか。世界を救うために、自分の命を犠牲にして。
、」
 できない。けれど、成さねばならない。白龍が死ぬか、を含めた世界が死ぬかなのだ。白龍にとって、の命は何よりも重い。例え較べるものが、自分自身の命であってもだ。そも、白龍にとっての命は何と較べることもできない。
けれど、と白龍は唇を噛み締める。白龍を想って泣く小さな妹を、遺して逝くのか。白雄たちのように、寂しがり屋の妹を置いて旅立つのか。遠いルフの、彼方へ。
白龍を愛してひとに成った小さな神さまが、泣いている。その矮躯を慰めに抱き締めてやることすら、今の白龍にはできなかった。
 
170925
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