「イヤです」
いっそ穏やかな響きすら含んだアリババの言葉に、白龍は顔を上げた。シンドバッドの示した解決策を拒んで、アリババは戦い続ける未来を選ぶ。
(……そうだ、)
迷う必要は無いのだ。がいる。が、白龍に死んでほしくないと泣く。が、白龍と共に生きたいと笑う。それだけでいい、それだけが、白龍の戦う理由になるのだ。
「大丈夫だ、」
口先だけの誤魔化しではなく、本当の気持ちから白龍は優しく微笑む。震えるの手を取って、その掌に口付けた。こんなに小さく柔らかい掌を、どうして遺して逝けるだろう。の笑う未来が欲しい。がいて、自分がいて。その両方を、望めばいいのだ。が今、そう望んだ。だから白龍は、そのありふれた人間らしい我が儘を、叶えればいい。
「――戦いもせず逃げるようなことは、したくない」
どちらかを選ばなければいけないと、諦めに逃げはしない。どちらをも選ぶために、白龍は戦うのだ。アラジンも、アリババも、モルジアナも、紅玉も、ジュダルも。誰一人未来を諦めたりはしていない。も。可愛い小さな妹は今、贅沢で大きな未来を望んでいるのだ。
「例え、果てが見えずとも……その戦いが、未来永劫続こうとも……、お前が傍にいてくれる。お前の想いが、俺と共にある。不安や恐怖を克服して、進んでいくことができる。お前と、一緒に」
「はい、龍兄様……ずっと、一緒です。ずっとずっと、一緒です。私が、龍兄様を守りますから、龍兄様が、私を守ってくれますから、怖いことがあっても、この足を踏み出せます」
「……強くなったな、」
自らの足で立つ、練の娘。もまた、兄や姉の背中を追って一人の人間へと成長していたのだ。争いの続く未来は少し怖いけれど、隣に誰よりも愛しい唯一がいるなら何も恐れない。互いの手を取り合って、白龍とは一緒に前を向いた。
「……終わった、のか」
全ての迷宮の塔を壊し、世界をルフに還す魔法が止まって。聖宮から帰ってきたアラジンにアリババたちが真っ先に駆け寄るのを見て、白龍はぽつりと呟いた。ハッとして妹の姿を探せば、ふらふらと今にも倒れそうながいて。大きな怪我はないが、防壁魔法の維持と金属器使いや眷属たちへの魔力供給で相当に魔力を消費したのだろう。傍に行って傾いだ肩を抱きとめると、あまりの軽さに今更ながら背筋に寒気が走った。
「よく頑張ってくれたな、」
「龍兄様……龍兄様も、ご無事で……」
ふわりと笑うに、胸がいっぱいになる。白龍は、今度こその笑顔を守りきることができたのだ。ぎゅうっと小さな体を抱き締めれば、も白龍の背中に腕を回して精一杯の力で抱き返す。それが嬉しくてぎゅうぎゅうとより強く抱き締めると、がきゃあっと可愛らしい悲鳴を上げる。ここが二人の世界の中心だと言わんばかりの兄妹の背後から、ごほごほとわざとらしい咳が聞こえた。
「あ、アリババ殿……」
「…………」
「邪魔して悪かったとは思うけど、そんな堕転してたときみたいな目でこっち見ないでくれよ、白龍」
少し引いた表情のアリババの後ろには、満身創痍のアラジンとそれを支えるモルジアナがいて。アラジンと目が合うと、彼はにこりと笑った。
「おつかれさま、白龍くん、さん。僕からさんに、どうしても伝えておきたいことがあって」
「? なんでしょうか、アラジン殿」
「あの、もしさんさえ良ければ、なんだけど……さんのルフを、『神』から切り離す方法がわかったんだ」
「……!! それは、まさか、」
「うん、その魔法を使えばさんはもう神の欠片じゃなくなって、上位存在との繋がりを失う。ひとりの、独立した個としてルフが存在するようになるんだ。白龍くんやお姉さんたち、僕らと同じ……この世界の、命になる」
「それは本当ですか、アラジン殿」
どこか呆然とした表情で、白龍がアラジンに問う。は、口元を手で覆って顔を輝かせた。だけ、皆と同じところには還れずに独り崩れ壊れてゆく恐怖。それが、兄姉と同じ、家族と同じ、大いなるルフの流れに帰れるのだとしたら。
「世界を選ぶ権能も、無限の魔力もなくなってしまうけど……それでももし、さんが望むなら、」
「お願いします、アラジン殿。私は、お兄様たちと同じ、この世界の命として生きたいです。神さまの力がなくても、きっと幸せに生きられます」
「さん……うん、そうだね。もう、マギシステムも金属器も無い。さんも、神さまを辞めていいんだ」
アラジンがを見て、眩しそうに目を細める。頬を紅潮させてアラジンの言葉を噛み締めるの肩を抱いて、白龍は硬い声で尋ねた。
「その魔法が、に何か害をもたらすことはありますか? 神から切り離すことで、のルフに異変が生じる可能性は?」
「元々さんのルフはソロモン王……僕のお父さんが『神』から分けて創ったものなんだ。常に『神』と接続されてるだけで存在自体は『神』に依存していないから、切り離してもさんのルフは問題ないと思う。ただ……」
「ただ?」
「お父さんが『神』から運命を切り離したときの方法に寄せて、錬金魔法をベースに魔法式を組み立てたんだ。アルバさんから白瑛さんの体を取り戻したときみたいに、一度『さん』を組み直すことになる」
「……つまり、姉上と同じように眠りに就くということか」
いつ目覚めるかも、わからない眠り。白瑛は目覚めた。けれど白龍もも、白瑛の眠っている間ずっと不安で。それにが白龍の金属器を受けて目覚めなくなったとき、互いに言い尽くせないほど辛い思いをしている。決断は難しいのではないかと、アラジンたちは眉を下げたけれど。
「あらまあ、でしたらその魔法を使うのは復興の目処が立ってからにしましょう」
「そうだな。国の立て直しにはの力も必要だ。俺が皇帝だったとき、がいてくれたらと何度思ったか」
あっさりと魔法を使うことを前提に話を進める兄妹に、アラジンが焦ったように口を開く。
「ま、待ってさん、大丈夫なのかい? 白瑛さんみたいに……いや、もしかしたらもっと長い間、目覚めないかもしれないんだよ?」
「でも、一日二日で目覚める可能性だってあります。それに龍兄様なら、私がおばあちゃんになってしまっても待っていてくださると思うんです」
「眠りが深いのは、の百以上ある可愛いところのひとつだからな。今更臆すようなことでもない」
「さすが、一度死んだのを乗り越えてる兄妹は違うな……」
いつか必ず、目覚めはやってくるのだ。それなら怖いことは何もない。あの、このままずっと目を覚まさないのではないかと思って泣いた明けない夜とは違う。ならば今は、自分たちにできることをまずしなければ。やっと掴んだ、自分たちの未来のために。
「見ての通り世界は大惨事ですからね。ある程度落ち着くまでは、残念ですがを眠らせるのは諦めます」
「前のように、皆が大変な中私だけ寝こけていたくありません。微力ながら、精一杯お手伝いさせていただきます!」
これから始まる新しい未来。新しい世界。それは全て、この世界に生きる命それぞれが掴んだものだ。優しい明日が訪れるように、今日を精一杯生きる。自分たちならきっとそれができると、と白龍はよく似た顔で微笑んだ。
171012