「、大丈夫か、辛いところはないか」
「大丈夫ですよ、龍兄様。ありがとうございます」
の手を引きながら、白龍は何度も何度もの容態を確かめる。柔らかい風を受けて気持ち良さそうに目を細めたは、久々の土の感触を確かめるようにゆっくりと歩いていた。
目覚めた後、盛大に執り行われた結婚式。あの後からしばらく、白龍はを外に出してくれなかった。結婚式の次の夜ジュダルが酒を持って白龍とのところにやってきて、呑めないを酒に付き合わせたのが最大の原因ではあるのだが。白龍の目を盗んで飲まされ倒れてしまったを見て、白龍は真っ青になって。もしや存在の再構築が原因で何かしら不調が出ているのではないかと、それなのに目覚めてすぐの結婚式で無理をさせてしまったと泣く白龍の手前、寝台から出してほしいと強く言うこともできず。白龍が納得するまでほぼ軟禁状態の生活を受け入れていたであるが、やはりどこにも不調は見られないということにようやく白龍が安心し外に出ることができた。
人と人との関係というものは、何かのきっかけを境に何もかもが変わってしまうわけではないのだとは思う。白龍は相変わらずに対して過保護で心配症であるし、はそんな白龍に対し疎ましく思うどころか感謝や罪悪感さえあるためにおかしいと思うことでも強く言うことができない。あまり健全な関係ではないと思うのだが、早々には変われないものだ。まずは騙されて酒を飲むようなことがないようなしっかりした大人になろう、とは密かに意気込む。自分がしっかりした人間になればきっと、兄との関係も変わっていくだろうからと。それでも兄の優しさはいつもにとって嬉しいものだった。きっと大丈夫だと、は思う。変わるものも、変わらないものも、きちんと向き合って話し合える今ならきっと互いのための形を築いていける。
「、荷は重くないか? 俺が弁当を持とうか」
「いえ、龍兄様、私が持ちたいんです。でも、お気遣いありがとうございます」
既にいろいろと荷を背負っているのに、が手に提げた重箱の包みすら持とうとする白龍。兄の愛し方が端的に表れている行動に苦笑を浮かべこそすれ、呆れたり疎んだりする気持ちは全く無かった。
世界をルフに還す魔法の影響を受け、以前とはまるで変わってしまった世界。地図は変わり、一部の大地は空に浮き、大峡谷の向こうから赤獅子たちもやってきて。しっちゃかめっちゃかになった国々も人々の努力で立ち直り始め、新しい世界はまた動き始めていた。そんな中久々の休日に、白龍とはとある空に浮く小さな島を訪れていて。
「ここが見つかってよかったな。姉上たちに感謝しなければ」
「ええ、本当に……もう、見つからないかと思いました」
目の前に広がるのは、小さな花畑。そしてそれに埋もれる、崩れた城壁の跡。かつて白龍とが埋葬の真似事をした、禁城の隅にあった場所だった。白雄の遺品となった本はもう彼の墓に移されているが、ここはにとっても白龍にとっても特別な場所だった。今となっては自分たちの犯した過ちだけが眠る、小さな花畑。淡く優しい白の花が、空を行き交う風に吹かれて揺れた。幸いにも、この辺りの土地はちょうど花畑を中心にするように地盤から浮いて島になったらしい。紅玉たちが、この島を偶然見つけて白龍たちに教えてくれた。花畑と廃墟以外には何もない小さな土地であるというのに、優先的に煌領としての手続きをしてくれたのだそうだ。姉たちへの深い感謝を抱きながら、白龍とは小さな島を見渡した。喧騒が遠い、静かな空の孤島。少しだけ寂しさを孕んだ風が、どこかからやって来て吹き去って行く。靡いたの髪がふわりと広がるのを、愛おしそうに白龍は見つめた。
「……いつかは、ここに居を構えるのも良いな。小さな家を建てて、ふたりで暮らすんだ」
「それは素敵ですね。お姉様やお兄様たちも、きっと遊びに来てくださいます」
「そうだな。それで、ジュダルやアリババ殿たちも押しかけてきて……ちっとも静かじゃない毎日になる」
皮肉めいたことを言いながらも、白龍の表情は穏やかに綻んでいて。は可笑しそうに、くすくすと口に手を当てて笑った。
「そうですね……それに、その、きっと……」
「?」
「新しい家族も、その頃にはいたら、いいな、なんて……」
