「ゆうにいさまー? どこにいりゃ、い、いらっしゃるのですかー?」
 それは運命の分かたれる日。
大きな本を抱えた第二皇女のは、舌足らずな口調で兄の所在を問いながら、城内をさ迷っていた。
「ゆうにいさまー、れんにいさまー?」
 やがて少女はとん、と行き止まりにぶつかる。
しかしそれは行き止まりではなく。
「おい、誰だこの子供は」
 壁に思えたのは、立ち塞がる大人たち。その手に握られていた道具は、に知るよしもないことではあるが、放火のための道具で。
当然それらを見られた彼らが考えることは。
「誰でもいいが、騒がれると面倒だ。殺せ」
 ひそひそと囁かれる殺意に、気付かずはこてんと首を傾げた。
「おじさんたち、ゆうにいさま、しりませんかー?」
「雄兄様、だと? この子供まさか、」
「どういうことだ、今日はこの城にいないはずでは」
「そんなことはどうでもいい、 早く外に出せ! 間違っても殺すなという命令だ!」
「あのー、ゆうにいさま、ごぞんじない、ですか?」
 再び首を傾げるに伸びる男たちの手。
自身に迫る手をただぼうっと眺めていたに、その指先が触れる刹那。
!!」
 その手を切り落とした剣。それがの目に映るよりも前に、の目を覆い隠した大きな手。
耳までは塞がれなかったの鼓膜を、男の野太い悲鳴がびりびりと震わせる。それにびくっと肩を揺らしただが、自身を抱き上げる腕や、安否を確かめるように名前を呼ぶ声がいつもの兄のものであったことに、兄の手の下に隠された目もとを綻ばせた。
「ゆうにいさま!」
、無事か」
「はい、は元気ですよ?」
 状況を理解していないのズレた返事に、白雄は苦笑を浮かべる。
しかしすぐに口元を引き締めると、白蓮が敵をなぎ倒したのを確認し素早く辺りの状況を把握した。
「こいつら、火付けの道具を持っている……城を焼き落としてでも俺たちを殺すつもりでいたのか、あの組織は」
「どうしますか、兄上」
「ひとまずこいつらは倒したが、他にも放火の任を負った連中がいないとも限らない、速やかにここを離れるぞ」
「ゆうにいさま、れんにいさま? なんのお話をなさっているのですか?」
「……そういえばどうしてはここに? 今日は城外へ行ったはずでは」
、実習はどうしたんだ?」
「ゆうにいさまからお借りしたご本をわすれていたので返しにまいりました! ……わすれていてごめんなさい」
「……いや、それはいいんだ。返しに来てくれてありがとう」
「ひとまず、外へ向かいましょう兄上。は兄上にお願いしても?」
「ああ、任せろ」
 言うが早いが白雄はを抱え直し駆け出した。白蓮もその横を走る。届けに来たはずの本は打ち捨てられたが、それを気にかける者はいない。
白雄の予想通り、火の手はいくつかの場所に分かれて上がっていて、建物には煙が充満し始めた。途中で火傷を負い倒れていた白龍を白蓮が拾い上げ、更に走る。
何度か白雄たちに襲いかかってくる集団がいたものの、皆白雄たちの姿を見ては、何かに惑ったように手を出しあぐねているうちに白雄らに斃されるか躱されるかであり、白雄たちはそれを疑問に思いながらも、ただ外へと走った。そうして。
「白雄皇子、白蓮皇子! ご無事でしたか!」
「白龍皇子と皇女もいらっしゃるぞ!」
 何とか火に巻かれる前に脱出を果たした白雄たちは、重傷の白龍を救護班へと預けると、を抱えたままとある人物の元へと向かっていく。
涙を浮かべて彼らを迎えた白瑛は、運ばれる白龍へと着いていった。
「白雄、白蓮、……! 良かった、無事でいたのですね」
「……おかあさまー?」
 未だ目を塞がれたままのが、白雄の腕の中から玉艶を呼んだ。
「ああ、、あなたが城へ向かうのを見たと聞いて私はほんとうに心配したのですよ……どうかよく顔を見せてちょうだい」
に触れないでいただきたい」
 に手を伸ばす玉艶の手を、白雄が払い除ける。隣に立つ白蓮も、鋭く玉艶を睨み付けていた。
の頭はよりしっかりと白雄に抱え込まれ、聴覚も塞がれたは不思議そうに兄二人の名前を呼ぶ。
「無事でよかったなどと……白々しい。そう思っているのはに対してだけだろう」
「白雄、何を言うのですか? 亡国の残党に襲われて、気が立っているのでしょう。ゆっくり休んでらっしゃいな」
「亡国の残党、か。おかしなことを言うものだな、なあ白蓮」
「ええ、姿を見てもいないはずのそれを亡国の残党と言い切る根拠をお聞かせ願いたいが。今はその時ではないようですね」
「あら……何だ、気付いていたのですね。賢い子ばかりで嫌になる」
 白雄と白蓮にだけ聞こえる声の大きさで、玉艶は毒を吐いた。
「なら解っているでしょう。あなたたちの命があるのは、そこの可愛い小さな私の子がもたらした偶然だと」
「……ああ。明らかに討ち手の様子がおかしかったからな。どんな命令をしたのかは知らないが……だが、これだけは言っておくぞ、アル・サーメンの魔女」
「俺たちは、家族も自身の命も、お前に明け渡す気はない。今回は偶然に救われた命だが、次はない……幸いにして父上も一命を取り留めている。これ以上この国を、お前たち組織の思うままにはさせん」
「それもこれも、私の可愛い小さな子がもたらした偶然、ですか……世界から与えられた奇跡、私の元へと生まれた可愛い小さな。白雄、白蓮、その子を私に返してちょうだい?」
