実のところ、白龍よりもの方が精神的には大人なのではないかと、紅炎は時折思う。純粋で、怖がりで、寂しがり屋で臆病な、か弱くてひとりでは何もできない少女。それはあくまで白龍を始めとする周りの人間が求めてきたの姿だ。紅炎とて、ずっとに「守られる存在」としてあってほしいと思っていたことに気づいたのはつい最近のことだ。自分たちはきっと、守るものの象徴が欲しかったのだ。守れなかったものの代わりに。そしてそれを、一番小さかった妹に重ね合わせた。
 白龍は、献身的にの世話を焼く。夜は寝物語を読んでやり、朝は優しく揺り起こし、髪を梳かし結ってやり、服を選び、時には着替えさせ、隙あらば食事さえ手ずから食べさせようとする。紅炎にはそれが、まるで母親のごっこ遊びをしているようにも映るのだ。幼い頃の白龍はただひたむきに、に好意を告げていた。あれやこれやと自立を奪うように世話を焼き始めたのは、大火の後だ。玉艶がにしていたことの全てを、白龍はするようになった。玉艶はを深く愛していた。だから喪った兄の代替行為とは異なり、にとって母親の代わりは必要ないはずだったのだ。
戦場へを連れて行ったとき、紅炎は内心驚いたものだ。常日頃兄に甘やかされているはずのは、世話役に選ばれた女将軍が驚くほどあっさりと身の回りのことを自分でしていた。日の出と共に目覚め、テキパキと身支度をすませ、雑用すら買って出る。考えてみれば然程おかしいことでもない、白龍同様も、身の回りのことは自分でできるようにと白瑛に躾られているのだから。そして城に帰ったといつものように過保護を始めた白龍を見て、紅炎は悟ったのだ。
は、白龍のままごとに付き合っているだけだ)
 は大抵のことは一人でできる。本人たちに自覚はないが、あれは「母親のようにの面倒を見る白龍」のおままごとだ。大火の後は、その負い目故か白龍の言うこと為すことを全て受け入れようとする節があった。きっと「母親ごっこ」も、白龍にとっての精神安定剤なのだろう。一度それに気付いてからは、懸命に母や兄の真似事をする幼い白龍をが母親のように優しく包み込んでいるような、そんな錯覚さえ覚えたものだった。
「……お前たちは、変わらないな」
「?」
「そうですか?」
 紅炎のところに料理を作りにやってきた兄妹の姿に、紅炎はぽつりと呟く。も白龍も不思議そうに首を傾げるが、紅炎にはやはり二人の姿はどこか歪に見えた。
刃物にも火にも、一切を近付けない白龍。更には手が荒れてしまうからと、皿洗いすらにさせずにいる。幾つもの歪みを乗り越えて結ばれてもなお、白龍の心のどこかではは何もできない可愛い小さな妹のままなのだろう。そうでなくては、まだ白龍は自らの心にある傷と向き合えないのだろう。

「はい、紅炎お兄様」
 呼べば走り寄ってくる妹は、すっかり綺麗になった。にこにこと微笑むその頬が描く曲線は、白雄の面差しを色濃く受け継ぎながらもだけの形を持っている。もまた、ひとりの人間として決して少なくはない時間を歩んできた。世界を守る戦いでも、は守る側にいた。懸命に叫び、友と相対してもなお自らの守るべきもののために進んだ。守られるだけのお姫様など、もうどこにもいないのだ。
「煌の立て直しのために、よく働いてくれているそうだな。時に、今の主な財源と支出との比はどうなっている」
「国庫からの支出が、やはり一番多い状況です。とはいえ国庫にも限りがありますし、商会の利益に財源を切り替えていきたいのですが……現状は赤字です。ですが住居や農業の基盤の確保はだいぶ進んできたので、これから回復していく見通しです」
 経済状況を問う紅炎の言葉に、はすらすらと淀みなく答えていく。元々文官の仕事もしていたの存在は、武術や学問に重きを置いていた紅玉や白龍にとって大きな助けとなっているだろう。
は、一人では何もできない子どもではない。むしろ白龍と離れて一人でいる方が、よほど才が際立つ。魔法の研究をしていたときも、戦場で人々を癒していたときも、そうだった。
けれどは、役割や義務のために白龍の隣を選んだわけではないのだ。ただ隣にいたいと、愛しいのだと、その想いのために白龍の傍にいる。以前の紅炎にしてみれば、それは愚かな選択だった。
「白龍との暮らしはどうだ。仲睦まじくやっているか」
「待て紅炎、貴様は何を……」
 唐突に話題を変えてみれば、顔を真っ赤にした白龍が振り向いて紅炎を睨みつける。けれど涼しい顔をした紅炎は、白龍には目もくれず末妹の照れ笑う顔を見ていた。
「龍兄様は、前よりももっと心配性になった気がします。でも、幸せです。とても、幸せにさせてもらっています」
「そうか、それは何よりだ」
 の幸せは、白龍の隣にある。役割だとか歪みだとか、突き詰めて考えれば限りがない。白龍とが幸せだと言って笑う。それでいい、それ以上は、今の紅炎か口を出すべきことではない。
白雄たちを、守れなかった負い目。白龍を、守れなかった負い目。歪な愛憎を募らせていると知りながら、守るためと嘯いて道を違えることになってしまった。この両脚と腕は白龍の負い目ではない。紅炎のエゴの象徴であり、代償だ。白龍がを囲い込んで母親ごっこをしていたように、紅炎もまた白龍を守ろうとしたつもりでいただけだった。ずっと義兄と呼ばれていたのを、ただ何も知らない故だと侮って。けれど復讐を成し遂げたのは、その末弟だった。
今白龍が紅炎を兄と呼ぶようになったように、白龍との関係も変化しつつあるのだ。白龍はの母親ではなく、もまた白龍の母親ではない。人生を共にする伴侶として、二人は歩き始めたばかりだ。これからの行方を、紅炎は兄として見守ろう。
「ところで白龍、書類仕事ばかりでは腕が鈍るだろう。手合わせに付き合ってくれ」
「……構いませんが、食事の後にしてくださいよ。の作った菓子があるんですから」
 白龍の返答に、紅炎は驚いたように目を瞬く。鍋の様子を見ていて振り向かない白龍には幸い気付かれなかったが、は全てを見透かしたかのように悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「お菓子は時間がかかるので、向こうで作ってきたんです。お菓子だけは龍兄様にも負けない自信があります!」
 どうやらふたりは既に、ままごとからは卒業していたらしい。配膳の準備を始めたは、にこにこと楽しそうにしている。は自分のやりたいことを過度に遠慮しなくなったし、白龍も過剰な行動制限を少しずつ緩めているようだ。もう既に変わっていたのだと、少しだけ寂寥を感じる。けれどそれ以上の感慨深さに、珍しく紅炎は眉間の皺を緩めて穏やかに微笑むのだった。
 
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