はにかむの言葉に、白龍はぐっと胸が締め付けられるような切ない気持ちになる。色々と葛藤することも後ろめたいこともあるけれど、は白龍との未来をひたむきに望み続けてくれているのだ。新しい家族を、白龍との間に願ってくれる。白龍は、そっとの頬に手を伸ばした。壊れ物に触れるように白磁の肌に触れれば、柔らかい白に差した朱は熱を持っていて。深い青の瞳をじっと見つめて顔を寄せれば、緊張に強ばりながらもはそっと目を閉じる。幼い桜色にそっと唇を重ねて、できるだけ優しく啄む。一度唇を離せば、名残惜しげにの瞼が開いた。愛しさの滲む瞳が白龍に焦点を合わせる前に、もう一度唇を奪う。何度も繰り返し口付けを降らせる白龍の着物の裾を、泣きそうな顔をしてはぎゅうっと握り締めた。
「龍兄様……」
切なそうな声を上げて、は自ら白龍の唇を求める。重なった優しい温もりに、白龍は目を閉じた。一番長く唇を重ねて、どちらともなく目を開けて名残惜しくも唇を離す。しばらくはただじっと黙って見つめ合っていた二人だが、ふと照れたようにがはにかむと白龍も頬を赤くして笑った。
「しあわせ、です。とても」
「ああ、俺もだ」
泣きたいくらいの幸せに、白龍はを抱き上げて遠い大地を二人で見下ろす。この世界で、ふたりきりになったような錯覚。誰に憚ることもなく、負い目もなく。通じ合った気持ちのままに触れ合うのが、こんなに満たされることだとは知らなかった。白龍の頬に触れて、は照れ笑いを浮かべる。
「……お弁当を、食べましょう、龍兄様。今日は私が、作ってみたんです」
「ああ、そうしよう。お前の手料理を食べるのが、本当に楽しみだったんだ」
「龍兄様の腕には及びませんが……お弁当を食べて、お茶を飲んで……それで、ゆっくりお話をしましょう」
「そうだな。せっかくだから、今度は俺がお前に花冠を作ってやりたい」
「わあ、では私は、お花の指輪を作りますね」
「懐かしいな……あの頃は俺の方が、泣き虫だった」
「……昔みたいに私の前でも泣いてくれる龍兄様に、安心すると言ったら呆れますか?」
白龍に抱き上げられたままのが、優しい目をして白龍を見下ろす。その言葉に、白龍はハッと目を見開いた。
「私、ずっと怖かったんです。最初、龍兄様は泣かなくなったのだと思っていて……私も、早く泣き虫を直さなければと……でも、龍兄様は私の前で泣くのをやめたのですよね。雄兄様たちがいなくなって……私を不安にさせまいと、してくれたのですよね」
「…………ああ」
「私が、龍兄様の泣く場所を奪ってしまったのではないかと……泣きたいときに泣けないように、龍兄様に強いてしまったのではないかと思うと、怖くて……」
「……そんなことは、」
「はい、わかっているんです。わかっては……いても、怖かった。龍兄様は優しいひとです、その優しさが龍兄様自身を傷付けるのが悲しくて……それなのに私はずっと、龍兄様の優しさに甘えていました。私が弱いままでいることを許してくれる、龍兄様に甘えていました」
「俺は……俺が、お前に弱いままでいることを強いたんだ。お前が甘えたんじゃない、俺がお前の優しさに甘えていたんだ。呆れたりなど、するものか。、俺にお前を守らせてくれて、ありがとう」
「龍兄様……私を守ってくださって、ありがとうございました」
感謝の気持ちがようやく言葉にできたことに、は安堵の笑みを浮かべる。本当はきっと、責められたいわけでも、謝りたいわけでもなかった。は白龍に守られてばかりだと思っていて、白龍はを自分の元に縛り付けたと思っていて。守られる安息と、守る尊さ。罪悪感に目を逸らしていたものへの感謝を、ようやく素直に口にできた。本当に困ったところばかり似てしまった兄妹だと、眉を下げて笑い合う。優しい風が、白い花弁を舞い上げた。
「……世界は広いな、」
遠くへ吹き去っていく花びらを見送って、白龍は呟く。空に浮く島からは、果てしない地平がよく見えた。あの地平の向こうにも、この風は続いていくのだろう。
「世界は広いし、未来は長い。添い遂げると言っても、きっとこれからも色々とあるだろうが……それでも、を愛している。心の底から、ずっと」
「私もずっと、愛しています、龍兄様。何があっても、傍にいられないときも。先のことは誰にもわかりませんが……この気持ちは、ほんとうです」
触れ合う体温も、耳に届く声も、交わし合う視線も、今このときだけのものだとしても。そうであるからこそ尊いのだと、白龍もも知っている。過去の眠る場所で、未来を思うふたり。確かめ合うように愛を言葉にする兄妹の姿は、物言わぬ花だけが知っていた。
171118
フリリク:結ばれた後の名前と白龍の結婚生活が見てみたいです。