「聞いていなかったのか。家族を、をお前に渡す気はない」
「あら、酷いわ……まあいいでしょう。しばらくは預けておいてあげます」
 白雄たちの間に緊迫した空気が漂う中、舌足らずな間延びした声が響いた。
「ゆうにいさま、おかあさまは?」
 不安を滲ませた妹の声に、白雄は眉間に皺を寄せる。そしてを抱える腕を僅かに緩めると、その耳元に口を近づけた。
「母上は、もういないんだ
「でも、さっきおかあさまのお声がきこえましたよ?」
「それでもだ。俺たちの母上は、もうどこにもいないんだ」
「うそです! だって、だっておかあさまの、」
 その続きは声にならず、は大きな声をあげて泣き出した。
の小さな背中をたたいてあやしながら、白雄たちは玉艶に背を向ける。
玉艶はただ、それを笑顔で見送った。
 
それから数年がかかったものの、白雄たちは組織が煌帝国に張った根を少しずつ切り崩していき、その過程で得た、大火の日の白雄と白蓮の暗殺未遂及び、白徳の暗殺未遂は皇后玉艶と皇弟紅徳の共謀によるものという証拠を元に、弑逆を謀った国賊として紅徳を処刑した。同じく処刑されることになった玉艶は国外へ逃亡。公には放逐されたと発表された。
 その間は玉艶に関する情報から一切遮断され、母が父や兄を殺そうとしたことも、国から放逐されたことも知らずにいた。ただ、ジュダルが一度「ババア? 死んでねーよ。つーかあのババアがそう簡単に死ぬわけねえだろ」と口をすべらせたため、玉艶が生きていることだけは知っているが、大火の日白雄が言った「母はもういない」という言葉や、不自然なまでに皇后であるはずの母の情報が知らされず、会うことも叶わないという状況から、何か尋常でない理由があるのだろう、ということだけは察していた。
 そしてそのを、世界が生んだ奇跡と呼んだ母の言葉の意味を白雄は知る。
特異点。世界を、運命を変える分岐点となりうる可能性を秘めた存在。回復は絶望的かと思われた父を救うほどの魔法を発動させたのも、それを支えた膨大な魔力も、その存在の副産物に過ぎない。世界の全て、未来や運命の流れすら見通すことのできる存在に、はなり得た。
玉艶がに執着していた理由もそこにあったのだろう。はシンドバッドに次ぐ、特異点としての可能性を秘めていたから。
 おそらく妹は大いなる存在になることができる。多くの人や国を従え歩むことも、滅ぼすことも、救うことも。煌帝国の未来を思うならば、きっとに然るべき道を歩ませてやるのがいいのだろう。きっとは英雄と呼ばれるに相応しい未来を手にすることができる。
 だが、と白雄はその可能性を意図的に排除した。
英雄と呼ばれる人間の末路は悲惨極まりない。華やかで陰惨な生、終焉を彩るのは破滅ばかり。かのシンドバッド王とて、その勇猛果敢さと辣腕で七つの海に名を馳せ、国民や臣下に慕われて国を盛り立てているとは言えど、その個人としての生涯はあまりに波乱万丈で、とても幸福だと言い切れない。
たとえ後世に大きく名を残すことになろうとも、それで自国が栄華を極めるとしても、愛する妹にそのような生涯を負わせたいと願う兄がいるだろうか。偶然とはいえ――或いは必然だったのかもしれないが――自らの命を救った愛する人の、凄惨な死を見たいと思うだろうか。
 妹の未来を閉ざしてでも、願いたい幸福があった。
そんな白雄の頭に過った、幼い日の約束。
 『はゆうにいさまのきさきになります!』
 それは憧憬が見せた夢だったのだろう。言った本人と白龍を除いては、白雄さえも本気にしなかった幼子の描いた夢。
けれど白雄は命の恩人ともいえる妹を守ろうとしている内に、妹の持つ可能性の大きさが他人の手に余ると知った時に、確かに胸の内に走った歓喜によって気付いてしまった。
「これでは白龍のことを笑えないな……」
 白雄は自嘲めいた笑みを零す。母の裏切りを知ってから、それまでの慕情を裏返すように激しい憎悪を露わにした小さな弟。その幼さは一番傍にいたに慕情の行先を向けた。玉艶とを隔てるにあたって一番功を成したのは白龍ではあるが、その行き過ぎた執着に白瑛、白蓮と揃って三人で頭を抱えたのは記憶に新しい。
 白雄は、兄であろうとしていた。
一回りも離れた妹に、このような劣情を抱くのは間違っていると、そう自制し続けてきた。
いずれはに良さそうな相手を見つけてやり、自分もまた適当な者を娶るのだと、そうして幼い日の約束は守られずに消えていくのだと、そう思っていたのに。
の幸せは、俺をおいて誰にも守れない)
 を求める手はきっと多い。そしてはそれらを皆救ってしまえるのだろう。それだけの可能性がある。けれどそうはさせない、させてはいけない。の幸せを願うなら、の救いを求める手は全て払ってやらねばならないのだ。に集るだろう様々な思惑から、を守れるのはきっと、煌の皇帝となる自分だけだ。
 そうして白雄は自らの情愛を肯定した。
この感情は間違っていないのだと、妹の幸せに必要なものだと信じた。
 だから今日も白雄は愛する妹に微笑むのだ。
、愛している」
 
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